鈴蘭 -9-




「2人きりは初めてですね。」
 穏和な笑顔で言われて、夕鈴もにこりと笑み返す。
「そうですね。いつもは蘭姉さんのお供でしたから。」


 今夜の客は蘭姉さんの馴染み客のおじさま。水揚げの夜に最後まで残っていた5人の中の
 1人だ。
 どこかの…わりと上流の貴族の方らしい。
 そんな方がどうして市井の妓楼に通っているのかは分からないけれど、李翔様もそうだか
 ら特に気にはしない。そして聞かないのも妓楼の決まり事。

 彼はとても紳士的で、ふんわりとした穏やかな笑顔が李翔様にちょっと似ていた。
 …2人でも緊張しないのはそのせいかもしれない。



「―――昨日また、紫蘭にふられてしまいました。」
 そう言いながら、彼は苦笑いをする。
「…蘭姉さんの意志は固いですから。」
 寄り添うように隣に座り、酌をしながら夕鈴も似たような表情でそれに返した。

 蘭姉さんは彼からの身請けの話を断り続けている。
 すごく良い人なんだけど、本妻にはなれないし…同情されても困るって返事をしていた。
 姉さんの幸せを願う身としてはとても良い話だと思うけれど…

 思ったままに言った夕鈴に、姉さんは自分の幸せはそこにはないのだと答えた。…その理
 由は今も夕鈴には分からない。


「…私では、慰めにならないでしょうか。」
 彼が望むのなら、同じ香も用意して。…この方は奥の許可を得ているから。
 けれど彼は、否 とその申し出を断る。
「君に手を出してしまったら、もう紫蘭には会えなくなりますから。」

 ―――この人は本当に蘭姉さんを大切にしているのだと思った。そんな人がいてくれるこ
 とは嬉しい。


「だから、今夜はここで私の話し相手になってください。」
 彼は夕鈴にも杯を渡す。
「他の誰にも話せないことです。…どうか、聞いてくれませんか?」
 本人には言えない蘭姉さんのこと、それを聞くのに夕鈴以上の適任者はいない。
「喜んで。」
 だから、心からの微笑みで応えた。












*












「―――あ。」
 店の入り口でばったりで食わした人物に向かって声を発してしまったのは無意識だった。
 それで相手も気づいてこちらを見ると、不機嫌そうに睨んでくる。

「あん? ……てめぇはアイツの、」
 そこまでで、続きの言葉は飲み込まれる。
 "アイツ"が指す相手は1人しかいないが、機嫌が悪く見えるのはそのせいか。
 嫌われてるなぁと他人事のように思いながら内心で苦笑いした。

「えーと、確か君は幼馴染くん。―――君もゆーりんに用事?」
「!? てめっ その名前…!」
「…あ。今は鈴蘭だったっけ。」
 しまったと口を塞ぐ。
 閨でも夕鈴と呼ぶからつい。…まあ、相手が彼だったというのもあるけれど。

「……どこまで知っている?」
「んー 名前の他は、君と紫蘭が彼女をすごく大切にしてることくらいかな。」
 警戒を解かない彼に対してのんびり返す。
 その態度と言葉にからかわれていると思ったのか、彼の瞳がますます鋭くなった。


 ―――そういえば、彼女のことを何も知らないなと思う。
 それに気づいて、何でも知っている彼をちらりと見て、…羨ましいと思った。

(聞いたら教えてくれるかな?)


「おい、」
「ん?」
 呼ばれて顔を上げると鋭い瞳が射抜いてくる。
 さすがは夕鈴の幼馴染、彼も真っ直ぐだなと思った。
「今夜はそっちもアイツなのか?」
「あ、そうか。」

 僕らは2人、夕鈴は1人。
 正直、誰にも譲りたくはないけれど―――




「おやまあ、珍しい組み合わせ。」
 後ろからよく知った鈴の音が聞こえて、2人同時に振り返る。
「「紫蘭」」
 声もぴったり重なると、夜の大華はコロコロと笑った。

「残念ですけど、今夜 鈴蘭にはもう客が付いてますわ。」
 勘の良い彼女から、言う前に答えを返されてしまう。
 どうやら2人ともふられてしまったらしい。
「―――なら良い。また来る。」
 本当に夕鈴に用事があっただけらしく、几鍔はすぐに帰ってしまった。


「紫蘭…」
「安心なさいませ。奥まで行ける客は"私"が選んでますから。」
 静かに睨む李翔に、紫蘭は動じず柔らかに微笑む。
「なら良いが…」

 紫蘭に任せておけば心配はないだろう。
 …夕鈴本人に判断を任せてしまうと、真面目な彼女は相手が望めば全員受け入れてしまい
 そうだから。
 ―――それは許容できない。
 さすがに他に客を取るなとは言えないが、他の誰にも触れさせたくないのが本音だ。


「そんな怖い顔をなさらなくても、あの子はまだ貴方様だけですわ。」
 今夜の客は許可しても奥には行かないと、小声で教えられた。
 こうして不自然にならないように彼女は夕鈴を守っている。唯一の例外が自分なだけ。

「―――貴方様まで可愛がってくれるなんて思いもしませんでしたわ。」
 思いもしなかった、は嘘だろうと思う。
 君はずっと言っていた。
「私と君は似ているからな。」
 いつか言われたのと同じ言葉をそのまま返し、彼女以外に会う気はなかったから李翔も店
 を後にした。




「……だから、会わせるのは嫌だったんだけどね。」

 彼女の声を聞く者はいない。




→次へ





---------------------------------------------------------------------


閑話2。兄貴と陛下の組み合わせが書きたかったv
紫蘭の馴染み客のおじさまは、氾史晴さんをイメージ(笑)
いや、本人ではないですが。

次回からが、3つに分かれてしまった元9話です。


2012.4.19. UP



BACK