月花




宿屋で割り当てられた1人部屋。
「―――・・・」
ふと三蔵が目を覚ました時はまだ真夜中だった。
ベッドの横にある窓からは空高く輝く青白い月が見え、その淡い光は部屋の中をほんのり照らす。
「随分と妙な時間に起きたな・・・」
変に頭が冴えてしばらくは眠れそうにない。
仕方なく起き上がり服を着ると、三蔵は音も立てずに部屋を出た。



夜風が木々を揺らす。
雲がまったくないおかげで森の中でもある程度は明るかった。
足元が見えないことはない。

特に目的もないまま三蔵はその森の中を進む。
ただ静かな場所があれば良かった。

しばらく歩いたところで何かに気がついて立ち止まる。
「・・・歌・・・・・・?」
夜の空気に響き渡る澄んだ声。
女性特有の高さ、この歌声には人を惹きつける何かがあるようだ。
そして三蔵の足も自然とそちらへ向かっていた。



森の中にある少し開けた場所、ここは月の光が何にも遮られず注ぎ込んでいる。
そしてその中央にその歌声の主はいた。
透けるように白い肌に長い銀の髪、月の光を浴びてそれはまるで彼女自身が光を放っているように見える。
空に向かって歌う歌は優しい子守歌。

カサッ

三蔵の手が触れた葉の音で彼女が彼に気づき振り向いた。
「―――誰?」
(ちっ・・・)
ここまで来てやっと我に返って戻ろうと後ろを向いた所だった。

2人の目が合う。
よく見るとまだ幼さの抜けていない少女だ。

彼の金色の髪が月光に反射して輝いた。
それを見て彼女は一瞬言葉を失って目を丸くする。
「きれいな髪―――・・・まるで光を放ってるみたい・・・・・・」
思った通りそのままを言葉に出して呟いた。
しかしそれがきっちり聞こえた三蔵は不機嫌な顔になる。
「お前も同じだろうが・・・」
「でもきれいだもの。」
突き放した言葉に物怖じすることはまったくなく、逆に彼女は三蔵の方にやって来る。
「私の名前は月花、月の花って書くの。貴方は?」
微笑む彼女にさすがの三蔵も少し驚いている様子だ。

(何だこいつは・・・)
調子が狂う。
俺を知らないところを見ると刺客とはまったく関係ないようだが。
なんだってこんな森の奥に女1人で・・・

「な・ま・えは?」
黙ったままでなかなか言わないので月花が詰め寄ってくる。
「―――三蔵。」
「三蔵? ・・・変な名前。」
彼女には遠慮というものがないようだ。

ムッ

「変で悪かったな、法名だ。」
「法名? じゃあホントの名前は?」
「ない。」
「ないって何よ。ないはずないじゃない。」
一体何なんだこの女は。
イライラする。
「ねえもんはねえんだよ!」
苛立ちをぶつけるように大声で怒鳴る。

河で拾われた俺に名前なんかない。昔呼ばれてた江流という名もあだ名だった。
「ちっ・・・」
嫌な過去を思い出しちまった・・・
この女のせいだ。

彼女を見てるとますますイライラしてくるのでふいっと視線をそらした。
「む〜・・・別に怒鳴んなくてもいいじゃないのぉ・・・」
口を尖らせているが無視。
懐から煙草を出して火をつけた。
「何ソレ?」
彼の前にまわり月花が見上げて問う。
全然懲りていない。
「煙草。」
「たばこ? それおいしいの?」

はぁ?

月花を見下ろす三蔵の表情がわずかに固まった。
こいつ煙草を知らないのか?
というか「おいしい」という発想がどこかのバカを思い出させる。
「・・・んなわけないだろ。」
「じゃあどうして?」
「イラつくから。」
何故わざわざ律儀に答えているのだろうか。
無視してりゃいいのに。
(無視―――・・・)
・・・して帰ればいいのに何故俺はここにいるんだ?
この女といると調子が狂う。
「・・・・・・・・・」
これ以上いるのもアホらしい。
くるりと背を向けた。

「あっ・・・待ってよ!」
がしっと腕を掴む。
「・・・何だよ。」
「帰らないで! 今夜しかないのに・・・1人で過ごすのは嫌なの!」
精一杯の力ですがりついていた。
それでも三蔵には振り切れないほどではない。
「俺には関係ない。」
「私には関係あるもの! お願い、ここにいて!」
子犬のようにすがる瞳。
何故だか振りほどくことができなかった。

「―――好きにしろ。」
ものすごく投げやりでぶっきらぼうな物言い。
なのに月花は嬉しそうに微笑む。
「うん! じゃあこっちに来て!」
彼の腕を掴んだ逆の手で指差したのは月光が最も集まっている所。
彼女がさっき歌っていた場所だった。






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