勿忘草の花言葉 -1-




 ちりん、と鈴の音が鳴る。

 高く細い不思議な音色
 耳に残る涼やかな音


 それはどこで聞いたのだったかしら…?






「うー…あたま いたい……」

 寝台で唸る夕鈴の額に大きな掌が添えられる。
 ひんやりして気持ち良く、ホッと息を吐いてからゆっくり目を開けた。
「明日には熱も下がるよ。」
 枕元の椅子に腰かけた陛下は目が合うとにこりと笑う。
 けれど、その優しい声掛けに、夕鈴は逆に申し訳なくなってしまった。
「…すみません。」
 バイトの身でありながら倒れてしまうなんて。これではバイトに支障が出てしまう。

(ただでさえあまり役に立っていないのに…)

 そう思うと自己嫌悪に本気で凹んだ。

 そんな夕鈴に、再び彼は優しく触れる。
「良いんだよ。今夜はゆっくり休んで、」


「―――どうして池に落ちても平気な人が、何もなく風邪を引くんでしょうね。」
「「!?」」
 柔らかな雰囲気の中、突如割り入った声の方へ、2人は同時に視線を移した。

「李順、さん?」
「何故お前が妃の部屋に?」

 その疑問は当然のこと。
 ここは陛下の私室ではなく夕鈴の居室。
 本来は国王以外の男は入れない。唯一の例外といえば後宮管理人の老師のみ。
 その他は非常時の衛兵くらいだが、それでも陛下か老師の許可が必要だ。

「張老師に許可は得ましたよ。」
 2つの視線を受けても李順は気にかけない様子で答える。

 老師に許可を得る際に邪魔をするな等と散々文句を言われたが、臨時花嫁なんだから知っ
 たこっちゃないとはねのけた。
 李順からすればバイトの体調よりも仕事の方が大切だ。
 話す元気があるならば死ぬほどの病気でもないだろうし。

「陛下、至急見ていただきたい書類があるのでお戻りください。」
「えー」
 李順の予想通りに彼は心底嫌そうな顔で抗議の声を上げる。
「侍女達も困っているようですよ。陛下が人払いをしてしまわれるからお妃様の看病がで
 きないと。」
「良いのに。僕が看てるんだから。」
「そういうわけには」

「そうです。ダメですよ!」
 叫んでから夕鈴ががばりと起き上がった。

「…夕鈴、僕は嫌なの?」
 小犬陛下がしゅんと項垂れたのを見て彼女は慌てる。
「え、いえ、そういう意味ではなくてですね… 陛下に風邪をうつすわけにはいきませんか
 ら。」
「そうですよ。陛下が倒れてしまっては元も子もありません。」
 ここぞとばかりに李順も夕鈴に賛同する。
 理由は違えども目的が一緒なら意見は2対1。
「僕は人より丈夫だから平気だよ。」
 それでも彼はそう言って動こうとしない。
 看病してくれようとしているその優しさは、夕鈴にしてみれば嬉しいことなのだけど。
 今はそれでは困るのだ。
「陛下、私は大丈夫ですから。明日元気になってから会いましょう。」

 本当は頭が割れそうに痛いけど。
 ここで我慢しないと陛下は戻らないし、後ろで李順さんは怖いし。

「お仕事頑張って下さい。」
 精一杯の作り笑顔で陛下に声をかける。
 気づかれてはいけない。気づいたらこの人は絶対ここから動かない。

「……分かった。じゃあ明日の朝は一緒に食べようね。」
 小さな溜息をついて陛下はようやく重い腰を上げた。
「はい。」
 名残惜しげに出ていく陛下を座ったままで手を振りながら見送る。

(まだ、ダメ…)

 出る直前に彼はもう一度振り返って夕鈴を心配そうに見た。
 それに笑顔を張り付けたままで大丈夫だと言ってみせる。

(はやく、あと少し……)

