狼陛下の兎 6(完)




「…ねえ、夕鈴。」
「はい、何ですか?」

 いつもの夜の、いつもの二人だけの時間。

 隣に座る夕鈴は、もうお茶が苦いとは言わない。
 上目遣いに見上げる仕草は相変わらず可愛いし変わらないけれど、少しずつ人間らしく
 なってきた。
 今もピンと伸びているふわふわの耳以外、兎を思わせるものは何もない。

 このままそばにいても何の問題もない。
 だから、たった一つの願いを望んでも構わないだろう?

「―――君を正妃にする。」
 静かな声に、びくりと夕鈴の肩が揺れる。
「誰も文句は言わない。…言わせない。」
 夕鈴の顔が青ざめたのも無視して、彼女の肩を引き寄せた。
 腕の中に収まるほどの可愛い可愛い小さな兎。
「で、でも、私は…」
 いつもは素直に抱きついてくる夕鈴が、この時初めて抵抗を見せた。
 黎翔の胸元に手を置いて、ゆっくり押し返そうとする。
 それを逃がさないと力を込めて、暴れ出す前に膝の上に乗せた。

「夕鈴は、嫌なの?」
「違います!」
 悲痛な声で叫んだ夕鈴は今にも泣きそうで、瞳には涙が溜まっている。
「違い、ます…っ けど、私は…!」

「―――兎だろうと人間だろうと、私は夕鈴であれば構わない。」
「っ」
 ぽろぽろと涙を零しながら彼女は首を振る。
「だめ、だめです…!」
「何故?」

 彼女の気持ちもここにある。二人の想いは同じだ。
 素直な彼女の表情を見れば分かる。

 ならば、何故拒む?


「おつき、さまが… だって―――ッ」
 黎翔の後ろを見た夕鈴の表情が一気に強張る。
「夕鈴? どう…」
 彼女の視線の先を追い黎翔が振り返れば、そこには開かれた窓と―――その先の満月。

『次の満月まで―――…』
 あの夜の彼女の言葉が蘇り、月の光に溶け消えそうな夕鈴の背中を思い出す。
 夢であればと願った、あの夜はやはり夢ではなかったのか。

「行か、なきゃ…」
 月に気を取られて腕の力が緩んだ隙に、夕鈴が黎翔の膝の上から飛び降りた。
「! ゆう」
 それに気づいて急いで腕を伸ばすも一歩届かない。

 兎は満月に向かって走り出し、部屋の外に飛び出した。






「―――見つけた。」
 第三者の声がどこからか聞こえ、黒い影が夕鈴の前に降りる。

 我が手の者―――ではない。
 そうなれば、その他の可能性は限られる。

 腰の剣に手をかけ、黎翔はさらに足を速めた。


「な…、だれ!?」
 本能的に悟って夕鈴は一歩下がる。
 黒い影は月の光を背にしているせいでその表情すら伺えない。

「…狼陛下の寵愛を受ける兎。」
 影の低い声に彼女の体がびくりと震える。警戒に耳がピンと立った。
「…兎の耳が生えた娘か。確かに高く売れそうだ。」
「!」

 狙いは夕鈴か。

「夕鈴!」
 鞘を投げ捨て彼女の前に立つ。
 剣先を影に向け、彼女の身を背に隠した。

「―――月夜の晩に忍び込むとは大胆な奴だな。」
「…狼陛下、か。闇に紛れるなんポリシーに反しますので。」
 変なこだわりを持った盗人は、黎翔を前にしても恐れず軽口を叩く余裕すらある。
 自分の腕に相当の自信があるのだろう。
 …そうでなければ後宮に忍び込んだりもしないが。

「陛下!? ダメです!!」
 驚いた夕鈴が前に出ようとするのを片手で制し、彼女ごと後ろに下がる。
「…私が離れたらすぐに部屋の方へ。」
 視線は前に向けたまま彼女に逃げるように促す。
 負けるつもりはないが、彼女を万が一にでも傷つけるわけにはいかない。
「へいかっ だめ…!」
 なのに、腕に縋って彼女はだめだとくり返す。
 どんなに上手くなってもまだ半年だ。上手く言葉にできないもどかしさに焦りの色が交じ
 る。
「ちがう! まもるのは、わたしじゃ」
「―――私がこの身をかけて守りたいと思うのは、君だけだ。」

