雨の日に




「雨、止まないわね…」
 回廊から空を見上げて夕鈴は一人呟く。
 
 大降りではなくしとしとと降り続く雨とはいえ、雨は雨。
 このところ全く太陽を拝んでいない気がする。
 
「この分だと、今日もあんまり進まないわ…」
 手に雑巾を入れた水桶を持ち、メガネ越しの雨空に溜め息をついた。
 
 この時期の掃除は何かと大変だ。
 紙はしなるし木目は湿気るし、窓を開けても風は通らないし。
 それにきちんと最後まで仕上げないとカビが生えてしまう。
 

「―――――…」
 掃除をする分には雨はあまり好まない。
 でも、雨自体が嫌いかと言われるとそういうわけでもない。
 
 しばらく眺めていたけれど、不意に思い立って水を張った桶を置き、メガネと頭巾を外し
 た。
 






*




 


「夕鈴?」
 政務の合間にこっそりと様子を見に来たつもりだった。
 今日も元気いっぱい楽しそうに掃除してるんだろうなぁと思いながら。
 ―――けれど、黎翔が彼女の姿を見つけたのは意外な場所。
 
「あんなところで何を…?」
 彼女を見つけたのは外だった。…もちろん雨は今も降り続いている。
 
 両手を天へと伸ばして、全身で落ちる雫を受け取るかのように。
 鈍色の空を見上げ、彼女は静かな雨に打たれていた。
 
 新しい遊びか何かだろうか。
 いつも突拍子もないことばかりやってくれる彼女の行動は想像がつかない。
 それが黎翔には新鮮で面白くて目が離せないのだが。
 
「風邪を引―――…ッ」
 仕方ないなの苦笑いで言いかけて、ちらりと見えた表情に息を飲む。
「ッッ」
 次の瞬間には、黎翔も雨の中に駆けだしていた。
 



「夕鈴!」
 強く肩を引いて振り向かせる。
 彼女の髪はすっかりずぶ濡れていて、2人の間に雫が舞った。
「!? 陛下!」
 彼女は黎翔がここにいることに驚いているようで、榛色の瞳を大きく見開いて見上げてく
 る。
 ぱちぱちと瞬く少女に浮かぶのは疑問の表情。
「どうなさったんですか??」
 そう答えた夕鈴がいつもの彼女だったことにホッとして力を抜いた。
 
「…こんなに濡れて何してるの? 風邪を引くよ?」
「え、大丈夫ですよ。これくらい。」
 一体どれだけの間ここにいたんだろう。
 服の色さえ変わるほど濡れているのに、彼女は頓着した様子もなく黎翔の言葉にきょとん
 とする。
「こうしてるの好きなんです。お妃衣装じゃできませんけど、こっちなら良いかなって思っ
 て。」
 そう言って、本当に楽しそうに彼女は笑った。
 そこには隠し事も嘘も見えない。
 
 でも、さっきの表情を見てしまったから…
 
 雨に濡れた柔らかな頬を辿り、手のひらで包み込む。
 そこは雨のせいで冷えて少し冷たかった。
「陛下…? あの、」
 恥ずかしいからかほんのり頬を赤らめる彼女をただじっと見つめる。
 
 本当に、いつも通りの、元気な彼女。
 その中にさっき見えた"彼女"を探すが見つからない。
 
「きゃっ」
 探しだそうと腰を抱き、さらに彼女を引き寄せる。
 
 あれが幻のはずがない―――… 彼女は隠してしまった。
 …いつからそんなことができるようになった?
 
「へ、陛下…ッ」
 少しずつ近づく距離に彼女が慌てだす。
 黎翔の胸元を押して離れようと必死でもがき始めた。
「えっと、その、今は掃除婦なので、離れて欲し」
「夕鈴。」
 名前を呼んで遮ると 彼女はうっと押し黙る。
 声の響きの強さに圧されたらしい。
 
 暴きたいのは、君が隠そうとするからだ。
 僕は、私は、君の全てを知りたいのに。
 

「夕鈴…」
 親指の腹で雨を拭うがすぐに濡れる。
 彼女の瞳に移る自分はひどく揺れていた。
「……陛下、あの、どうしたんですか?」
 様子が変ですよ、と。彼女が逆に黎翔を気遣う。
 けれどそれを聞くべきは僕の方だ。
「……」
 
 聞いたら答えてくれるのか。
 いや、やっぱり隠してしまうのだろう。
 …無理矢理聞こうとしても、君はきっと答えない。
 だから、そこまで出かかった言葉を飲み込んだ。
 
「…何でもない。」
 仕方ないと諦めて彼女を解放する。
 代わりに早く戻ろうと、彼女の手を取って引いた。
 

 あの時僕が焦ったのは、駆け出さずにはいられなかったのは、、
 

 ―――君が、泣いているみたいに見えたんだ。
 



2012.6.26. UP



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梅雨の時期に書いた話です。雨が降ってて浮かんだ小ネタ。
雰囲気小説ですね。



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