鈴蘭 -8-




「何ですか? これ。」
 会ってすぐに渡された花にきょとんとする。
 と、彼の方に逆に不思議そうな顔をされてしまった。
「何って 鈴蘭。君の花だよ。」

 うん、確かに鈴蘭の花だわ。"私"の名前と同じ。
 でも私が聞きたいのはそこじゃなくて。

「いえ、それは知ってますけど… 何故私にこれを?」
 今日は何かの記念日だっただろうかと考えを巡らせる。しかしどんなに辿っても何も出て
 こない。
 記念日なら夕鈴が忘れているはずがない。―――そういう演出も仕事のうちだから。

「愛しい女性に花を贈るのは基本じゃない?」
 当然のようにそう言って彼はにこりと笑う。
「いと… ―――本当に御上手な方ですね。」
 一瞬の動揺を押し隠して、夕鈴は何とか繕い微笑みで返すことができた。
 プロとして、ここで素を出してはいけない。

「君だけだよ。信じられない?」
 それに対して彼はさらに甘い言葉を向けてくる。
「李翔様は遊び慣れていらっしゃいますから。」
 つまりは信じられないと、今度は満面の笑顔で、そう遠回しに答えた。

 彼は慣れている。それは最初から思っていたことだ。
 だからそんなにすらすらと言葉が出てくる。夕鈴を翻弄する言葉ばかりを。
 それに慣れることは難しいけど、対処法は身につけたいと思っていた。
 こういうのは、他のお客が相手の時も役立つだろうから。

「……」
 指摘されて押し黙った彼は、しばし言葉を探していた。
「―――うーん、どう誤解を解いたものかな。」
 そうして、困った顔で頭をかく。
「僕は君だけだよ。」
「"今は"、でしょう?」
 即座に切り替えすと今度は苦笑い。
「手強いなぁ。」
 そう言いながらも、彼はどこか楽しそうだった。




 夕鈴も彼との会話は楽しい。

 際どいやり取りをしながらの言葉遊び。
 錯覚しそうになりながら、勘違いだけはしないと誓って。

(だって李翔様は、ここにいる術を私に教えてくださっているだけだし…)
 それを自覚する度に痛くなる場所があるけれど、そこは見ないふりで押し隠した。



 李翔様は数日おきに現れて、夕鈴を相手に指名する。
 たいていは奥の部屋で他愛もないおしゃべりをしながら、時々肌を合わせたり。

 そして彼が来ない日には他のお客の相手。
 …実のところ、奥の部屋には誰も進んでいない。
 奥の部屋に入れたのは今までで李翔様と几鍔だけだった。

 それはお館様が決めることだから夕鈴には分からないけれど。



 自分が特殊な立場だというのは何となく理解していた。
 そういえば、蘭姉さんも普通と違っていたなと思う。
 "蘭"の名前はそれだけ特別なのだろう。
 何も言える立場じゃないから、何も言わずにいたけれど。

 何だかまた守られているような気がして、…少しだけ複雑な気分だったのは 誰にも言わ
 なかった。





















 今夜は1回だけ。
 その後は、彼に請われるがまま寝台の上で膝枕をしていた。

 ―――本当は、こういう時間の方が好きなんだけど。
 さすがにそんなことを正直には言えないから、ただ黙って甘い時間に身を委ねる。

 別れの時間はまだ遠く、一時の夢はまだ覚めない。



「ね、夕鈴。歌ってくれないかな。」
 ふと、膝の上に頭をのせたままの彼から歌を強請られた。
「君の歌は素晴らしいって聞いた。紫蘭の客にも披露してたんでしょう?」
「はい、まあ…」

 素晴らしいかは分からないけど、姉さんに付いて出た時に歌を披露していたのは事実だ。
 琴も笛も琵琶も二胡も、一通りは習ったから人並みにはできる。
 でも、姉さんが磨けと言ったのは"歌"だった。
 それから度々披露する機会があって、その度に歌を請う客は増えたのだけれど。

「……音は?」
 誰か呼びますかと尋ねると、否と首を振られた。
「要らない。君の声が聴きたい。」

 確かに音がなくても歌えないことはない。
 この体勢だと、子守歌になりそうな気もするけれど。

「どんな歌が良いですか?」
「…じゃあ、恋の歌。悲しいものより幸せな方が良いな。」
 伸びてきた彼の手が頬を擽る。
 その手を取って指を絡めて、「分かりました。」と微笑んだ。



 今の気分と、―――そういえば今夜は月が明るい。

 一つの歌が頭に浮かぶ。
 きっと今の2人にぴったりな恋の歌。

 そしてそれをそのまま口に乗せた。






 月明かり、星明かり
 夜の風が運ぶ、花の香り

 貴方だけ、私だけ
 愛の言葉を囁き合うの

 2人きり、甘やかに
 貴方と熱を分かち合う

 愛してる、貴方だけ
 今宵も2人きり、月と星が見てる夜に






 彼は目を瞑って聴いていた。
 歌が終わっても動かない彼に、寝てしまったのかしらと思ったところで紅い瞳が覗いて。

「―――嬉しいな。初めて聴けた。しかも僕のためだけにだなんて。」
 ふんわりと綻ぶような笑顔を向けられた。


「…李翔様は、蘭姉さんのお客だったんですか?」
 そこでかねてよりの疑問を口にする。この前はタイミングを逃して聞けなかったから。
「うん。歌を聞きたいからって何度も頼んだのに絶対呼んでくれなかったよ。紫蘭はそれ
 だけは叶えてくれなかった。」
 絡めた指を引き寄せて口付けられ、吐息で擽られて小さく反応する。
 それに満足したように彼は小さく笑った。

「でも良いんだ。今夜聴けたから。」
 その言葉に笑顔に、胸が甘く疼く。…締め付けられる痛みと共に。



 これは"仕事"、恋人ごっこをしているだけ。
 客に甘い夢を見せるのが私達の役目。

 勘違いをしちゃいけないと、分かってるのに。

 彼との距離が近すぎて、それが嬉しくて苦しい。
 本当は、夢を見せられているのは私の方。



 甘くて苦くて、嬉しくて苦しい。
 何もかも初めて、貴方だけ。

 だけどそれを口にはできない。
 言ってしまったら、それは"仕事"ではなくなるから。
 そうしたら、もう貴方に会えないから。



 だから、ねえ 貴方。どうか気づかないでいて。

 歌に隠した私の想いを―――




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夕鈴とっくに自覚してました編。
あの世界に鈴蘭の花があるかどうかは分かりませんが…
名前が名前なのでどうしても贈りたかったんです。
花言葉は『純粋』『意識しない美しさ』
偶然ですけど、夕鈴っぽいなぁと思いました。

次回は閑話というか… 男達の掛け合いが楽しかったです。


2012.4.18. UP



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