鈴蘭 -5-




『鈴蘭。よくお聞き。』
 そう言って蘭姉さんはいつも私に妓女としての心得を叩き込んでいた。


『私達の仕事は、客に夢を見せること。』

 ――― 一夜の恋人として、甘い夢を見せること。

『その為に、常に相手を喜ばせることを考えるんだよ。』
『はい。』
『嫌なことも怖いこともあるかもしれないが… 抵抗はしないこと。まあ、掟破りは別だけ
 どね。』
『はい、蘭姉さん。』
 聞き逃すまいと真剣に聞いていたら、おでこをピンと弾かれた。
『それから、もう少し気を抜きな。そんなガチガチじゃ相手が引くよ。』
 うっと唸るとクスクスと笑われる。
 そのまま長い爪が頬を辿って、顎をくいと持ち上げられた。

 そうして、夜の大華は艶やかに微笑む。

『男を喜ばせる方法は追々教えてく。』
『ッッ』
 それが何かを理解して、途端にポンッと赤くなる。
 そういう類の話には未だに慣れずにいた。

 そんな夕鈴の様子に、蘭姉さんは呆れた顔をする。
『…どうやらもうちょっと先の話のようだね。』
『ううっ だって…』
『まあ良いさ。今はまだ相手に任せてな。"貴方の望むままに"―――そう言って後は身を
 委ねるだけ。それで十分。』


 いつだって姉さんの言うことは正しい。
 だから、全ての言葉を胸に刻んだ。

















「え……と……… 李翔、様?」
 予想外なことに目をぱちくりさせている夕鈴に、彼は「うん」と応えてにこりと返してく
 る。

「名前、覚えててくれたんだね。」
「え、ええ… それはもちろん……って、そうじゃなくて。」

 昨日が几鍔で一昨日がこの人で、それでまた今日。
 …思った以上に早かった再会にちょっとビックリしてしまったのだ。


「昨日は君の幼馴染くんに取られちゃった。」
 肩を竦めて残念そうに彼は言う。
 どうやら彼は昨日も来ていたらしい。…それに何故、と思う。

(…ひょっとして、心配だったのかしら?)
 泣いてしまったから。いろいろと正直に言ってしまったから。
 もしかしたら、最後にちゃんと笑えていなかったからかもしれない。

 優しい人だから、初めての相手になってしまった自分に責任を感じてしまったのかも。

 ―――それが、理由としては1番しっくりくるなと思った。




「何か話した?」
「はい。まあ、いろいろと。」
 隠すようなことでもないけど、わざわざ言うことでもない。
「…そう。」
 だからそれだけ言ったら彼は小さくそれだけ呟いた。
 ゆっくりと近づいた彼が頬に触れて、指の腹でそっと撫でられる。
 夕鈴を見下ろすその表情は、少し困ったような顔。
「……、それでも君はここにいるんだね。」

 昨日は几鍔とここを出ることを相談したと思われていたみたいだった。
 それでも貴方は責めないのだろうけれど。…だけど。

「…はい。」
 その優しさを噛みしめ、目を伏せて小さく頷く。
「一度決めたことは変えたくないんです。」


 貴方にそう言ったから。
 覚悟は決めてしまったと。

「誰もが優しいとは限らなくても?」
「…知ってます。貴方や几鍔が…特殊だってことくらい。」

 蘭姉さんや他のみんなを見てきたから。
 この妓楼で蘭姉さんは特殊だけど、それでも全然苦労していないわけじゃない。
 見て、知ってる。自分がどれだけ守られているかくらい分かる。



「―――私も、か。随分信頼されたものだ。」
 突然彼の雰囲気が変わった。
 冷たい声音に全身がひやりと冷える。
「ッ」
 彼に顎を上向かされて目が合って、その冷たさに声を失くした。


 最初に見たときの―――狼のような獰猛な、射抜く瞳。

 ―――あれは、幻ではなかったのだと。


「きゃっ」
 急に抱えられ―――いや、肩に担ぎ上げられて、彼はくるりと進行方向を変える。
 その先にあるものは、一つのみ。


「今日は男とはどんなものかを教えようか。」
「っっ」

 怒らせたのだと分かったのだけど、だからとどうすることもできない。
 抵抗する間もなく、彼に奥の部屋に運ばれてしまった。




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狼降臨編です。
そんな痛いことはないですけど。陛下プチ切れ気味?

次回はR指定です。前回よりはあからさまかな?


2012.4.17. UP



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