君に捧げる感謝の気持ち




「お、お妃様ッ」
 その日夕鈴はいつも通り政務室を訪れた。
 すると、普段からよく話す官吏達を中心に、何人もの見知った官吏達が出迎えてくれて…
 
「どうなさったのですか?」
 緊張している様子の彼らを不思議に思って問いかける。
 いつもなら中に入っても挨拶程度で、こんな風に囲まれることはない。
 
(何か問題でも起こったのかしら?)
 
 けれど、そういう雰囲気でもない。でも、彼らはいつも以上に真剣な眼差しとガチガチに
 固まった表情をしていた。
 一種異様なほどの緊迫感に包まれて、夕鈴の方も少し身構えてしまう。
 
「お妃様! あのっ」
 再度、先頭に立った官吏が声を出すと、全員が背筋を伸ばす。
 
「いつもありがとうございます!!」
 そうして声を揃えて彼らが伝えたのは、心からの感謝の言葉だった。
 

「え……?」
 突然のことにビックリしたのは夕鈴で、何故お礼を言われるのかが分からず戸惑う。
「私、何かしましたか…?」
 全く身に覚えがなく、疑問をそのまま口にすれば「はい」と笑顔を返された。
「お妃様がいらっしゃるおかげで、政務室が穏やかな雰囲気になるのです。」
「書庫も知らぬうちに分かりやすく整理されています。とても助かっています。」
「いつもはなかなか言い出せませんが、本当に感謝しているのです。」
 
「…ありがとうございます。」
 こんなバイトでも、少しでも役に立てたのなら嬉しい。
 彼らの笑顔につられて夕鈴もほんわり微笑った。
 

「お妃様」
 今度は別のところから柔らかな声で呼ばれる。
 そちらを振り返ると、声の主より先に薄紅色の花が目に入った。
「桜…?」
 枝いっぱいに咲き誇る花を手渡される。
 受け取ると同時に独特の香りが辺りを包み、春の暖かさをも運んでくるような気がした。
「私達からの感謝の気持ちです。」
 そして花よりも華やかに水月が微笑む。
 早咲きのその花は氾家の庭にあったものとのこと。
「選んだのは紅珠ですよ。」
「―――ありがとうございます。」
 花の向こうに彼と同じ華やかな笑顔が浮かび、夕鈴はそれにも微笑みかけた。
 今度会ったときにはまたお礼を言おうと思う。
 
「私も今日一日は精一杯働こうと思います。」
「毎日働け!!」
 ん?と夕鈴が違和感を覚えるより前に隣からツッコミが入る。
「方淵殿ッ」
 普段ならここで口論が始まるが、今日はその前に一人の官吏が方淵の袖を引いて止めた。
 珍しく方淵もそれに従って大人しくなる。
「…今日だけだ。」
 水月にではなく夕鈴にそう呟いて、彼はふいと目を背けた。
 
「―――…?」
 それが不思議で、少し考えて。
 …意味が分かって、夕鈴は小さく笑った。
 





*







「……あの、李順さん。」
 夕鈴がそこを訪れた時、たまたまそこには李順しかいなかった。
 陛下は宰相の所へ行っているとのことだが、元々用事があるのは彼の方なので問題はない。
「何ですか。」
「一つお聞きしたいんですけど… ―――今日は何の日ですか?」
 戸惑い混じりに夕鈴が尋ねると、彼女の手にあるそれを見て彼は納得したような顔をした。
 
「それは彼らが言い出したことです。他意はありませんし、貴女は素直に受け取って喜ん
 でおけば良いんですよ。」
「…はあ、」
 確かに嬉しかったし喜んだけれど、いまいち答えになっていない。
 あんまりすっきりしないまま曖昧な返事を返す夕鈴に、彼は元々の用事である青慎からの
 手紙を渡しながら付け加えた。
 彼らから、頑張っている貴女へのご褒美です。考え込むほどのことではありません。」
「ご褒美…?」
「貴女はよく頑張っていますから。たまには良いんじゃないですか。」
 いつもより柔らかい声音で言いながら、李順はふと目元を緩める。
「いつもご苦労様です。」
 彼からの労いの言葉に夕鈴はぎゅっと手紙を握り締めた。
 

「り、李順さん……」
 滅多にない賛辞に感動して、夕鈴は目を潤ませる―――ことにはならなかった。
 頬を赤らめるどころか顔は青ざめ、何故かガタガタと震え出す。
「私の命も今日までですか……!?」
 そう叫んだ夕鈴は この世の絶望を背負ったような顔だった。
 

