もしもの話
      〜夕鈴のバイトが本当に終了したら〜




[ 6.気づいた気持ち ]


 後宮にいた頃と同じように、彼女がお茶を淹れて僕の前に置く。
 ありがとうと手に取ると彼女はどういたしましてと言って向かいに座った。
 後宮とは同じようで違う。この前の休暇の時はいつも青慎が一緒にいたからそれとも違
 う気がする。

 けれど、葉の種類や香りが違っていても、一口飲んだらやっぱり彼女らしい味でホッと
 した。


「…紅珠と方淵が私を?」
 2人が夕鈴を探している、それを聞いて彼女はきょとんとする。
 探される理由が分からないらしい。
「うん。君がいなくなったことに納得できないって。」
 彼女が思う以上に、2人は彼女を想っていると。
 それを言うのは何だか癪だから言わなかったけれど。
「それを伝えにわざわざ陛下が?」
 それも当然聞かれると思っていた。
「李順は君の家を知らないし、何より目立つでしょ? その点僕なら下町のみんなと面識
 もあるし。」
「思いっきり止められてましたけどね…」
「なんか僕悪い人になってたよね。」
 あそこに夕鈴が来なかったら下町から追い出されそうな雰囲気だった。
 すると夕鈴が申し訳なさそうな顔をする。
「あー…すみません…… 何故か私が李翔さんにふられて帰ってきたみたいなことになっ
 ちゃってまして。バイト期間が終わったからだって何度説明しても信じてくれないんで
 すよね。」
 その認識は仕方ないかなと思う。
 掃除娘の休暇に付いて来て、挙句家に泊まる上司なんて普通いない。
 それが突然帰ってきて、そこにその男がいなかったらまあそう思われるだろうと思った。



「それで私はどうすれば良いんですか?」
「え?」
 思わず聞き返すと彼女の方も不思議そうな表情で返す。
「? バレるとまずいから隠れてろとかそういう話じゃないんですか?」
「え、いや、そういうことはないんだけど…」

 バレても構わないと思っていた。
 ただ夕鈴が驚くだろうと思ったから伝えに来ただけだ。
 そこで自分自身に疑問が浮かぶ。

(わざわざ変装して? 政務を放ってまでして?)

 李順が何も言わずに送り出してくれたから気にしなかったけれど、ここまで来る必要は
 あったのか。
 よく考えればおかしなことだ。
 バイトを雇ったのは切り捨てやすくするためで、今の彼女と自分には何の関係もない。


「じゃあ何しにいらしたんですか?」
 彼女の言葉は素直な疑問。

(本当に何しにきたんだろう?)
 心の中でも自分に問うた。


『ただ会いたいと思うだけです。』

『知りたいのは私です。』

 2人の言葉を不意に思い出す。


(…あれ?)


 彼女の意志が固いのが分かったから止めなかった。
 止めても無駄だと思ったから何も言わなかった。

 でも僕はここに来た。
 どうして、と思いながら、もう答えは見つかっていた。
 きっと、2人の言葉が全てだ。


「そういうことかぁ…」
 1人で納得して1人で笑う。
 当然意味が分からない夕鈴は首を傾げるだけ。
「陛下?」
「…君に、会いたかったんだと思う。」
 理由なんて何でも良かった。君に会えるなら。
「君がいないと毎日がつまらないんだ。」
 一瞬だけ、夕鈴が手を止めた。
 けれどそれもなかったかのように、彼女はすぐに明るい笑顔を向ける。
「新しいお妃様が来たらそんなことなくなりますよ。」
「要らない。」
 そんなの聞きたくない。だから聞きたくない言葉は遮った。
「僕は君が良い。夕鈴じゃないと嫌だよ…」
「陛下…?」
 彼女は戸惑った様子で見つめる。
 自分がどんな顔をしているかなんて今の自分には分からない。