 ドンと彼女の体を突き飛ばし、向かってきた獲物を受け止めた。

「陛下!」
「行け!!」

 影が自分を飛び越えて夕鈴に向かっていこうとするのを妨害する。
 弧を描く短めの剣と自分の長剣では相性が悪いが、彼女を守るためにはそんなことは言っ
 てられない。


「そんなに大事ですか?」
 剣を交えながら影が冷たく嗤う。

「大事だ。」
 それに即答し斬りかかる。

「ならば、目を離してはなりませんよ。」
「っ!?」
 一瞬だけ意識が彼女の方へと逸れた。
 その隙を狙って懐からもう一つの獲物が飛び出す。

「しばらく寝ていてください。」
「陛下!!」
 二つの声が重なった。


 ―――ふわりと、光が舞う。
 視界に広がるのは、月光を纏った金茶色。



「しまった…」
 男の舌打ちが聞こえ、

「夕鈴!?」
 小さな体が黎翔の腕の中に落ちてくる。

「傷が付いちゃ価値が下がるな…」
 夕鈴が黎翔を庇って負傷したと知るやあっさりと引き下がり、逃げようとする男。
 …逃がしはしない。
「――――…」
 彼女を支える腕とは逆の手を横に振る。その無言の命に複数の影が動いた。







「ゆうりん、夕鈴っ」
 肩を縛って止血を試みるが、成功したのかわからない。
 彼女の肌が青白いのは月の光のせいなのか。

「へい、か…?」
 うっすらと目を開ける夕鈴の手が虚空を彷徨う。
 その手を取って強く握り締めれば、彼女の表情が和らいだ。

「だい、すきですよ…」
 素直な彼女の素直な告白。
 ゆっくりとした動きで彼女と目が合う。

「…私もだ。だから、」
 どこにも行かないでくれと懇願する。
 けれど彼女はやはり首を振った。
「でも、おつきさま と、やくそく、したの……」
 頭上に輝く月へと彼女の視線が映る。
「ほんとうは、つぎのまんげつ、までの、やくそくだったのに… へいかのそばに、いたく
 て、わがまま、いったから……」

 きらきらと天から光が降る。
 …彼女へと向かって。

「おいて、いかないでくれ…」
 握り締めているはずの手から温度が消えていく。

「へいか… やさしく、してくれて、ありがとう… ひとりぼっちのわたしを、ひろって、
 くれたの、うれしかった……」

「兎でも何でも、君であるならそれで良いんだ。だから、」

 これでお別れなんて嫌だ。
 君のいない世界なんて耐えられないのに。

「そばにいて。はなれないで。」



『―――守ると誓うか?』
 どこからか声が聞こえた。

「誓う。この身全てを賭けて。」
 迷いなく答えれば、楽しげに笑う声。

『ならば、その願い 叶えよう。』


「…っ!?」
 一瞬辺りが真っ白になる。
 眩しくて何も見えない中、彼女の手は離すものかと力を込めた。

 光は一瞬にして消え、再び柔らかい月明かりのみになる。
 腕の中の夕鈴はそのままそこにいて、青白かった肌にも赤みが戻ってきていた。

 ―――そうして、違和感を感じて、彼女に触れた。

「耳、が…」
 ふわふわの毛並みの、見慣れたそれが消えていた。
「…え?」
 夕鈴も驚いてそこに手を伸ばすが、何もなく空を切るだけ。


「願い、って…」
 黎翔が見上げても、そこには変わらず光り輝く丸い月があるだけ。
 けれど、あの声はおそらく、、


「―――夕鈴。」
「は、はいっ」
 彼女を抱え上げ、向かい合うように抱き直す。
 願いが叶ったのなら、彼女はもう離れない。

「君を愛している、君以外は要らない。―――ずっとそばにいて欲しい。」

 もう、彼女は拒まなかった。
 黎翔の目を真っ直ぐに見て、美しく微笑む。

「…はい。」













・おまけ・
「―――という設定を思いつきましたわ!」
「ええっ!?」
 目をきらきらと輝かせて語る紅珠に、夕鈴は驚きを隠せない。

(ただ、時々陛下が自分を兎に例えると言っただけなのに!?)

 たった一言でそこまで妄想…もとい、想像できる紅珠ってやっぱりすごいと思う。


 ……でも、それを巻き物にして持ってくるのだけは、止めてね?




2014.6.8. UP



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そして陛下と兎は幸せに暮らしましたとさ。という話です。

て、まさかのオチww
ファンタジーな展開だったのはそのせいですってことで。
ちなみに、紅珠は「設定」を話しただけです。話にはなってない。
小犬だけではなく、夕鈴の名前も紅珠は知らないでしょうから。
この数日後、全3巻にも及ぶ超大作が届けられ…とかなんとか。
紅珠先生の話はきっともっとキラキラしくてラブラブしてると思われますw

今後は、慎さまのイラストから萌えた小ネタ等を載せる予定です。
空白の半年間ネタがほとんどかな?



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