もしもの話
      〜夕鈴のバイトが本当に終了したら〜




[ 1.夜明け前の王宮 ]


 夜明け前、東の空が明るくなり始める、そんな静かな時間帯。
 ひっそりと別れを告げる声がする。

「お世話になりました。」
 彼女の手には小さい包みが1つ。
 来た時と同じ、ただそれだけが彼女の持ち物だった。
「こちらこそ、思いがけず長いバイトになってしまってすみませんでした。」
 普段の鬼上司からすれば嘘のような優しい声。それに小さく笑う。
 厳しいことばかり言う人だけれど、全ては陛下を守る為だった。
 本当はとても好い人だと分かっているから。
「陛下をよろしくお願いします。」
「勿論です。」
 顔を見合わせて2人で笑う。
 ここに来て初めて、この人とこんな風に穏やかに笑い合った。


「…何か 陛下に伝えたいことはありますか?」
 ひとしきり笑った後、少しだけ躊躇いがちに尋ねられる。

 陛下はここにいない。
 彼がいたら誰もいない時間を選んだ意味がないし、これは夕鈴が望んだことでもあったか
 ら。

 気遣わしげな顔をされるのは、きっとこの気持ちがバレているからだ。
 けれどこれは伝える気もないし、伝えても仕方がない。
 この胸の中に隠して、いつか消えるのを待つだけ。

「そうですね… 特別にはないんですけど…」
 別れは昨日のうちに済ませてある。
 あの人は何も言わなかった。
「"お元気で"、というのと…」
 そこで一度、言葉を切る。
「それから――― "どんなに遠くにいても、私は陛下の味方です。"と。」
 今のあの人に届くかどうかは分からないけれど。
「分かりました。」

 東の空から光が漏れ出す。
 夜が明ければ人々が動きだす。

 そして夕鈴の長い夢も覚める。
 2度とここへ戻ることはないだろう。

「…では、李順さんもお元気で。」
「夕鈴殿も。」


 夢が終わる。

 そして新しい朝が来る。












「おや陛下。起きておられたんですか。」
 報告のために李順が陛下の自室を訪れた時、彼は窓際に腰掛けて朝日を眺めていた。
 背を向けられていたからその表情は見えない。

「…夕鈴は無事に城を出たか?」
「ええ。念のため、家まで護衛もつけました。」
 彼女には気づかれないようにではあるが。
「後宮は?」
「張老師にご協力いただき 噂を流しました。今日中には広まると思われます。」
 老師は最後まで渋っていたが、夕鈴からの説得を受けて最後には納得した。
 何を話したのかは李順には分からないが、老師は仕方ないと寂しそうにしていた。
「それから、妃付の女官や侍女には夕鈴殿が昨日別れの挨拶をなさいましたが、その中の
 数人が辞意を申し立てております。」
「辞意?」
「夕鈴殿以外の妃に仕えることはできない、と。」
 彼女達に挨拶をしたいと言い出したのは夕鈴だった。
 後宮を去る理由は言わない約束で許可したのだが。
「…素直に言える者は良いな。」
「はい?」
「いや――― 彼女達の望む通りにして構わない。どうせしばらくは後宮も無人になる。」
「ではそのように。」
 陛下がさっきからずっと窓の外しか見ていないことに李順は気づいていたけれど、そこに
 は触れずにいた。
「噂が広まればまた周りが煩くなります。早急に次の手をご決断下さい。」
 返事はない。
 しかし構わずに礼をし 部屋を出ようとして、李順はそこでふと足を止めた。

「陛下、夕鈴殿からの伝言です。」
 聞いているのかいないのか。
 それでも李順は言葉を続ける。
「「お元気で」と「どんなに遠くにいても私は陛下の味方です」だそうです。」

 やはり陛下は何も言わない。
 溜め息を残して、李順は今度こそ退出した。





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まさかの長編。このタイトルなのに。
さらにシリアス。このタイトルで。(しつこい)

2011.1.1. UP



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