初恋の行方 -凛翔編-




[ 1.12才『自覚』 ]


 ―――自覚したのは 12の時だった。


「…どうしてこんなところで寝てるんだ?」
 窓辺に置かれた椅子でうたた寝している妹に、凛翔は呆れて溜め息を付く。
 とはいえ、特に何か用があって呼びに来たわけではないから、寝ているのは別に構わない
 のだが。

「どうせ寝るなら、諦めて寝台に行けば良いのに…」
 ひとりごちて彼女の元に寄れば、膝の上には今にも落ちそうな巻物がある。
 どうやらこれを読んでいる途中で 日差しの暖かさに眠気を誘われたらしい。
 落ちる前にとそれを取り上げ何気なく目を通せば、それは自分もよく知る流麗な字体で書
 き込まれていた。
「…ああ、あの方の新作か。」

 母の友人であるその方は、若い頃から王都の貴族女性を虜にする小説を書いている。
 苦難の末に結ばれたり運命的に出会って惹かれ合ったりするような恋物語が、彼女達の興
 味を引きつけて止まない。…らしい。
 凛翔は読まないのでよく知らないが、鈴花が新作を楽しみにしているので余程面白いのだ
 ろう。

「このままだと風邪を引くか…」
 再び視線を鈴花に戻す。
 どれくらいの間ここで寝ているかは分からないが、今のところ起きる気配はなさそうだ。
 巻物は軽く巻いて脇の卓に置き、寝台へ運ぶために鈴花を抱き上げた。


 王太子と定められてから、凛翔は国を継ぐために必要なものを様々教え込まされている。
 文武に秀でた父に恥じぬよう負けぬようにと努力した結果、この年にして鈴花を抱えるく
 らいの力も付いた。
 母からは「そんなに急いで大人にならなくても良いのよ」と寂しそうに言われるが、早く
 大切なものを守れるようになりたいと考えれば遅いとさえ思う。
 だから、こればかりはどんなに好きな母に言われようとも止めるつもりはない。





「…起きる気ないな。」
 寝台に下ろしても鈴花はまだぐっすりと眠っていた。
 あまり寝てしまうと夜寝れなくなると思うのだが、無理に起こすのも何となく可哀想でで
 きない。
 可愛い妹に甘いという自覚はある。が、改める必要性も感じないのでそのままだ。


 開けた窓から風が入り込んでくるだけの静かな午後。
 顔に落ちた彼女の髪を払い、そのまま離れず額から頬へと指先を滑らせる。
「ん…」
 くすぐったいのか小さな声が漏れたが、それでも鈴花が起きることはなかった。

 自分によく似た顔立ちだが、妹の肌の方が白く柔らかい。
 今は閉じられている瞳はぱっちりとして、色は母と同じ榛色。

 指先と視線を辿り、紅を塗っていないのに赤く艶のある唇にたどり着く。


「―――……」
 それを目にしたとき、何故か、"美味しそうだな"と思った。
 目がそこから離せなくなり、無意識に腰を浮かせて彼女に近づく。


 静かな午後に、寝台の軋む音だけが小さく響いて―――



「………」

 ―――"それ"に触れて思ったのは、想像以上に柔らかいなということ。
 甘い痺れに我を忘れ、衝動のままにもう一度それに触れた。

「ぅ…」
 わずかに離した唇に吐息が触れて 心臓がどくりと脈打つ。

「―――っっ!?」
 と同時に、兄妹には有り得ないほど近い距離に気づき、意識が一気に現実へと引き戻され
 た。
 逃げるように寝台から飛び降り、未だ感触が残る口元を押さえる。


(今、自分は何をした!?)
 頭は混乱しているが、今の行動が普通じゃないことくらい凛翔にも分かる。
 これは妹にすべきものじゃない。
(鈴花に"口づけ"なんて… 何を考えてるんだ!!?)


