不可侵の花 -1-




「と、届かない…!」
 あと少しなのに、あの棚から飛び出た書簡を押し込みたいだけなのにっ
 一生懸命手を伸ばすけれど、手は虚しく空を切る。
 でもここで諦めるのは悔しかった。

 ―――と、その時後ろから手が伸びて、夕鈴の代わりに押し込んでくれた。

「え、?」
 驚いて見上げると、その官吏服の男性も夕鈴の方を見下ろしてくる。

 …政務室で見る顔ではない。
 でも、助けてくれた。

「ありがとうございます。」
「いえ。」
 お礼を言うと笑みを返してくれる。直感的にいい人そうだなと思った。
 そこですぐに離れれば良かったのだけれど、夕鈴はじっと彼を見上げたまま。
「? どうなさいましたか? 私の顔に何か?」
「え、いえ… 背が高いなぁと。」
 思った通りに呟く。

(陛下よりまだ少し高いかしら?)
 文官より武官に向いてそうな人だと思った。
 柳方淵も文武両道だけど、あの人は見た目から文官向きだ。

「―――素直な方だ。」
 くすりと笑われてしまって、しまったと赤くなる。
 つい素が出てしまった。

(またお妃らしくないって李順さんに怒られる!)
 鬼上司の顔が浮かんで慌てる。
 厳しい厳しい眼鏡の上司に知られたら非常にまずい。

「…すまし顔で何を考えているか分からない女性より、私は好きですよ。」
 おどけた調子で言われてしまい、反射的に顔を上げる。
 そこには声の調子のままの笑顔があって、夕鈴も思わず笑ってしまった。

 好い人、そして優しい人だ。


「ありがとうございました。」
 もう一度礼を言って書庫を出ようとする。
 彼はにこにこと手を振りながら見送ってくれた。

























 次に、その人と会ったのは政務室だった。


「人、増えました?」
 扇で顔を隠しつつ、夕鈴はこっそり李順に聞く。
 いつもと違う顔ぶれが数人。―――その中に、さっき書庫で会ったあの人もいて。
 入れ替わったのかと思ったけれど、他の面々もいつも通りいたから増えたと思ったのだ。
「一時的なものです。少し面倒な件があったので人手を借りたんですよ。」

 じゃあ、あの人もそうなのか。
 だからさっきも書庫にいたんだと納得した。

「いつも以上に気を引き締めて下さいね。」
「は…はいっ」
 眼鏡を光らせて釘を刺す上司に背筋を伸ばす。

(すでに失敗してるとは言えない…)

 あの人なら誰にも言わなさそうだけど。
 でも確かに気を引き締めなきゃいけないなと思った。




 …背の高いあの人は、政務室でも目立つ存在だ。
 それをなんとなく眺める。

 人手が足りなくてここに呼ばれる、しかも面倒な件で。
 つまり優秀な人物ということ。

(凄い人だったのね…)
 優しい人だなぁとは思ったけれど。


 不意に彼の横顔がこちらの方に向けられた。
「―――ッ」
 目が合う直前に、慌てて扇で顔を隠す。

(見ていたのがばれたかしら…)

 そっと顔を出すともう彼は背中を向けていてホッとした。




「夕鈴?」
「へ、陛下っ」
 突然顔を覗き込まれて吃驚する。
 余りに吃驚しすぎて、思わず叫んでしまうところだった。

「急に顔を隠してしまうからどうしたのかと思ってしまった。」
 扇を持つ手はがっちり捕まれているから隠れることもできない。
 距離が近い!と言いたくなるのを何とか堪える。
「な、何でもありませんわ。」
 しどろもどろになりながらも何とか演技で笑って返すと、ふっと優しく微笑まれた。
 ―――狼陛下の甘い演技で。

 途端に心臓がドキンと大きく跳ねる。
 全身に熱が集まっていくような気がする。

「―――もうすぐ終わる。それまで辛抱してくれ。」
「は、はい…っ」
 慌てて答えるそれに満足した顔をして、彼はそっと手を離した。


(フォローされちゃった…)

 奥で李順さんが睨んでいる。
 気を引き締めろとさっき言われたばかりでもう危うかったのだから当然だ。

 お説教は覚悟しとかないとな… そう思うと気が重かった。















 *















「どうしよう…」
 要らない物を入れた小箱を手に、夕鈴は寝室で1人で思案する。
 邪魔だから棚の上にでも乗せようと思ったけれど、その棚が少々高すぎた。
 普通なら人を呼ぶべきなのだろうけれど、後宮には女性しかいないから結局は足場が必要
 になる。
 そこまで人の手を煩わせるのもどうかと思って、自分で手を伸ばしてみた。

「んー… ちょっと頑張ればいけるかしら?」
 良し、と思って小箱を伸ばす。
 爪先立ちをして、端だけ乗った小箱を指先で押しやって、
「あと少し…ッ」

「―――ここで良いの?」
 ひょいと大きな手が小箱を浚って高い棚の上に乗せた。
「えっ?」
 驚いて顔を上げる。
 すると、唯一ここに入ることが許された男の人―――つまり、陛下がいた。
「あ… ありがとう、ございます…」
 そのままじっと陛下を見上げる。

「…どうしたの?」
 顔に何か付いてる?と小犬な彼にきょとんとした顔で聞かれた。
「いえ、背が高いって良いなーと。」
「えー 夕鈴はそのままが良いよ。」
 そう言いながら夕鈴を腕の中に入れて抱きすくめる。
「ほら、ちょうどここに収まる。」
「!? ちょ、陛下ッ」
 背中から肩、そして全身。
 すっぽりと腕の中に包まれて、まるで熱を移されたみたいに体中が熱くなった。
 心臓が痛いほど速く波打つ。

「はーなーしーてーーっ」
「えー?」
 じたばた暴れるのも面白いのか、さらに抱き込まれてしまう。
 彼に聞こえてしまうんじゃないかと思うとさらに心音は大きくなった。


「…でも突然だね。何か困ることでもあった?」
 その言葉にぴたりと抵抗を止める。

 彼の言葉は純粋な疑問。
 …それに後ろめたさを感じてしまったのは、一瞬違う人を思いだしてしまったから。

「―――ただ、掃除の時便利だと思ったんですよ。」
 それを違う言葉で誤魔化す。
 …彼は気づかなかった。


「だったら僕が手伝おうか?」
 名案だとでも言いたげに、無邪気に返されてぎょっとなる。
「陛下に掃除なんかさせられません!」
 緩んだ腕の中で反転して、はっきりきっぱり必死で断った。

(そんなことをしたら李順さんに殺される!)

「でも、君は妃なのに掃除してるよ。」
「私はそっちも仕事です。」
「えー」
 そんな不満そうな顔をされたって困る。
 けれど、完全に逸れた話題にはこっそり安堵した。


 ―――誤魔化した言葉、

 貴方に隠した小さな秘密、


 …けれど、隠す必要もないのに、どうして隠してしまったのかしら。




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拍手に序章とダイジェストを置いていたあの話です。
あんまり明るい話ではないのでご注意ください。
この後の展開で死人は出ますが、黒陛下は出ません。
カテゴリ的にはシリアスなんでしょうが、個人的には切ない系に入れたいところ。

基本的に夕鈴と陛下とこのオリキャラが中心で話が続きます。


2011.12.14. UP



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