 でも、余裕なんてとっくの昔に失くしていたから。


「―――…夕鈴。今から言うことは耳を塞いで聞かないでね。」
 前置きもなく唐突に話を切り出した。
「?」
 ワケが分からないと疑問符を飛ばしながらも、素直な夕鈴はとりあえず言われた通りに
 耳を塞ぐ。
 その彼女に手を伸ばし、正面から強く抱きしめた。
「!?」
 身体が密着してしまえば お互い顔が見えない。
「へい…」
 焦った彼女が腕の中で離れようと身じろぐ。
 それを止めるように腕に力を込めると抵抗は止んだ。

「―――帰ってきて。君に傍にいて欲しいんだ。」
 ビクリと彼女の身体が強張る。けれど構わずに言葉を続けた。
 彼女は今の話を「聞いてない」はずだから。
「君がいないと駄目なんだ… 政務はやる気が起こらないし、何を見ても面白くないし笑
 えない……」
 何も聞いていない。聞こえていない。
 それを口実に心の内を正直に口にする。
「夕鈴……」

 彼女は無視することもできる。
 何を選ぶかは彼女次第。


「ズルイ…」
 少しの間の後で、ぽつりと夕鈴が言った。

「そんなの聞いて、聞かないふりなんかできません。」
 少しだけ身体を離して覗き込むと、彼女は耳まで真っ赤にしている。
「私は陛下のお願いに弱いんですから。」


 本当は分かっていたのかもしれない。
 だって彼女は優しいから。
 だから、こう言えば彼女が僕を放っておけないことも。

(ズルくてゴメンね…?)
 再び捕らえた可愛い兎に心の中で謝った。












「は? 王宮に戻る?」
 ちゃんと味噌と醤油まで買ってきてくれた几鍔は、玄関先でそれを聞いて思いっきり顔
 を顰めた。
「人手が足りないんですって。」
 けろっとして言う彼女からは、中で2人がどんな話をしたのか窺い知れない。
 本当に雇用関係というだけなのか、捨てた女とヨリを戻しに来たのか。
 ただ、隣の男の胡散臭い笑顔のせいで 夕鈴の言葉を全てを信じることはできなかった。
「それでわざわざ上司が迎えに? お前やっぱり騙されてないか?」
「夕鈴が優秀なだけだよ。彼女の優秀さは君がよく知ってるでしょう?」
 この男のにこにこ笑顔は信用ならない。
 けれど、そう言われてしまえば自分は何も言えなかった。
 幼馴染の少女が真面目で努力家だということは、自分が誰よりも知っていたから。

「…ったく人騒がせだな。さっさと戻れ。」
 シッシと手で払いながらぶっきらぼうに言い放つ。
 こいつらに付き合うのは疲れた と。
 そんな几鍔の態度に、夕鈴は小さく苦笑いをする。
「几鍔、さっきはありがとう。心配かけてごめん。」
「なんだ、気持ちわりーな。」
 いきなり殊勝な態度を取られて戸惑った。
 そしてやっぱり素直じゃない言葉しか出てこない。
「失礼ね。たまには素直に受け取りなさいよ。」
 言葉ではそんな風に言いながらも、彼女は几鍔の捻くれた心情を分かっているようで。
 几鍔に向けるその顔は笑っていた。


「夕鈴。」
 彼に呼ばれて はいと答える。
 そうして几鍔の隣に立つ弟を見た。
「青慎。突然帰って来てまたいなくなっちゃうけど、本当にごめんね。」」
「大丈夫だよ。うちのことは任せて。」
 本当に優しい弟はそう言って穏やかに笑う。
 まるで、こうなることが分かっていたかのように。

「行ってらっしゃい、姉さん。」
「うん。行ってきます。」
 手を振ると先で待つ彼に走って追いつく。
 2人の姿はすぐに人込みの中に消えた。







→次へ





---------------------------------------------------------------------


耳を塞がせて本音を言う陛下が書きたかったんですよねーvv
ちなみに自覚したのは恋心じゃなくて、彼女の気持ちよりも自分を優先しちゃう彼の中の欲です。
恋心はとっくの昔に自覚してますから!(笑)

2011.1.6. UP



BACK