 祈るような心地で、夕鈴は侍女に言付ける彼の声が遠ざかるのを聞いていた。




「…はぁ……」
 2人の足音が遠く消えてから、どっと疲れが出て再び寝台に倒れこむ。
 正直もう限界だ。
 瞬きをすると、痛みからの涙が目尻を伝っていった。


「本当にこれ、風邪なのかしら…」

 頭が割れるように痛い。そのせいで少し吐き気もある。
 けれど、風邪を引くようなことをした覚えもない。

「寝不足だから、かしら…?」
 今のところ思い当たるのはそれしかない。
 けれど、考え事をしているうちに意識は落ちていった。







*








 明るいというわけではないが、夜明け前なのだろうか、明かりがなくてもものの判別がつ
 く程度の明るさはあった。
 寝起きのせいで良く回らない頭でボケッとしながらとりあえず起き上がる。
「…?」
 頭に靄がかかったような感覚でどうもはっきりしない。
 とりあえず頭を振ってみたけれど、やっぱりどこか重い気がした。

「………」
 足元に感じる違和感にふと彼女はそちらへと目を向ける。
 やけに重いと思ったら、誰かが椅子に座ったまま寝台に突っ伏して寝ていた。
「…あの、」
 小声で呼びかけるとその人はすぐに目を覚ます。

「―――あれ、もう起きたんだ?」
 数回瞬いて目が合うと、彼はにこりと微笑った。
 自分とは正反対に軽く伸びをしただけですっきりしたらしく、さっと枕元の椅子から立ち
 上がる。
「…大丈夫?」
 そのまま身を乗り出した彼が顔を近づけてきたので、突然の至近距離に驚いて思わず後ろ
 に飛び退いた。
「なななな…っ!?」
 壁にガンと張り付いて、その場に置き去りにしてきた彼を凝視する。
 この反応に向こうもビックリしているけれど、こちらの方がもっとビックリした。

(いきなり何!?)

 思いっきり跳ね上がった心臓はいまだにバクバクと大きな音を立てている。
 顔を真っ赤にしながら涙目で見つめると、一瞬ポカンとした彼は、ちょっと納得いかない
 ような様子で椅子に戻った。
「…熱がないか確かめようと思ったんだけど。」
「す、すみません… ビックリしたので…」
 おかげで目は覚めたけれど。心臓はまだ痛い。

「良いよ。それでもう大丈夫なの?」
「あ、はい。なんともないです。…それで、あの……」
 それ以上は言いにくくて、少し視線を巡らせる。
 言って良いのかとちょっと迷う。でも聞かないと分からないままだし。


「……、あの、貴方は誰ですか?」
「へ?」
 再び彼がポカンとなった。
 仕方ないと思うけれど。自分でも変なことを言っている自覚はある。
「ついでに言うと、私も誰なんでしょう?」
「は!?」
 彼が戸惑うのも無理はない。
 自分だって何が何だか分からないのだから。

「ゆ、夕鈴??」
「ゆーりん? それが私の名前ですか?」
 いまいちピンと来ない。
 その反応に、さすがに彼も焦りの表情を見せた。
「…ねえ、冗談、とかじゃ……」
「冗談? こんな時にそんなこと言いません。」
 冗談なんか言うつもりもない。
 どこか縋るような声にも、正直に答えるしかなかった。


「―――――っ」
 音を立てる勢いで立ち上がった彼が、奥の間に控える侍女を呼びつける。
「今すぐに張老師をここへ呼べ!」
 鋭い声は空気をビリビリと震わせるほど。
 背を向けられてもビクリとするくらいだから、真正面から受けた彼女はどれだけ怖かった
 だろう。

「は、はい!!」
 サッと顔を青褪めさせた彼女は慌てて部屋を走って出て行った。





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「何度でも君に…」とネタが被ってるというのはこういうわけです 秩父様。
ちょうど書き出してたところだったので、あまりのシンクロ率にびっくりしました(笑)

そんなに長くするつもりはありませんが… 皆様しばらくお付き合いください。

2011.5.3. UP



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