勿忘草の花言葉 -4-




 怖いことからも危険なことからも全部全部遠ざけて。
 何も知らせず、何も知らず、真綿に包むように。
 綺麗で優しい世界だけを君に。

 ―――本当は、ずっとこんな風に守りたかった。








「可愛らしい花ね…」
 青い小さな花が目について、夕鈴はそれに手を伸ばす。
 華美ではない控えめさが妙に気に入った。
「何て名前だったかしら…」
 5つの花弁が開いた青い花の名前。
 思い出せなくて1人呟く。


 今日は朝から後宮の庭に降りて、夕鈴は美しい眺めを思うままに堪能していた。
 陛下から、後宮内であれば出歩いても良いとようやく許可がもらえたのだ。

 どうやらじっとしているのが苦手らしい私は、それにとっても喜んで、朝食を終えると早
 速侍女を連れて庭に出た。

 時折四阿で休息を取りながら、約束の時間まで探索を楽しむ予定だ。
 来客者は四阿の1つを指定してきたので、その近くにいれば問題はない。


「…勿忘草というのですわ。」
 眺めていると傍らの侍女が教えてくれた。

 チリン…

 同時に鈴の音が聞こえる。
 どこだろうと顔を上げて見渡してみると、それはその侍女の耳飾りの音だと気が付いた。
 今 彼女が示した花と同じ小さな青い花の飾り。
 彼女が動くのと合わせて鈴の音が鳴る。

 どこかで聞いたことがあるとずっと思っていたけれど、彼女の音だったのか。
 夕鈴の傍にいる侍女のものなら、いつも聞こえていてもおかしくない。

 ここ最近の疑問が解消されて心の靄が晴れた気がした。


「"私を忘れないで"という意味です。」
「忘れないで…か。」
(今の私は忘れてしまっているのだけれど…)
 内心で呟いて、再びその花に目を落とした。

 思い出した方が良いのだろうと思う。
 けれど陛下はどちらでも構わないと言っていた。
 夕鈴は夕鈴のままだから、だからどちらでも良いのだと。

 …それが本心なのかは分からないけれど。



「―――夕鈴殿。」

 呼ばれて振り返ると、会う約束をしていた人物がそこに立っていた。
「…ええと、李順様。」
 確か、陛下の側近と称される人物だとか。
 記憶を失くした件について話がしたいと言われていたのだ。
「ご足労ありがとうございます。」
 礼をして挨拶をすると、何故か彼に微妙な顔をされてしまう。
 言い方を間違ったつもりはなかったのだけれど。
 疑問が顔に出ていたのか、「何でもありません」と言って、彼は夕鈴を四阿の方へと誘っ
 た。









 先ほどの侍女は部屋に帰し、2人で対面して座る。
 2人分のお茶はその前に他の侍女に準備してもらっていた。


「―――…分かりました。」
 一通りの質疑を終え、わずかに沈黙が落ちる。
 互いに渇いた喉を潤すためにお茶を手にして一口含んだ。

(あ、そうだ…)
 この人に聞いてみたいことがあったのだということを夕鈴はふと思い出す。
 側近というからには陛下に近しい人のはず。
 誰にも言えなかった悩みだけれど、この人になら言っても良いだろうか。

「あの、李順様…」
 名前を呼んだらまた微妙な顔をされたが、お茶を飲みながらも「何ですか」と聞き返して
 きてくれたので安心する。

 それはずっと気になっていることだ。
 陛下はいつも優しいけれど、不満―――というか不安なところが1つだけあった。


「陛下が泊まって下さらないのは私に記憶がないからでしょうか。」
「!?」
 途端にぶっと李順がお茶を吹き出す。
 ゲホゲホとむせながら、彼は思いっきり渋い顔をした。
「夕鈴殿… 言っておきますが、陛下は」


