もしもの話
      〜夕鈴のバイトが本当に終了したら〜




[ 5.下町での再会 ]


「几鍔くん。」
 町の真ん中で名前を呼ばれて振り返る。
 俺をこう呼ぶ人間は今のところ1人しかいない。
「何だよ?」
 答えつつふり返れば、そこにいたのはやっぱりあの男だった。

 目深に被った外套は古ぼけてはいるが割と上等な生地。
 縁のある眼鏡の奥で穏やかに笑みを浮かべているこの男。
 へらへらとしているように見せかけて、歩く姿には全く隙がない。
 夕鈴の上司なら文官だろうが、そこらの武官より腕は上なんじゃないかとさえ思う。

 "胡散臭くて得体が知れない"
 それが几鍔の中のこの男の印象だ。


「夕鈴がどこにいるか知ってる?」
 開口一番その名前が出てきてイラっときた。
 お前がそれを聞くのかと。
「今さら会ってどうすんだ? これ以上傷つけるようなことを俺が許すと思うか?」
 几鍔の言葉に相手は一瞬きょとんとする。
 意味が分からないとでも言いたげに。
「そんなつもりはないよ。」
「じゃあどういうつもりだ?」
 それが余計にイライラを誘って、思いっきり相手を睨みつけた。
 ムカつくが、この男はそれで引き下がるような相手ではない。
「とにかく夕鈴に会わせてくれないかな。」
「嫌だと言ったら?」
 往来のど真ん中での駆け引きは人目を引いた。
 しかし相手は気にしていない様子だし、几鍔もそんなものを構ってはいられない。
 ―――会わせたら、夕鈴がまた傷つくと思った。
 だから、この場を譲る気にはならなかった。











「姉さん! そっちに行ったら駄目だよ!」
 先に行く夕鈴を青慎が慌てて止める。
 この先のある2人のやりとりを見てしまった彼は、今必死で姉を止めていた。
 青慎もまた あの噂を信じていたから、姉とあの人を会わせてはいけないと思っていたの
 だ。
 けれど、意味が分からない姉にそれは伝わらない。
「でも、こっちに行かなきゃ野菜が買えな――――」

「夕鈴!」

 よく知った声に呼ばれて、そこで夕鈴の視線は持って行かれた。
 ここは下町のはずだ。絶対に聞こえるはずがない声だ。

 でも、―――視線の先にはその彼がいた。



「ななななんで、へ…李翔さんがこんなところに!?」
 有り得ない。
 あわあわと慌てる夕鈴を見て、彼は申し訳無さそうな顔をする。
「ごめんね。でもどうしても会って話したいことがあって。」
「今さら何の話だよ。」
 彼が手を伸ばすより早く、2人の間に割り込んだ几鍔が彼女を背に庇った。
「几鍔!」
 几鍔は彼が夕鈴を捨てたと誤解したままだ。
 夕鈴が前に出ようとするのを制し、"李翔"を睨んで威嚇する。

「夕鈴、少しの間だけで良い。2人で話がしたいんだ。」
 それでも彼は几鍔の後ろの夕鈴を見て言った。

 真っ直ぐに、真剣な眼差しで。

 わざわざ"彼"がやってくるほどの用事だ。
 何か大切な話なのかもしれない。


「―――分かりました。私の家で良いですか?」
「夕鈴!?」
 驚いて背中を振り返る几鍔に夕鈴はにこりと笑む。
「ありがとう、几鍔。でも大丈夫よ。話をするだけだもの。」
 次いで彼女は弟の方を見た。
「青慎、大根と人参をお願い。それから味噌とお醤油もね。持てないなら几鍔に手伝って
 もらって。」
「オイ。」
 つまり終わるまで近づくなと。
 几鍔の抗議の声は無視だ。
「…うん。分かった。」
 何かを察したのか、青慎は小さく頷いた。
 本当によくできた弟に優しく笑う。
「ありがとう。…それじゃ李翔さん、行きましょう。」







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陛下vs几鍔はいろいろなパターンを書きたいですね。
今回は小犬陛下とですが、いつか狼陛下とも書きたいです。
次が長めなのでこれは短いです〜

2011.1.5. UP



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