勿忘草の花言葉 -6-




 バタバタと多くの足音が聞こえる。
 李順が命じられた通りに兵を集めてきたのだろう。

 頭の隅では"王"である自分が冷静に物事を判別している。
 しかし、"黎翔"自身の感情は、そう上手くはいかなかった。


「陛下! 夕鈴殿は―――」

 ガンッ

「!?」
 李順達がいる目の前で、黎翔は柱に拳を打ちつける。
 もちろん、それくらいでは到底怒りは収まりそうになかった。

「舐めた真似を…!」
 ギリ と奥歯を噛みしめる。
 叩きつけた拳は力を込めすぎて白く、爪が食い込んだ掌には血が滲んでいた。


 この私の目の前で彼女を浚うとは、大胆なのか無謀なのか。

 …よほど死ぬ目に遭いたいらしい。
 女だからと私は容赦しない。


「李順! 何を使っても良い。夕鈴を必ず見つけ出せ!!」
 振り返りざまに強い口調で命じる。
「はっ」
 李順と後ろに控える兵共々、全員が礼をとるとすぐに李順の指示の元に散っていった。














 勿忘草… 記憶の中にいつもある青い花
 血に染まった闇色の世界の中で、それだけが色鮮やかだった。

 いつ死ぬか分からない世界にいたから、死ぬ時はこの花を思い出して死にたいと思ってい
 た。


 ―――あの方は、その世界から私を救い出してくれた。
 私に外の世界を見せてくれた。


 ある日あの方に好きな花はと聞かれたから、記憶に残るあの花の名前を言った。
 そうしたら、そのすぐ後に耳飾りを贈られて驚いた。

 優しい優しいあの方は、私に人としての喜びと幸せを教えてくれた。


 あのご恩を忘れない。
 私はあの方の為に生きている。

 元々いつ消えてもおかしくない命だった。
 ならば私は、あの方の為にこの命を使い果たそうと思う。


 だから、あの方の憂いとなる"お妃様"を―――― …消してしまおう。















「運が強い御方だわ。」
 全身に闇色を纏い、彼女は静かに―――少し苦々しい表情で夕鈴を見下ろす。

 侍女の衣装を身に包んでいる時とは全く印象が違って見えた。
 変わらないのは耳を飾る青い花だけ。

 後ろ手に縛られて動けない夕鈴は、ただ黙って自分を浚った"刺客"を見つめ返す。


『夕鈴!』
 陛下の声が耳に残っている。今頃きっと探しているんだろう。
 そんなことを考えながら、やけに冷静な自分に驚いていた。
 普通の姫君はこんな時にこんなに落ち着いていない気がするんだけど。
 やっぱり自分はどこか違う。
 おそらく私は、普通の貴族の娘ではないのではないかと――――


「本当に困った方… あの毒を飲んでも記憶を失くしただけで生き延びるなんて。」
「え…?」
 毒、という言葉にぴくりと反応する。
「こんなことなら私が淹れて差し上げるべきでした。けれど貴女は自分でするから良いと
 断られてしまって…」
「何の話を…?」
 話が見えない。
 記憶がないせいで、その前のことが分からないのもあるけれど。
「お茶に毒を仕込んでいたのですが。でも致死量には至らなかったようですわ。高熱止まり
 だなんて、悪運が強いのでしょうか。」
 心底残念そうに言われて背筋がぞくりと冷えた。
 彼女は本気で夕鈴を殺す気でいる。

「…貴女は何のためにこんなことを?」
 時間を稼がないと…そう思って努めて冷静に話題を振る。
 もう少しの辛抱だ。そうすればきっと陛下が見つけだしてくれる。
「我が主はご自分の姫君をお妃にと考えておられました。けれど貴女様しか目に入らない
 と陛下は仰るのですわ。ですから、お妃様がいなくなれば陛下は他の女性にも目を向ける
 だろうと思いまして。」

 きっと彼女だけではなく誰もがそう考えた。
 "私"は今までもこんな風に命を狙われていたのだろう。
 そしてきっとその度に、あの人が助けに来てくれた。

 だから信じてる。―――あの人は必ず来てくれるわ。


「…貴女の顔は陛下にも知られているわ。私を殺しても貴女はすぐに捕まるだけよ。」
 けれど、無意味だと言っても彼女は表情すら変えない。
「構いませんわ。我が主のためなら命など惜しくはありませんので。」
「どうしてそこまで…」
「それが恩返し。そして、望まずに得たこの腕が初めてあの方の役に立つんですもの。」
 初めて彼女がふわりと微笑んだ。
 愛しそうに耳飾りに触れる彼女に夕鈴は疑問の目を向ける。
「望まずに…?」
 それはどういうことだろう。
「貴女のように守り育てられた方には縁のない話ですわね。」
 どこか小馬鹿にされたような気にもなったが、彼女の言葉に何故か胸が痛んだ。
 …何故だかは本当に分からないけれど。


「――――私は、幼い頃に親に売られました。そこは暗殺者を育てる組織で、そこで私は
 人殺しの術を習い、実際何人も殺してきました。」
 想像もつかない世界の話を、けれど彼女は他人事のように淡々と話す。
「ところが現王が内乱制圧を行った際に私がいた組織も潰されてしまいまして。ほとんど
 は刃向かったので殺されましたが、私達のような子どもは逃げただけでしたので捕まるこ
 ともありませんでした。」


(内乱制圧? あの方が?)
 信じられないと思う。私の知らない陛下がそこにいた。
 私の前でだけ違う顔を見せると言ったあの人は、私の前ではいつも柔らかな顔しか見せな
 かったから。


「路頭をさまよっていた私を拾ってくださったのが…我が主。」
 その人が出てくる時だけ、彼女は少女の顔をする。
 夕鈴さえ引き込まれそうになる、恋い焦がれる少女のそれ。
 別のところに持って行かれそうだった意識が戻ってきた。
「私のような変わった子どもにあの方は普通の生活を教え、教養を身につけさせてくださ
 いました。養女になることを拒んだ代わりに、ならば良いところに嫁げるようにと。」
 今彼女の後見もその人が行っているらしい。

「本当に優しい方。…なのに、貴女のせいで最近は溜め息ばかり。」
 そうして夕鈴を見下ろす瞳にははっきりと殺意が見えた。
「だからこれが恩返しだと思いました。"仕事"は初めてでしたけれど――― もうすぐ終わ
 りますわ。」

 彼女の手の中で短剣が光る。
 これ以上の時間稼ぎは無理のようだ。


「ッ 貴女は間違ってる!」
 恐怖を抑えつけて声を張り上げる。

(お願い、見つけて。)
 心の中であの人を呼ぶ。

「恩返しなら、もっと別のことを考えなさい!!」



「夕鈴!」
 その時、バンッと勢いよく扉が開かれた。
 そこから光が差し込み、待ち望んだ姿が現れる。


(ほら、やっぱり来てくれた――――)

 安堵から涙が滲んで、手を伸ばす彼の姿がぼやけて見えた。



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えーと、意外に話が長くなりましたので、ぶった切りました。
2話同時アップですがまだ完結ではないです。

オリキャラの過去とがどうでも良い方が多いと思われますが、私はこの設定好きです。
どうでも良いですね。はい、すみません。

2011.6.4. UP



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