初恋の行方 -2-




「お前がそんなに愛妻家だったとは知らなかったな。」

 入って来るや からかうような声でそう言い放った人物に、李順は内心で深い溜め息をつ
 く。

 …一国の王が、臣下の仕事場に気軽に入って来ないでもらいたいのだが。
 本来が自由気ままな方なので、ここはもう諦めるしかないのか。


「私も知りませんでした。」
 そんな内心はおくびにも出さず、しらっと答えて再び書類に目を落とす。
 すると相手はますます面白いという顔をした。
「ほぉ。今し方 鈴花が亡き妻を忘れられないからふられたと泣いてきたぞ。」
「…そう仰られたので、それで良いですとお答えしただけです。」

 彼女が信じたならそれで良いと思う。
 真実などどうでも良いのだ。…彼女が諦めてさえくれれば。

「どんな女性か教えて欲しいと言うから話しておいた…といっても、私もあまり知らない
 が。」
「―――5年もありませんでしたからね。」
 ようやく手を止め顔を上げた李順は、呟いてから苦く笑った。

 ……お腹の子と共に、彼女が亡くなったのは寒い冬。

「忘れられないほど特別だったのか?」
 陛下も冗談混じりだった笑みを消す。
 そんな顔をした覚えはなかったのだが、あまり良い表情ではなかったらしい。
「…さあ、どうでしょうか。よく知り合う間もないまま別れることになってしまいました
 から。」
 好きな花も知らないほど、そんなに話をすることもないまま。


 彼女のことを思い出すと、いつも胸に苦いものが広がる。

 ―――彼女には何もしてあげられなかった。
 その思いは今も自分の心の中にある。

 人はそれを"後悔"という。





 彼女とは周りが決めた縁談で出会った。
 互いに断る理由もなく、話はトントン拍子に進んでいって。気がつけば結婚は驚くほど
 あっさりと決まっていた。

 結婚する際にほとんど家にはいられないと伝えて、彼女はそれで構わないと笑った。

 李順の代わりによく家を守ってくれた。
 だから安心して家を任せた。…それくらいの信頼はしていたのだ。

 一度も弱音を吐かなかった。泣いたところも見たことがなかった。
 いつも笑っていたような、そんな印象しかない。

 ―――そんな彼女が泣いたのは死の間際。
 夕鈴殿に側にいてあげなさいと怒鳴られて、家に帰されたわずか数日の間のこと。


 何も残せないと、彼女は泣いた。
 子を連れて行ってしまうことを悔やんでいた。

 …彼女が泣いたのは、李順のためだった。

 そんな彼女に何もできない自分が悔しくて、何もしてこなかった自分が心底腹立たしかっ
 た。
 彼女の身体を病が蝕んでいたことすら自分は知らなかった。彼女が隠していたことに気づ
 けなかった。…そんな自分が許せなくて。


 ―――そして、私はその時、結婚は間違いだったと思ったのだ。






「…ところで陛下。また公主の縁談を全て断ったそうですね。」
 沈んでいきそうだった気持ちを打ち払い、何事もなかったかのように話題を変える。
 陛下はそれに対して何も言わなかった。

「鈴花にはまだ早い。」
「遅いくらいです。本来ならすでに候補を絞っていてもおかしくない時期ですよ。」
 案の定渋る陛下に正論で返す。

 公主ももう15だ。…約束の日まであと半年。
 ―――まだ間に合う。

「鈴花の気持ちを無視したくない。…かといって、お前にやりたいわけでもないが。」
 要は可愛い娘を誰にも渡したくないのだろうが。
 引っかかりを覚えたのは後に付け加えられた言葉。

 …まさか陛下は、私が公主の気持ちを受け入れると思っておられるのだろうか。

(…そんな馬鹿な。)
 そんなことは有り得ない。
 自分の中でそれはずっと変わらない。


「…では、公主が納得されれば良いんですね。」
「―――?」
 陛下に怪訝な目で見られたが、それには応えずにいた。



 誰も何もしないのなら、自らがやるしかない。

 それで嫌われてしまっても、目的が果たされれば良いのだから。




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李順さんはバツイチです。いや、年齢的にそうなのかと思って。
奥さんは李順を愛していたし、李順もそれなりに大切に思ってたんじゃないのかなぁと。
子どものことは、養子を取れば良いくらいにしか思ってないので再婚の意志もないようです。
鈴花が産まれる前の話ですが。

さくさくっと進みます。次回は鈴花と李順の話です。
…あ、前半は鈴花と侍女の話か。


2012.4.15. UP



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