もしもの話
      〜夕鈴のバイトが本当に終了したら〜




[ 7.バイトの再雇用 ]


「陛下…」
 呆れてものも言えない。そんな表情で李順は2人を出迎えた。
「連れてきちゃった。」
 えへ、と小犬の顔で言う彼の隣でビクビクと震えている哀れな兎。
 大きく溜め息をついたらさらにビクリと肩がはねた。


 予感はしていた。
 陛下が彼女に会いに行ったところで、そのままにしておくはずがない。
 最初から逃がす気がなかった兎を一度手離しただけでも驚いたのに。

 そして彼女はここへ戻ってきた。
 再び狼に囚われて。

 彼女がどんな風に丸め込まれたのか分からないが、李順は陛下の言葉に従うのみだ。
 彼が自ら望んで連れて来たのなら文句は言わない。


「早く着替えてきてください。今後の雇用条件についてお話をしましょう。」
「はい!」
 いつもの反射か、彼女は背筋をピンと伸ばして返事する。
 仕事が増えたなと頭を痛めながら、その元凶の 彼女の隣でニコニコ笑う陛下にも現実
 を告げた。
「陛下も急ぎお戻りを。周宰相がお待ちです。」
「あー… 分かった。」
 途端に渋い顔をしながらも、仕方ないかと呟く。
 自分が悪かった自覚はあるらしい。
「じゃあね夕鈴。また後で。」
「はい。行ってらっしゃいませ 陛下。」
 もうすでに当たり前になったやり取りに、彼は心底嬉しそうに笑った。













「まさか戻ってくるとは思いませんでしたよ。」
 妃の衣装に着替えて上司の部屋へ行くと、その彼に席を勧められる。
 恐縮しながらも向かいの席に腰掛けたところでかけられた言葉に、夕鈴も彼と同じくら
 い複雑な表情で返した。
「私もです…」
 夢から覚めたつもりだった。
 いつかは来ると思っていた現実に戻り、夢のことは忘れてしまうつもりだった。
「でも、陛下が笑えないと仰るから…」


 あんな顔の陛下を見たことがあった。
 狼でも小犬でもない、あれを私は知っていた。

 知っていたから、拒むことができなかった。


「だから、せめて陛下が本物のお后様を迎えられるまでは傍にいたいな、と…」
 後宮のゴタゴタはゴメンだと以前陛下は言った。だからきっと本物は后1人。
 ニセモノの私には与えられない癒しと愛を与えられるその人が現れたら。
 ―――その時が本当の終わり。

「貴方は、それで構わないんですか?」
 確認するかのように、彼はゆっくり言葉を切りながら言った。
「治世が安定するまで何年かかるか分かりません。ただでさえ嫁き遅れと言われている
 貴女に、その時責任を取れと言われても困りますよ。」
「嫁き遅れは放っといて下さい!」
 ああもう何言い出すんだこの上司!!
 真面目な顔で言われるから何かと思ったら。
 ―――でも、彼は夕鈴がここを出て行った理由を知っている。
 つまり、彼が言いたいことは…
「そんなこと言いません。乗りかかった船ですから、この際トコトン付き合いますよ。」
 心配している彼に夕鈴は笑う。
「大丈夫です。自分の立場はわきまえていますから。隠し続けるのは大変かもしれない
 けれど、今後も伝える気はありません。」


 夢と現実の区別はついている。
 あの人が与える全ては幻想だと知っている。

 だけど、狼でも小犬でもないその奥の彼がまだ夕鈴を必要としているなら。
 自分を抑えてでもあの人の力になりたいと願う。

 
「そこまで覚悟しているなら何も言いませんが。」
 決意を秘めた夕鈴の瞳を見て李順も悟ったのだろう。
 臨時花嫁を続けることを認めてくれた。

「…さて、貴女が戻ったなら彼女達を呼び戻さないといけませんね。」
「え?」
 誰のことだろうと首を傾げる。
「貴女を慕うあまりに辞めてしまった者が何人もいるんです。」
「ええっ?」
 自分にそんな影響力があるとは思えなかった。
「妃付きの侍女と部屋付の女官、それに貴女は下女にも声をかけていたでしょう。」
 皆 夕鈴が別れの挨拶をした後で辞意を申し出たのだと説明される。
 けれどそう簡単には信じられなかった。
 短くはないバイト期間だったが、そこまで長いわけでもなかったはずだ。
 誰かに影響を与えるなんて思いもしてなかった。
「貴女や私が思う以上に、貴女の影響は強いようです。私も覚えておきましょう。」
「はい… 私も、彼女達にお礼とお詫びを言いたいです。」


 偽者の妃を慕ってくれた彼女達に。

 そして今度のお別れの時にはきちんと言おう。
 そのままの気持ちで、新しいお后様の傍にいて欲しいと。

 その人こそが、本来彼女達が仕えるべき後宮の主なのだから。







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李順さんと夕鈴の会話でした。
夕鈴がどんな気持ちで戻ってきたのかを書こうかなと。
前回が陛下視点だったので。

2011.1.7. UP



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