もしもの話
      〜夕鈴のバイトが本当に終了したら〜




[ 3.姫君の反抗 ]


 "妃が後宮を去った。"
 その噂は瞬く間に宮中に広まっていった。
 可能性が見えてきたと娘を持つ大臣達は色めきだち、間近で2人の仲睦まじい姿を見てい
 た若い官吏達は驚きを隠せずにいた。



 そして、その話は夕鈴を姉のように慕う彼女の耳にも届いた。

「お父様、それは本当ですか?」
 紅珠が青ざめた顔で問い返すと、父は少し困った顔をする。
「私が嘘をついたことがあるかい?」
 切れ者と噂の氾史晴は、末娘には甘いと評判だ。
 彼女の意に反することはしない。それは紅珠も知っていた。
「…ならば、本当にお妃様は後宮を去られたのですね。」
「陛下とお妃様の間に何があったかは分からないが… それだけは事実だよ。」
 去った理由についてはいくつかの噂がある。
 そのどれも本当のようで嘘のようなものだったから、彼はどれも信じてはいなかった。
 同時にそれを娘に伝えようとも思わない。

「……お父様、お願いがあります。」
 しばらくの後、彼女は鈴の鳴るような声で言った。
「紅珠の願いなら全て叶えてあげるよ。」
 どこまでも娘に甘い父はそう言うとにこりと微笑む。
「それでは、陛下と直接話せる時間を下さいませ。できれば今すぐに。氾家のコネでも何
 でもお使いになれば可能ですわよね?」
 普通に考えれば、妃のいない今が絶好のチャンスだということになるのだろう。
 けれどこれは違う。
 彼女の瞳は恋する乙女のそれではなく、その奥にはふつふつと沸き上がる怒りを宿してい
 た。
「紅珠?」
 初めて見る娘の貌に、史晴は驚きを隠せない。
 甘え上手の末娘はそこにいなかった。いるのは、凛と佇む1人の女性。
「陛下にどうしても言いたいことがあるのです。」











 父親がどのような手を使ったのかは分からないが、3日後には紅珠は王宮に来ていた。
 たださすがに急すぎる話だったので、陛下の移動の合間にとのことだったが。
 それでも構わないと紅珠は答えた。

「このような場所ですまないな。私もそう時間があるわけでもない。」
 氾家の娘ともなれば普通なら部屋に通されて話すのだろうが、今回は廊下で彼を待ちその
 場で話す。
 彼は特に悪いとは思っていないようで、言葉は表面だけのものだとすぐに分かった。
 けれど、紅珠にとってはどうでも良いことだったから気にしなかった。
 重要なのは短時間でも本人と話すこと。真実を本人の口から聞くことだ。

 李順が人払いを引き受け、彼と紅珠は2人きりで相対した。
「ご安心下さいませ。私もこちらの方が都合が良いですから。そんなに時間も取らせませ
 ん。」
 以前の花が飛ぶような雰囲気とは真逆の、強い眼差しで目の前の人物を見上げる。

 誰もが恐れる狼陛下。この方を止められるのはお妃様だけだった。
 今助けてくれるあの方はいない。けれど怯えて引く気もない。

「それで、直接申したいこととは?」
 早く済ませろと言いたげな態度にも怯む気持ちを抑え込む。
 真実を聞かずには帰れなかった。心の底からお慕いするあの方の為にも。
「お妃様が何故後宮を去られたのかをお聞きしたくて。」
 何を言うのかと思えば。そう言いたげにあからさまにため息をつく。
「"何故"の答えなら、そこら中に転がっているだろうに。父親から聞かなかったのか?」
「お父様は不確かなことは口になさいません。私も信じません。」
 だから直接聞きたかったのだと答えると、相手は人を見下すかのように薄く笑った。


「…でははっきり言おう。必要なくなったから切り捨てた。それだけだ。」
 瞬間的に、頭に血が上った。
「なっ」
「私を誰だと思っている?」
 それを遮るように、ぞっとするほど冷たい瞳で言い放つ。
 あまりの気迫に紅珠は思わず言葉を失った。


 冷酷非情の狼陛下。
 それはあんなに愛した妃でさえ簡単に捨ててしまえる。

 私なら絶対に耐えられない。
 これではお妃様が可哀想すぎる。

 でも同時にどうにもできないのだと思った。
 陛下が切り捨てたのなら、彼女はここへは戻ってこない。
 そこは納得するしかなかった。

 ―――ならば、もうひとつ知りたいことがある。


 心を落ち着かせる為に、紅珠は小さく息を吐いてまた顔を上げた。
「…分かりました。それではお妃様は今どこにいらっしゃいますか?」
「知ってどうする?」
 冷たい瞳で見下ろされても今の紅珠は物怖じしない。
「会いに行きます。」
「会って何をしたい?」
「ただ会いたいと思うだけです。」

 そう、理由はない。会いたいだけだ。
 別れさえも言えなかった あの人に。

「陛下とお妃様…いえ、夕鈴様の関係がなくなっても、私にとってあの方は姉と慕う大事
 な方ですわ。」
 陛下には必要なくても私には必要な方。
 突然現れた私という存在に何も思わないはずはないのに、それでもいつも優しくしてくだ
 さった。
 そして陛下の怒りから私を庇ってくださった。
「教えて下さらないのなら自分で探します。」
「好きにすれば良い。」
 どうでも良さそうに言われても、だからなんだと思う。
「はい、好きにします。―――それでは失礼いたしますわ。」








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2年後くらいを想像してるので、紅珠も成長したということで。
つーか 紅珠って気が強い気がします。
彼女の中では完全に 夕鈴>陛下 です(笑)

2011.1.3. UP



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