不可侵の花 -4-




「言えない想いは胸に秘める、か。」
 お妃様の答えを口に出して反芻してみる。
 それが正しい気がした。

 その方が良い。そうすれば誰も傷つけずに済む。
 あの方を困らせることもない。

 けれど、

「…私は変わらないままではいられないのです。」





「……?」
 政務室に戻る道すがら、視線に気づいて顔を上げると 腕を組んで壁にもたれ掛かってい
 る官吏が1人。
 名は、確か…景絽望といっただろうか。
 政務室で何度か顔を合わせたことはあるが話したことはなかった。
 その彼と目が合ったので 会釈だけして去ろうとする。

 ―――たまたま視線が合っただけなのだろう。そう思ったのだが。


「あの方の花の笑顔は君だけのものではないよ。」
「…景、絽望 殿?」
 明らかに自分へと向けられた言葉を無視して通り過ぎることができず、立ち止まって彼の
 方を振り返る。
 壁から身を起こすことなく、彼は皮肉気に笑った。
「ライバルは増やしたくないな。」
「…何のことですか?」
 思い当たることはたった1つだが、それを表には出さない。
 表情を変えずに言うと、彼は小さくため息をついた。

「陛下も感づかれている。」
 …やはり、さっきの陛下の視線はそういう意味だったのかと思う。
 あの警戒はこちらに向けられたもの。

 けれど、"言えない想いは胸に秘める"、それがお妃様の望みなら。
 …今はまだ。


「……これは、そんなものではありませんよ。」


 だったら、できるところまで隠し通そう。
 いずれ来る 変わらなければならない時まで。

 そのまま背を向けた自分が、彼に止められることはなかった。












「……そうは見えないから、忠告してるんだけどね。」
 彼の背中が消えてから、今度は深い溜め息を零す。
 再び壁に凭れて絽望は天を仰いだ。


 全て見ていた。
 触れずに下ろした手も、陛下とお妃様を見つめる彼の表情も。
 あれで分かるなという方が難しい。

 ―――秘めきれない想いはいつか必ず溢れ出す。


「あーゆーのほど厄介なんだよなぁ。」
 抑え込んだ感情が爆発すればどうなるか。
 特にあんな真面目で内に抱え込んでしまうようなタイプは危ない。

「何の話だ?」
 今日も大量の資料を持って通りすがった方淵が絽望の呟きを聞き取って立ち止まる。
 それから早く仕事に戻れと目で威嚇された。

「…私にも君にも無縁の話さ。」
 当然方淵からは怪訝な顔を向けられたが笑顔で躱す。

 この男も真面目だが、内に秘めるようなタイプではない。
 ある意味で目が離せなくなりそうだが、それはそれで見ていて面白そうだなと思った。
 だからそこに危機感はない。


「君が恋をしたら、私が相談に乗ってあげよう。」
「要らん世話だ。」
 笑顔での軽口はいつものように一刀両断される。
 そうして絽望を放って政務室に向かう背中を追いかけるために体を起こした。
「遠慮するな。」
「誰が遠慮するか。この常春頭が。」

 罵倒されながら、どこかホッとしている自分がいる。
 あの男の闇に引きずられそうになっていたのだとその時気付いた。


 抑え込んだ感情、狂気にもなりかねないほど深い想い、

 それに本人は気付いているのか――――?






