「―――不安にさせてしまったか。」

 李順の言葉を遮って、背後から声をかけられる。
 それと同時にふわりと彼の腕に囲われた。





*





 李順と夕鈴が四阿で話をしているのは聞いていた。
 だから宰相との話を早めに切り上げて後宮に戻ってきたのだ。

 後ろを向いた夕鈴の表情は見えないが、李順が珍しくお茶を吹き出すなんて芸当を見せた
 ものだから、その内容に興味が沸いて足を速めた。

『夕鈴殿… 言っておきますが、陛下は』
 青筋を立てて、内心の動揺を押し殺した李順が何事かを言いかけたので遮る。
 全てのものから守るように腕の中に囲った。

 まだ君は何も知らなくて良い。
 僕の腕の中に守られて、笑顔だけを見せていれば。


「陛下…」
 自分を呼ぶ甘い声に、負けないほどの甘い笑顔を返す。
「大事にしたいと思う気持ちが裏目に出てしまったようだ。」
 ついでに渋い顔で座っている李順には、余計なことを言うなと目で威圧しておいた。
 彼はまだ何か言いたげにしていたが、それも黙殺して。

「―――記憶が戻った時の君の反応が怖いのもあるが。」
 こちらを見上げる澄んだ瞳を受けて、笑顔を苦笑いに変える。
 それをどう解釈したのか、彼女の表情も呆れを含んだものに変わった。
「…私ってどんな妃だったんですか。」
「恥ずかしがりやで気が強くて。素直で優しくて可愛くて愛しい。」
「っっ」
 ストレートな告白に彼女はポンッと赤くなる。
 でも抵抗はされなかった。そのまま腕の中で大人しくしている。

 何を言っても演技としては受け取られない。
 記憶がある夕鈴ならあり得ない反応は新鮮で、何よりどんなに触れても怒られないのが今
 までとの大きな違いだ。


 このままで良いのかもしれないと思う自分もいる。
 彼女は本物の妃となり、傍にずっといてくれる。

 それが幻想だと分かってはいるけれど。
 つかの間の夢を見た。














 李順と別れて2人は一緒に夕鈴の部屋に戻る。
 早速お茶の準備をしてくれる彼女を長椅子で眺めながら、過去の彼女とダブらせた。

「…夕鈴は嘘をどう思う?」
「? あまり好きではないです。自分も嘘をつくのは苦手みたいですし。」
 他愛ない質問にも丁寧に正直に答えてくれる。
 返された言葉も変わらなくて嬉しかった。

 どこも違わない。夕鈴は夕鈴のまま。
(このままで何がいけない?)
 甘い誘惑が僕を誘う。
 僕の望みはただひとつ、君とずっと一緒にいたいだけ。

「何か疚しいことでもあるんですか?」
「へ? いや、そういうわけじゃないけど…」
 意味もなく聞いただけなのだ。他意はない。
 正直に答えたら、それなら良いですと言われた。
「だいたい嘘をついてもいつかはバレるんです。そんなことするくらいなら、最初から堂
 々と言えば良いんです。」
「そうだね。君は嘘や隠し事が嫌いだった。だから僕は君の言葉は信じられるんだ。」


 陰謀渦巻く宮中では、笑顔の裏で何を考えてるか分からない者ばかりだ。
 誰もが自分のことしか考えていない。

 そんな中で、彼女だけは違っていた。
 彼女は自分よりも誰かのために行動できる。

 心から心配してくれるのは夕鈴だけだ。
 どんなに危ない目に遭っても、いつも僕の味方をしてくれるのは―――


(ああ、そういえば…)
 彼女らしいエピソードをふと思い出して吹き出す。
 不思議そうな顔をしながら隣に座った彼女が、何ですかと見上げてきた。

「僕を助けるために青磁の壺を投げて壊して李順を青くさせたこともあった。僕は君とい
 られる時間が増えて喜んだんだけど。」
「? どうして壺が壊れると時間が増えるんですか?」
 彼女からの純粋な疑問、それにハッと息を呑む。
「あ…いや… 何でもないよ。」

 記憶がない彼女は臨時花嫁であることを知らないんだった。
 それ以上は何も言えなくなって口を噤む。


 僕が好きな夕鈴は同じ。
 でも、共通の思い出を持たない君。

 今初めて、今の彼女に不安を抱いた。
 今の僕らを繋ぐものは、"嘘"の絆だと気が付いて……





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切るところがなくて長くなりました…
本当は2つに分かれてもいい話ですが、それだと短すぎるので。
で、結局苦労しているのは陛下だという話。

次は少し時間があくかもしれません…(汗)


2011.5.10. UP



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