誰のもの




[ 3.使者と夕鈴 ]


 翌日は午後から政務室へ向かうことになっていた。
 そんな時はいつも少し早めに行って書庫の整理をするのが夕鈴の日課だ。
 たまに方淵に出くわすと舌戦が始まるが、それでも止めようとは思わない。
 方淵と違って何も手伝えない夕鈴にとっては、それが唯一自分にできることだったから。


 夕鈴が数人の侍女を連れて回廊を渡っていると、そこから見渡せる庭園に昨日会った使
 者の姿が見えた。
 しばらく滞在するとのことだったので、散策でもしていたのだろう。
 あちらも夕鈴に気がついたのか目が合ったので、とりあえずにこりと笑って頭を下げた。

「…あれ?」
 それで終わりだと思っていたら、彼は軽い身のこなしでこちらへとやって来る。
 気がつけば欄干を隔てたすぐ下まで彼は来ていた。


「お妃様、ご機嫌麗しく存じます。今日もお美しいですね。」
「あ、ありがとうございます。」
 恥ずかしい言葉をさらりと言われて照れる。
 お世辞だと分かっていても恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「信じておられませんね。本当のことですよ。」
 そう言って笑うこの人は、きっと人から好かれるタイプなんだろうと思う。
 会ったばかりの夕鈴でさえ警戒心を抱かせない。
 氾大臣とはまた違う、不思議な魅力を持つ人だった。
「昨日はすばらしい贈り物をありがとうございました。」
「いえ。そんなに喜ばれたのなら、選んだ甲斐があるというものです。今回は無理です
 が、次の機会にはあれを纏ったお妃様のお姿を一目でも見てみたいですね。」
「考えておきますわ。」
 たぶん全部李順さんに持って行かれるんだろうけど。
 でもそういうことなら陛下が頼んでくれるかもしれないから聞いてみよう。
「ええ、ぜひ。」



 それからしばらく何となく沈黙が続いて、使者はふと庭園へと視線を向けた。
「…我が国の王宮も美しいですが、こちらも負けずに美しいですね。」
 陛下も気に入っている庭園を褒められて嬉しくなる。
 それに 欠かさず手入れしてくれる庭師さん達の苦労も報われるというものだ。
「良かったですわ。ここからの眺めは私も気に入っています。」
「それならば、お妃様もお降りになって一緒にご覧になりませんか。」
 突然の誘いにどうしようかと少し躊躇う。
 けれど、まだ陛下が戻るまで時間もあったので、夕鈴は一つ頷いて了承した。





 使者殿の手を借りて階を降り、2人で並んで庭園を眺める。
 午後の日差しが暖かく、日向に出て正解だと思った。
 たぶん、彼はそれを見越して外に誘ってくれたのではないだろうか。

「西側の庭園にはもう行かれましたか?」
「いえ。」
 夕鈴の問いかけに彼は首を振る。
 視線で理由を問われた夕鈴はそちらを扇で指差してみせた。
「今の時期はあちらの花が見頃なんです。ぜひ行かれてみて下さい。」
「お妃様はよく外を歩かれるのですか?」
「ええ。たまに、陛下も ご一緒に…」
 自分で言って照れる。
 その様子に使者が微笑った。
「お妃様は不思議な方ですね。貴族の姫君は気位の高い方ばかりだと思っていたのです
 が、お妃様は私のような者にも気さくに話してくださる。」
「…それは私が変わっているということでしょうか。」
 否定はできないけれど。だって私は貴族の姫君じゃないし。
「そうご自身を卑下されないで下さい。お妃様のその分け隔てない御心故に、貴女を皆
 が慕うのですから。」
「あ、ありがとうございます…」
 嫌われてはいないと思うけど、慕われているのはどうだろう。
 後ろに控える侍女達の様子がちらりと気になる。
 聞いてみたことがないので分からないけれど。

「…陛下がお妃様を大切にされる理由が分かる気がします。」
「え?」
「陛下はお妃様一人がいれば他は要らないと仰られましたが、なるほどここまで可愛ら
 しい反応をされれば他は目に入りませんね。」
 笑顔を深める使者の言葉にまた照れてしまった。
 お世辞なんだろうけれど嫌味がないというか。そんなことないですよって否定すらしに
 くいというか。
「…使者殿は褒めるのがお上手ですね。」
 とりあえず繕って笑顔を作ることしかできない。
 陛下を見習ってもっと演技を勉強しないといけないなと思う。
「本心ですよ。陛下は我が国の姫との縁談も即お断りになられました。実はそれが納得
 いかず参ったのですが… お妃様を見て理解できました。これで私も」

「夕鈴!!」

「は、――――…っっ!?」
 鋭い声が飛んだかと思うと、振り返る前に浚われるように抱き上げられた。
 それはよくあることなのだけど。

「これは、陛下…」
 使者もすぐに膝をついて礼を取る。
 しかし、使者の挨拶をも無視して 彼は夕鈴を抱えたまま踵を返した。
「!? ちょ…っ 待ってください陛下! まだ話が終わっ… 陛下!!」
 夕鈴が慌てて止めるけれど、彼は聞いてくれない。

 使者を無視するなんて有り得ない。
 いくら冷酷非情の狼陛下といえども、彼は客人で彼の臣下ではないのだ。

(何考えてるの この人!?)

 夕鈴を含めた周りの戸惑いもお構いなしに、彼が向かうのは後宮の方角。
 その足に迷いはない。
 どんなに夕鈴がじたばたと暴れても、陛下の足が緩むことはなかった。

「陛下っっ」
「静かにしていないとこの場でその口を塞ぐ。」
「っっ!?」
 不穏な空気を感じて思わず黙り込む。
 侍女達も付いて行くか迷っている間に、彼は夕鈴を抱えたままその場を去ってしまった。

(何? 何なの??)

 怒っているのは分かる。
 でも、何故、誰に何に怒っているのかが分からない。





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陛下がプッツン切れました。
たぶん階を降りる辺りから見ていたと思われます。

2011.4.30. UP



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