有り得ない話




「陛下!」

 僕の姿を見つけると、夕鈴は満開に表情を綻ばせて駆けて来る。
 李順が見つけたら「はしたない!」と目を吊り上げて怒るんだろうけれど、僕的には可愛
 いから良しとする。

「陛下、聞いてください!」

 ああ、そんなに可愛い笑顔で。何がそんなに嬉しいのかな。
 夕鈴が嬉しそうだと僕も嬉しくなってしまう。

「私、ついに借金完済したんです!!」
「……え?」

 春の訪れのような夕鈴の笑顔。
 桜色の唇から出た言葉に、黎翔の表情が凍り付いた。

 聞き間違いだと思いたい。けれど、目の前の夕鈴は頬を赤らめながら興奮気味に続ける。
「もう嬉しくて嬉しくて! 一番に陛下に報告しようと思って探していました!!」

「ええーーっ!? 聞いてないよ!?」
 もうここがどこだとか考える余裕もなく思わず叫んでいた。

 夕鈴の借金に関しては李順から報告を受けていたし、その額もすぐにどうこうなるような
 ものではなかったはず。
 それがいきなり完済だなんて。一体どういうこと!?

「夕鈴…?」
「はい?」
 言葉尻に音符でも付いていそうな弾んだ声を聞く程、こちらの気持ちは逆に沈んでいく。
 ここからいなくなるのがそんなに嬉しいの?

「……やっぱり、帰るの?」
 しゅんっと耳も尻尾も項垂れさせて、夕鈴をじっと見る。
 君は僕を、置いていくの?
 そんな風に縋ってみたけれど、彼女には通じなかったみたいだ。
「もちろん帰りますよ。」
 あっさりと返されてしまった。

「あ、でも、正確には帰るのとは違いますね。」
 そう言って、何故か彼女は頬をポッと朱に染める。
 可愛いんだけれど、何かとても嫌な予感がした。

「実は、私 結婚するんです。」
「えーーーーー!!?」
 それこそ聞いてない。
 その衝撃はさっきとは比べものにならなかった。
「誰と!? …まさか、幼馴染の彼?」

 一番可能性がありそうなのは、下町で出会った彼。
 身分的にも周りの態度からしても妥当なところだろう。…と思ったんだけど。

「どうして私があんな金貸し外道と結婚しなくちゃいけないんですか。」

 違ったらしい。
 でも、だったら一体誰なんだ?

「ふふ、陛下もよく知ってる方ですよ。」
 可愛らしいその表情は僕以外の男のためのもの。
 それが腹立たしい。
 でも、相手の男に殺意が芽生えても君には何も言えない。

「あのですね。柳家の、」

 方淵が…?
 あんなに睨み合っていたのに、いつの間にそんなことに

「ご長男 経倬殿です。」

「…あ、何だ夢か。」
 ものすごくホッとした。
 たとえ明日この世が滅ぶとしても絶対に有り得ない組み合わせだ。

「どうして夢だと思うんですか?」
 あからさまに安堵する黎翔を見て、夕鈴が表情を曇らせる。
「確かに、庶民の私が柳家の嫁になんて相応しくないのかもしれませんけど。」

 いや、そっちじゃないから。

 どこまでも鈍い相手に内心でツッコミを入れる。
 むしろ逆。あんな男に夕鈴は勿体ない。

「でも、柳大臣も私になら任せられるって褒めてくださったんですよ。柳方淵からも根性
 を叩き直してくれって頼まれましたし、貴女にならできると」
「待って待って夕鈴!」
 立て板に水のように話し続ける夕鈴を慌てて止める。
 あまりに具体的な話のせいで安心感も完全に吹き飛んだ。
「何ですか?」
「本気!? あの男のどこが良いの!?」

 柳経倬は典型的な貴族の馬鹿息子だ。
 現在の王宮をそのまま形にしたような男は、真面目な夕鈴からすれば絶対に選ばない人種
 のはず。
 それが、どこをどうしたらこんなことになるのか理解できない。…したくもないが。

「―――そうですね。強いて言うなら、私じゃないとダメなところです。」
「僕も、夕鈴じゃないとダメだよ?」
「? 選り取り見取りの陛下が何を言ってらっしゃるんですか。」
 黎翔の告白混じりの懇願は、これまたあっさりばっさり切られて本気で凹む。
「でも、あの人には私しかいないんです。私がいないとって思ってしまったんですよ。」
 途端に夕鈴が遠く見えた。

 そんなことで君が手に入るなら、僕こそ君しかいないと言ったのに。
 どうしてもっと早く君を手に入れていなかったのだろう。
 迷っているうちに、よりによってあんな男に奪われてしまうなんて。

「今はあんなんですけど、私が立派に矯正して、陛下のお役に立てるようにしますから!」



 ―――そんなの要らないから君が良い。







 そう思ったところで目が覚めた。

 見慣れた寝台の上、薄暗い部屋は夜明け前を示す。
 嫌な汗が流れていて、心底不快だった。

「……夢、だよね?」
 弱々しい声のどこにも、"狼陛下"は見つからない。









「は? 私とあの人だなんて、明日この世が滅ぶとしても有り得ない話ですよ。」
「そうだよね!!」
 一言で切り捨ててくれた夕鈴に、心から安堵した。




2013.10.14. UP



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陛下、とっても面白い夢を見たようですね。
この後、王宮で経倬様を見つけたら睨んでびびらせると良いと思います。(理不尽だ! by経倬様)

柳家長男の嫁してる夕鈴かー 完全に尻に敷いてそうww
とか思ってたら、経倬様の根性が持たないとか話が出てきまして。
そんなコメント欄から派生した経倬&夕鈴夫婦の会話↓

「この程度で音を上げるなんて、それでも柳家長男ですか!?」
「私は産まれた時から柳家長男であって、将来は約束されたも同z」
「そんな甘っちょろいこと言ってるから出世しないんですよ!!」
「はっきり言うな!」

そんなやりとりを見た柳大臣は、「これで柳家も安泰だ」と胸をなで下ろしたとかww



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