有り得ない話2




「経倬様! いつまでそこにいるんですか!」
 なかなか鏡の前から動かない旦那様を夕鈴が叱り飛ばす。

「これじゃ、早く起こした意味がないじゃないですか!」


 なかなか起きない旦那様を起こすのは嫁である夕鈴の仕事であり、朝から一番の大仕事だ。
 遅刻をさせれば柳家の恥、気合いが入るのも当然のこと。
 しかし、経倬も負けていない。

    
「仕方ないだろう! この前髪のハネがしつこいのだ!」
「…………」
 右側だけくるんと巻いてしまった部分を引っ張りながら力説すれば、夕鈴はため息をつい
 ていなくなった。

 珍しくあっさり引き下がったものだと思う。
 それとも、やっとこの事態の重要性に気づいて諦めたのか。
 そう思ってまたハネと格闘を始めた。
 思いの外、今日の敵は手強い。
    


「―――そういうときはこうするんですよ。」
 不意に櫛を持った手を外され、ほかほかの―――というか熱湯を絞った手拭いで前髪を包
 まれた。
「あちちち! 何をする気だ!?」
「この程度の熱さくらい我慢してください。」
 言葉は厳しいが、ポンポンと髪を押さえる手つきは丁寧だ。

 よく分からないままされるがまま、少し待てば熱さもちょうど良い具合になった。
    

「……ほら、出来上がりました。」
 櫛を通し終えた前髪は左右とも絶妙な曲線を描く。完璧だ。
「おお! さすがだな!」
「旦那様のためですから。」
 経倬が喜ぶと夕鈴も小さく笑う。
 ほのぼのとした空気が辺りを包んだ。


「―――おい、そのバカをあまり甘やかすな。」
 せっかくの和やかなムードを冷たい声がぶち壊す。
 通りすがった愚弟が鏡越しに睨んできた。

 相変わらず美を理解しない残念なやつだ。ここは兄としてびしっと言ってやら
「あら、バカだからこそ身なりくらいはきちんとしているべきだと思います。」
 ねば……て、オイ! たった今までの優しさはどこにいった!?

「バカはバカだ。治らん。」
「経倬様がバカなのは筋金入りですから、そう簡単には治らないのは当然です。でも外見
 はどうにかなるでしょう?」
「お前らっ さっきから人をバカバカ言うな! 私は柳家の長男だぞ!」
    
 皆が経倬様、経倬様と呼び私を慕っている。その信頼は社交性のない愚弟とは雲泥の差。
 そして、ゆくゆくは父の後を継いで歴史に名を残す予定なのだ。
 こんな完璧な夫を持って、我が妻はなんて幸せ者なのか。
 感謝されることはあれ、罵倒される覚えはない。
    
「だから何ですか。みんな柳家に従っているだけですよ。経倬様から柳家を抜いたらただ
 のバカです。」
 と言っているのに、なんて冷たい嫁だ。少しはフォローしろ!
「一人では何もできないバカが威張るな。」
「ええいお前らっ 少しは私を敬えー!」
 経倬が吠えたところで方淵は全く意に介さない。
「私は柳家の長男だぞ!?」
「はいはい。」
 後ろの妻に訴えても軽くあしらわれる。悔しい。
「それより早く出ないと遅れますよ。」
「なにっ? 私はまだ何も食べていないぞ!?」
「ご自分のせいでしょう。……おにぎりを作っておきましたから、馬車の中で食べてくだ
 さい。」
 手に乗るほどの包みを渡されて、続くはずだった怒りの言葉は一瞬で消え失せた。
「……う、うむ。」

 何故なら、我が妻の手料理は絶品なのだ。
 素朴なのだがあたたかく、このおにぎりだって全て具材が違うはず。
 私の胃袋は完全に彼女に掴まれている。

「お弁当はまた後で届けに行きますね。あ、方淵殿の分も要りますか?」
「いや、結構だ。」

 そうだそうだ。彼女は私の嫁だ。
 私以外に作る必要など
「そうですか? お義父様の分も持っていくので一人増えても構わないんですけど。」
 ない……って、父上!!?

「ちょっと待て! 夕鈴の手料理は私のものだぞ!?」









「違う! 彼女は私のものだ!!」
    
 ―――自分の声で目が覚めた。
 
 見慣れた天井が目に入り、今のが夢だと知った黎翔は深く深く息を吐く。
 とりあえず寝起きの機嫌は最悪だ。
 
「…………悪夢だ」
 有り得ないだろう。有り得ないのだが、不快なことには変わりない。

 今日柳経倬に会えば、意味もなく睨んでしまいそうだ。
 ……まあ、相手が奴ならどうでも良いのだが。

「まあいいか。」
 そんなわけで、今日の八つ当たり先が決定した。




2014.4.6. UP



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陛下、どうしてそのCPだったんですかww


前回の有り得ない話のコメントから派生した話な感じ。
本当はこの後、夕鈴にベタベタする陛下の話もあったんですけど。
まだ書き上がってないので放置状態です。←



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