「夕鈴は僕のお嫁さんだよね。」
 彼女にとっては唐突であろう確認は、夜2人きりになった時に切りだした。
 案の定夕鈴はきょとんとして茶を注ぐ手を止める。
「? 何 当たり前のことを言ってるんですか?」
 だからここにいるんでしょうと、彼女は目で言う。
「それがどういう意味か分かる?」
「ちゃんと仕事しろってことでしょう? 臨時妃の。」
 作業を再開させた彼女が2人分を注ぎ終えて、片方を黎翔に手渡した。
 当たり前のように告げられるそれに自分が感じた痛みは彼女に気づかれることはない。
「……ほんと君は真面目だよね。」

 けれど言いたいのはそこではない。
 彼女が真面目で仕事熱心なのはよく知っている。

 言いたいのは―――、彼女は王の妃であり、王だけのものであるということ。
 臨時だろうと何だろうとそんなものは関係なくて、彼女を誰かに渡す気はないから。


「…最近蘇秦とよく一緒にいるけど、どうして?」
 一拍置いてから質問を変えてみる。
 今度も彼女は特に表情を変えたりはしなかった。
「え? ああ、あの人とは不思議とよく会うんですよね。それで話をしてて。」
 偶然だと、そんな風に無邪気な答えを返してくる。



(偶然? そんなわけないだろう。)
 黎翔はそんな彼女の言葉を内心で完全否定した。

 偶然とはそんなに続くものではない。
 そこまで続いたらそれは運命だ。だがそれは有り得ない。

 純粋な彼女はあれを仕組まれたものだとは思わないのだ。
 本当にただの偶然なのだと思っている。

 彼女は気付いていない。あの男の想いが向かう先を。

(…わざわざ知らせる必要もないか。)
 それで意識してもらっても困る。
 けれど、今のままでもそれはそれで困るから。




「―――あまり他の男と仲良くすると、狼陛下が嫉妬するよ。」
「へ?」
 小犬のままで狼の気持ちを告げる。
 立ち尽くしたままの彼女の手を取って、座る己の傍へと引き寄せた。
「疑いたくなくても、そう思ってしまう。」
「…っ」
 声のトーンが変わったことに気が付いて無意識に逃げ腰になる彼女。
 それを逃がすまいと手に力を込める。
「そ、そんなんじゃありません!」
 下から覗き込むようにして見ると、夕鈴は首を振りながら叫んだ。
「あの人は、その、お兄さんみたいっていうか…話しているとホッとするんです。」
 彼女は嘘や隠し事が苦手だ。だからこれは本当なのだろう。

 夕鈴があの男に寄せるのは親愛の情。
 あの男の想いはまだ届いていない。

 けれどまだ、胸のざわめきは消えない。
 笑みを消した彼女はあの時何を思い、何をあの男に言ったのか。
 ―――あれは、あの時見せたあの表情は、決して親愛などではなかった。


「―――ならば私とは?」
 さらに狼陛下で見つめる。
 一瞬遅れて彼女の頬が赤に染まった。
「だからっ2人っきりなのに演技しないでくださいよッ 〜〜〜離してくださいっ!」
「答えを聞くまでは離さない。」
 軽い身体は少し引けば腕の中に飛び込んでくる。
 けれどそうしなかったのは、目を見てちゃんと答えを聞きたかったからだ。
「ッ演技過剰の"狼陛下"に振り回されて、"妃"の心臓はいつ壊れるか分かんないくらいで
 すよ!!」

 それは望んだ答えのようで違う。
 "狼陛下"は演技だから、演技のことで返された。

 そして、彼女の言う"素"の自分で聞けば、あの男に向けるものと同じもので返されるのだ
 ろう。
 彼女の心は読みとれず、欲しい言葉は返らない。




「……お茶、冷めちゃったね。」
 切り換えてから彼女の手を解放する。
「って、陛下のせいじゃないですか!」
 そんな風に怒りながら、それでも夕鈴はきちんと温かくて美味しいお茶を淹れ直してくれ
 た。





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ついに絽望さんまで出てきましたよ(笑)
※「花の笑顔」から登場しているオリキャラ。過去ログにカテゴリページ有。
まあ彼の場合、別の場面で出そうと思って没った名残なのですが。
彼は方淵に構うのが大好きなようです。
今回は、夕鈴に想いを寄せる男達の目線という感じですね。
…そういえば絽望さんも片想いなのか。軽いから忘れがちだけど。


2011.12.17. UP



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