基本的に神界と仙人界に交流はない。
 絶対に会ってはならないという決まりはないけれど、行くには楊ゼンの許可がいるし、それ以前に神界へ行く手段があると知っている者も少なかった。




  会いたい人

「―――ご苦労様、楊ゼン君。」 ほんのり暖かな風が窓から入り込む、静かな午後の執務室。 そこへ突然ひょっこりと顔をだした意外な人物に、執務中だった楊ゼンは驚いて思わず立ち上がった。 「太乙様!? 一体どうなさったんですか!?」 彼がここを訪れるなんてかなり珍しい事態だ。 家に帰った時 たまに"おかえり"なんて言われて驚くことはあるけれど、日々をのんびり過ごすこの人がここへ来ることは皆無に等しくて。 ひょっとして何か困ったことでもあったのだろうかと心配して問えば、違うと笑われてしまった。 「そんなんじゃないよ。それとも、どうかしなきゃ私はここへ来てはいけないのかい?」 「あ、いえ… そういうわけでは ありませんが……」 いけないはずがない。むしろその逆だ。 けれど 素直にソレを言葉に出すのはどこか恥ずかしくて、言葉はどことなくハッキリしない感じになる。 そのまま次の言葉を告げることが出来ずにいると、眉を顰めた太乙がくるりと背を向けた。 「時間が空いたから来ただけだよ。…邪魔なら帰るね。」 楊ゼンの態度に機嫌を損ねてしまったのか、そう言ってあっさり帰ろうとする彼を見て楊ゼンは慌てる。 「え、や、じゃ 邪魔だなんてそんな! 太乙様ならいつでも大歓迎です!!」 言うつもりはなかったのに。 それは、さっき恥ずかしくて飲み込んだ言葉。 …けれど、たとえ後で恥ずかしくなろうとも誤解されるのは嫌だった。 この人に嫌われたくない、それが楊ゼンの中での最優先事項だったから。 「―――ヘェ。私なら?」 必死な様子が面白かったのか、ピタリと足を止めた彼に今度はくすくすと笑われる。 楊ゼンにしてみれば大真面目に答えたつもりだったのに。 「貴方は育ての親ですから。太乙様は特別なんです。」 冗談で言っているのだと思われるのが嫌で、笑う彼に真顔のままでさらに告げた。 太乙様は幼い頃の自分を知る数少ないヒト、 師匠と同じくらいの愛情と安心感をくれた 大切な人だ。 今はあの頃と少し意味が変わった"大切"だけれど――― それを告げるつもりはこれからもない。 「? 何言ってるの。それは玉鼎に言わなきゃ。」 「っ」 楊ゼンの言葉にきょとんとした後 再びふわりと笑って告げられた名前にびくりとした。 あっさりと告げられた名は、けれど本当は簡単に言葉にできるはずのないもので。 この人にとっては、とても大事なもののはずで。 「……会いに、行かないんですか?」 無意識に漏れた呟きは、ずっと言いたくて、でも言えずにいたものだった。 「―――誰に?」 その問いに答えた彼の笑みが僅かに変化する。 すっと背筋が凍るような… 過去数度しか見たことがないコレは何だったか。 「もちろん師匠にです。僕に頼めば通行証なんかすぐに手に入ります。貴方なら、」 「君の言う"育ての親"の権限で?」 早口で答える楊ゼンの言葉を遮って 彼は馬鹿にするかのように言い切る。 見ている方が痛くなるようなその表情の正体を、胸の痛みと共に知った。 あぁ、これは―――自嘲だ。 「必要ないよ、そんなもの。」 そんな顔をさせるつもりはなかったのに。 「天祥君も張奎君も、君だって会いに行ったりはしないだろう? それなのに私だけ行くのは公平(フェア)じゃない。」 自分よりずっと大人の表情をして 静かな声で彼は言う。 それは自分が子どもだと思わされる瞬間。 権限を使って会わせようとするなんて、そんなの子どもの我儘と同じだ。 相手の為なんかじゃない、自分の為―――ただの自己満足だ。 でも、それでも、 「太乙様…ッ」 「今のは君らしくない発言だね、"教主様"。」 違う、貴方にそんな表情をさせたいんじゃない。 隠して欲しいわけじゃない。 「ですが 貴方は―――…!」 「なに?」 「…っ」 なおも縋ろうとする楊ゼンに、太乙は笑みを消すと それ以上言うなと視線で訴える。 気圧されるそれに言葉を飲んでしまうけれど、それでもまだ納得はできなかった。 戯れに師匠に化けたあの夜の、あの顔が忘れられない。 今にも壊れそうだった、哀しく微笑むあの顔が。 あれを思い出すと嫌でも思い知らされる。 この人の 心は――― 「…そんな顔しないで。私だって十二仙の一人だよ。見くびらないで欲しいな。」 そっと 優しく触れてくる手のひら。 身長は自分の方が高いけれど 気にせずに彼は頭を撫でてくる。 「もうこの話はおしまい。お茶煎れるよ、何が良い?」 今は彼の方がお客様なのだが、そう言って返事も待たずに奥の部屋へと入って行った。 「会いたくない人」へ→ ------------------------------------------------------- 微妙に楊乙☆な シリアス前編。 楊ゼンが言っている"あの夜"の出来事は、以前日記に書いたモノです。(2004/2/1参照)