「…貴女、相変わらず良い度胸してますね。」
「!!」
 低い低い、怨嗟のこもった声を聞いて、夕鈴ははっと失言に気付く。
 
「すみませーんっっ」
 しかし今更謝ってももう遅い。
 延々とお小言を聞かされる羽目になってしまった。
 






*








「お妃ちゃんっ」
 部屋に帰ると、タイミングを計ったように窓から浩大が現れた。
 身軽な彼の手には袋が一つ。
 
「はい。これ、お妃ちゃんに。」
 渡されて、促されるままに中を見る。
 それが何かを知った夕鈴の瞳がキラキラと輝きだした。
「あ、干し杏仁!」
 
 外見からしてどう見ても後宮の妃に渡すようなものではない。一籠いくらの代物だ。
 けれど夕鈴には馴染みがあって懐かしいものだった。
 
「お妃ちゃんはこういうのが好きだろ?」
 豪華な物、高価な物。そんな物は欲しがらないのが彼女だ。
 だから浩大は彼女が慣れ親しんだ下町の物を選んだ。
「ええ、ありがとう!」
 晴れやかに笑う夕鈴を見て、浩大もニカッと笑い返す。
 彼女の期待通りの反応に満足した。
 

「でも、どうしていきなり?」
「だって今日は頑張ってるお妃ちゃんにお礼を言う日なんだろ?」
「へ? 何それ?」
 李順の説明では曖昧だった部分を浩大がはっきり教えてくれた。
 でも、何がどうしてそんな日になるのかは謎のまま。
 
「お礼を言いたいって言い出したのは政務室の官吏達で、陛下が良いって言ったんだ。」
 すっごい渋々だったけどね、とはあえて言わなかった。
 言えば、この鈍い兎さんは絶対変な方向に勘違いするから。
 それはさすがに陛下が可哀想だと浩大は兄心(?)に思ったのだ。
 
「今夜にでも陛下と食べると良いよ。」
「そうするわ。本当にありがとう。」
 
 何も知らずにお礼を返す彼女に浩大は苦笑いした。
 





*







 卓の上には満開に開いた桜の花の枝。
 お茶請けは人払いした後に用意した干し杏仁。
 

 ―――それらを前にした黎翔の機嫌はあまり良くない。
 

「干し杏仁はお嫌いでしたか?」
 心配そうに夕鈴が尋ねるのには、違うと首を振る。
 
 …そうじゃない。
 下町の食べ物は何でも美味しいし、桜の花だって綺麗だ。
 
 面白くないのは、―――彼女を喜ばせたのが自分ではないということ。
 

「…夕鈴が頑張ってるのは僕が一番知ってるよ。」
 向かいに座る彼女の小さな手を包み込む。
 それに驚いた夕鈴が手を引いて逃げようとするけれど、もちろん逃がしたりはしなかった。
 
「へ、へい…っ」
「……そんな君にお礼を言いたいって言われたら、そんなの断れないよね。」
 


 いつだって一生懸命頑張る君。
 
 立ち止まることも忘れたみたいに突っ走ってしまう元気な兎。
 

 君が頑張っているのを見るのは好きだよ。
 でも、頑張りすぎて疲れてしまわないか心配なんだ。
 
 疲れてしまって、君が辞めたいって思わないか… それが怖いよ。
 

 ―――今も、この手を離したくないって思ってるのに。
 


「いつもありがとう、夕鈴。」
 この手からも想いが伝われば良いと力を込める。
 恥ずかしがり屋の夕鈴は顔を真っ赤にして、それでも本気で振り解かなかった。
 それに甘えて少しだけ距離を縮める。
「……何も用意できなくてごめんね。」
 
 本当は周りと同じように夕鈴に何かあげたかった。
 でも、何が喜ぶか分からなくて選べなかった。
 
「その言葉だけで充分です。」
 何も欲しがらないお嫁さんは、可愛らしくはにかみながら予想通りの言葉を返してきた。
 それが本心から言っているのが分かるから、逆に申し訳なくて仕方がない。
 
 そして、そんな君だから愛しく思う。
 

「でもね、君に一番感謝してるのは僕だから。」
 
 それだけは覚えておいてね。
 
 そうして、もう一度、感謝の言葉を彼女に告げた。
 





 君がここにいるだけで僕は幸せなんだよ。
 

 だから、"ありがとう"。
 


 君に捧げる感謝の気持ち。
 絶対誰にも負けない自信があるよ。
 

 ありったけの想いを込めて、君にこの言葉を贈るから―――
 


2013.3.15. UP



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SNSでは前後編だったんですが、そんなに長くないのでまとめました。

これは瀬津音さまが退国される日に書き上げてUPしました。
話は夕鈴中心ですが、彼女を通して瀬津音様に感謝の気持ちをと。

この週はこのSSに集中してたので他のを書いてません。すみません。
でも、どうしても書き上げたかったんです。
ご本人に気付かれなくても良いやって気持ちだったんですけど…
返事を頂いてしまいました。ちょっと恥ずかしい(苦笑)



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