鈴蘭 -11-




「李翔様。この私相手にそんなに不機嫌そうにしているのは貴方様くらいですわ。」
 気分を害したわけでもなく、隣の紫蘭はそう言いながら楽しげに笑う。

「…君は私がここに何をしに来ているかを知っているだろう。」
 紫蘭の元へ来るのは彼女を抱くためではない。仕事の一環だ。
 いくら"紫蘭"が表向き最高級の妓女といっても、楽しく酒を飲む気分ではないと。
「ええ、知っておりますとも。」
 じとりと睨んでも彼女は笑みを絶やさない。
「ですが、不機嫌の理由はそれじゃないでしょう?」
「……」
 図星を指されてなお苛立ち、隠す気にもなれずに思いきり舌打った。


 不機嫌の理由はただ一つだ。―――夕鈴に会えない。

 "鈴蘭"には今日も別の客がついている。
 最近は自分が来るのが遅くなってしまうせいもあり、なかなか会えない日が続いていた。




「―――そんなにあの子が気に入りましたか?」
「ああ。」
 何度目かの問いに今回も即答で返す。
 気に入るどころか溺れている自覚もあるほどだ。
 日増しに想いは募り、自分でも止められない。
「見ていれば分かるだろう?」
「…そうですわね。」

 紫蘭はいつも確認するかのように同じことを聞く。
 言い方を変えていても聞きたいことはいつも同じだ。
 そして答えを聞くと、決まって不満そうに柳眉を寄せる。


「…全く、貴方様のせいで予定が狂いました。」
 今日は2人きり故にいつもよりあからさまに態度に出た。
 李翔に負けず劣らずの不機嫌さで大きく息を吐く。
「貴方様がいなきゃ、あの日の相手は几鍔だったのに。」

 水揚げの夜のことは紫蘭には予想外のことだっただろうと思う。
 あの時夕鈴が躓いたのは、自分にとっては運命のようにも感じる幸運だったけれど。

「君が会わせてくれないから仕方ないだろう。」
 頑なに会わせようとしないから、自分で会おうと思った。
「…できることなら、一生会わせたくありませんでしたけど。」
「何故?」

 一生とは穏やかではない。
 知るほどに溺れていきそうになるあの存在を、知らぬまま生きていけとは酷い仕打ちだ。

「私が、貴方様を嫌いだからですわ。」
 さらっと彼女は言う。
「相変わらずずけずけと物を言うな、君は。」
 それには苦笑いするしかない。
 知っていたから驚くことはなかった。

 ―――要は同族嫌悪だ。
 大切なものが同じ故に2人は相入れない。
 …そして自分のこれからの行動を知れば、彼女はますます嫌うのだろう。


「―――紫蘭。もし私が…」
 言いかけて、上からの物音に気づいて止める。

「……何だい?」
 気づいた紫蘭も天井を見上げ、そこに向かって声をかけた。

 他の客なら見せないのだろうが、李翔は"紫蘭"の本当の意味を知っている数少ない1人。
 声の主はわずかに躊躇ったようだが、紫蘭が続けて構わないと言うと、こちらに気を配り
 つつ声が降る。

「紫蘭様、花泥棒です。」
「っ何だって!?」
 途端に紫蘭が声を荒らげて立ち上がる。
 "花泥棒"は妓楼の掟を破った者の一つの呼称。彼女が怒りを露わにするのは当然だ。
「ッ 花の名は!?」
 声は一瞬躊躇う。
「―――…鈴蘭。」

「ッッ」
 気遣いも躊躇いも、その理由を一瞬で李翔は理解する、
 同時に全身から血の気が引いた。

「李翔様!!?」
 紫蘭の声が届いた頃には、すでにその姿は部屋から消えていた。
























「いやっ 離して!」
 どんなに暴れても男の身体はビクともしない。
 帯はすでに解かれ、暴れたせいで前は完全に肌蹴てしまっていた。
「止め…ッ!」
 荒い息が首筋にかかり、ちくりと刺す痛みに小さな悲鳴が上がる。
 鈴蘭と名を呼ばれ、ぞわりと全身が総毛立った。


 逃げたい。嫌だ。

 けれど、帯の細紐で両手首を縛られ、肘掛けに括り付けられた状態では思うように動けな
 い。
 まだ自由になる足で男を蹴り上げようとしたけれど、両足の間に割り入られているからそ
 れもできなかった。


「ぃや…! やだ…ッッ」
 男の手が腰の線を撫で上げる。
 乾いた肌は熱を帯びることなく、心はますます冷えていく。

 嫌だ、気持ち悪い。
 触れないで、今すぐここから出ていって!

 身体も心も目の前の男に拒否を示す。
 助けてと、心であの人の名を呼ぶ。

 ―――けれど、

「何故拒む? お前は私の恋人だろう?」
「っっ」
 その一言で、抵抗する動きが止んだ。



 覚悟をしたと、几鍔にもあの人にも言った。
 したつもりだった。

 ―――そんな自分は甘かったのだと知る。
 覚悟なんて、全然していなかった。

 これも、仕事。
 優しさに甘えて理解していなかった。



(…何も考えなければ良い?)

 無理だわ。心が拒否してる。

(あの人に抱かれていると思えば良い?)

 どうやって? 何一つ重ならないのに。




「…それで良い。」
 大人しくなった"鈴蘭"に男は気を良くする。
「すぐにヨくなる。」

 ―――こんな悪夢、早く過ぎ去れば良い。




→次へ





---------------------------------------------------------------------


長いですね。
中途半端ですが続けてUPするからここで切っても良いかなと。

まあつまり、李翔さんが通ってるのは本来仕事のためだと。
夕鈴とは違うけど。
てゆーか、紫蘭の仕事って何でしょうかね。
よく考えたら書いてない。


次回、李翔さんは間に合うのか。


2012.4.20. UP



BACK