狭間 −side β−




 ―――すまない。

 耳に残る彼の声。
 言葉通りとてもすまなさそうにしてらっしゃったけれど。
 本当は待っていてもかまわなかったのに、わざわざ私の所まで伝えに来てくださったら断るわけにもいかなくて。
 それで今日は1人で帰らなくてはならなくなった。
 一緒に寄りたい所もあったけれど、それは明日でもいいからと諦めることにして。
「・・・そういえば独りで帰るのは初めてだわ。」
 そう思うと途端に不安になる。
 いつもは紅孩児様がいらっしゃってくれたから帰る道も楽しいだけだったのに。
「やっぱり終わるまで待って・・・っ」
 振り返ったけれどすぐ いえ、と思い直してまた進みだす。
「子どもじゃないのだから独りでも大丈夫・・・」
 いつまでもあの方に甘えているわけにはいかないわ。


 クスクス
 すぐ後ろで聞き覚えのある声で笑われて彼女は再び振り返った。
「八戒さんっ!? な、何を笑ってらっしゃるんですか!?」
 顔を真っ赤にして彼女はまだ笑っている彼が自分の所まで来るのを待つ。
「八百鼡さんこそ先程から何を百面相なさっているのですか?」
「えっ!?」
 ビックリして真っ赤な頬を両手で押さえる。
 恥ずかしくなってさっきよりさらに顔が赤くなった。
 それにもう1度だけクスリと笑って 彼は辺りを軽く見渡す。
「今日はあの方はご一緒ではないようですね。」
「あ、紅孩児様は学部の方の用事で、今日は・・・」
 だから1人で帰るところなのだ。
 しゅんとした様子で答えた彼女を見て八戒は少し考えた。
「―――では僕とお茶でもしませんか?」
 すぐそこに喫茶店などありますし。と言って門の外を指差す。
 確かに校門を挟んで道の反対側には生徒の多くが利用する喫茶店があった。
 八百鼡も紅孩児とよく行く場所だ。
「えっ?」
 突然で驚いて八百鼡は困惑の表情を向けた。
 八戒はにこりと笑う。
「僕では不満ですか?」
「えっ・・・ いえ、そういうわけじゃ・・・・・・」
 断る理由も無いし・・・
 それにあそこに居れば紅孩児様が帰るところが見えるだろうし・・・
「―――ご一緒します。」
「それは良かった。では行きましょうか。」



 校門を出る直前のところで突然前を歩いていた彼の足が止まる。
 不思議に思った八百鼡が横に出ると、校門の外に笑顔の女性が立って彼を見ていた。

 このヒトってまさか・・・

 そう思って彼の方を見上げると、驚きを隠せないといった表情で呆然としている。
「久しぶりね。」
「花喃・・・ どうして、君がココに・・・・・・」
 やっと声を絞り出せた。
 夢じゃないだろうか。だって彼女がここに居るはずが・・・
「夢じゃないよ。ちょっと用事で日本コッチに来たの。」

 やっぱり・・・ 八戒さんの恋人さん―――・・・

 話で聞いた私に似ているというヒト。
 きっと彼女は八戒さんと話がしたくて待っていたのね。
 今日はどうしても1人で帰らなければならない運命のような気がした。
「ずっと立ってるわけにはいかないし 前の喫茶店に行きましょう?」
 その場をこっそり去ろうとしていた八百鼡と 花喃の視線がぴたりと合う。
「貴女もどうぞ。」
「え・・・?」



「父さんが倒れたって聞いて すぐ帰ってきたの。」
 テーブルは窓側のコーナー席で通路側に八百鼡、その隣に八戒。
 そして彼の向かいが花喃。彼女の後ろに大学の校門が見える。
「大丈夫なの?」
 心配そうに八戒は尋ねる。
 ストローでアイスティーの氷をかき回しながら、花喃の視線はそれに向いていた。
「2、3日で退院できるそうだから。1週間後にはまた英国イギリスに戻るつもり。」

 私、何をやっているのかしら・・・

 八戒の隣で縮こまって、八百鼡は付いて来た事を後悔する。
 何があっても帰るべきじゃなかったのかしら。
 2人きりで話したい事もあったかもしれないのに 流されてつい来てしまって。
 迷惑じゃないかしら・・・

 顔色を窺うように顔を上げたら、また彼女と目が合ってしまった。
 さっきと同じ、穏やかな笑みで彼女はこちらを見る。
「まだ彼女のコト、紹介してもらってないわ。」
 そのままの表情で八戒の方に向き直って彼女が言った。
 そういえば と言って彼は1度八百鼡を見てから花喃に笑顔を送る。
「彼女は八百鼡さんと言って、大学で知り合った人なんだ。」
「どうもハジメマシテ。」
「いえ、此方こそ。」
 心なしか視線が痛い、気がする。

「―――花喃はどうしてここに来たの?」
「本当は・・・ 会わずに帰ろうと思ってたんだけど・・・・・・」
 思ったんだけど・・・
 そこで彼女の言葉が途切れて、次に見せたのはちょっとだけ寂しげな笑み。
「ただ 無性に会いたくなっちゃったから・・・」
「うん・・・」
 わかるよって顔。
 2人の間には きっと誰にも入れない空間がある。そんな気がした。

「私、そろそろ帰りますね。」
 立ち上がろうとしたのを八戒が腕を掴んで止めた。
「八百鼡さん? ここに来てまだそんなに経ってませんよ?」
「でもこれ以上は・・・」
 居たくないというか 居辛いというか。
 それと 2人を見ていたら私も・・・

 ガシッ

 八戒に掴まれていた腕と反対の腕を誰かが掴んだ。






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