 鈴花は"妹"だ。たった1人の大切な。
 なのに、今確かに自分は彼女に対して確かな"欲"を持って触れていた。

 そしてもっと恐ろしいのは、…あの感情が初めてではなかったということ。
 触れたのは初めてだ。
 けれど、突き動かされるような感情は以前から何度も感じていた。


「違う…」
 否定を口にしてみても、誰にも聞かれない言葉は虚しく響くだけ。
「鈴花は、妹だ…」
 そう思っても、今の行動は消せはしない。


 自覚してしまった。
 気づいてはいけない感情に気が付いてしまった。

(ダメだ――― この感情は、不要なものだ…)
 この国の未来にも、妹の幸せな未来にも。
 凛翔の想いは混乱しか生まない。

「……忘れよう…」
 誰にも知られないまま、この想いが消えるまで。
 凛翔は迷うことなく自覚した想いに蓋をした。













 表向きは今まで通り接しているつもりだった。
 今まで通り優しくして、今までと変わらず甘やかして。
 ただ2人きりにはならないようにして、自分からは触れないように気をつけた。

 ―――だが所詮は12の子どもだ。完璧には隠せない。


「…凛翔、」
 最初に心配して声をかけてきたのは母だった。
「何か話したいことはない?」
 時折、そっと聞かれるようになった。
「いえ、何も。」
 その度に同じ言葉を返しては、母に悲しげな顔をさせてしまう。
 でもこれは言えなかった。優しい母だからこそ隠したかった。
「…話したくなったらいつでも話してね。」
 母も強く問いただすことはなく、優しく頭を撫でて話の終わりを伝える。
 無理強いしない母に罪悪感を感じはするが、到底言えることではないから黙るしかなかっ
 た。
 強く言われれば話してしまったかもしれないが、その優しさに甘えた。

 だって、どうして言える?
「妹が好きだ」などと、「忘れようとしても募るばかりだ」と。
 抑えれば抑えるほど強くなる想いを、混乱しか生まないこの感情を。
 母が大好きだからこそ言えなかった。








「―――何に悩んでるかは知らないけどさ。」
 誰にも言えずに鬱々としていた自分に次に声をかけたのは浩大だ。
 珍しく地面に足をつけて凛翔の横に並んだ年齢不詳の隠密は、いつものような軽い口調な
 のにいつもは見ない真剣な顔をしていた。
「抱え込むと爆発するよ。誰かに相談した方が良い。」
「…誰かって、誰に?」
 浩大は自分に話せとは言わなかった。
 けれど、母程の逃げ道はくれない。
「それは内容によるけどさ。太子なら自分で考えられるだろう?」

 確かに自分は限界だ。
 きっと自分に近い周りの大人達は凛翔の異変に気づいている。


 無理矢理抑え込んだ感情はいつか爆発するかもしれない。
 吐き出した方が良いのも分かっている。

 けれど、誰に?
 この異常な想いを誰に打ち明ければ良い?


 思い悩んで、悩み続けて、

 そうして浮かんだのは――― 父の顔だった。


 父は何も言わない。
 ただじっと見つめてくることがあるだけだ。
 凛翔が言うまで待っているのだろう。

 本当は父にも言いたくない。
 けれど、同性の分だけきっと母よりは言いやすいと考えた。







「…おかしいことでしょうか。」
 ―――それから、浩大から父に話を通してもらい、2人きりの場所を用意してもらって全
 てを話した。
 父は黙って話を聞いてくれ、頭ごなしに否定するようなことはなかった。

「…人の気持ちは思うようにはいかない。」
 父も似たような経験があるのだろうか。
 少し苦しげに、ぽつりと零すように言葉を返された。
「想うのは自由だ。誰にも止められない。…だが、その想いが通じるかは、」
「実らせる気はありません。」
 言葉を探すようにゆっくりと紡がれる声を遮り、凛翔はそれだけはきっぱりと告げる。
「私が一番に望むのは鈴花の…妹の幸せです。その妨げになるものは全て排除するつもり
 です。」

 その中に、己の想いも含まれていると。
 むしろそれが最たるものだと。

「いずれこの想いは昇華され、元の家族への愛になるでしょう。だから、それまで見守っ
 ていて下さいませんか。」
 そして、もしもの時は止めてほしいと伝える。
 その思いを聞き届け、父は「分かった」と頷いた。









*









「…夕鈴、僕はあの子に何かしてやれるかな。」
 隣の夕鈴の肩に頭を乗せるとぽんぽんと撫でられる。
 甘えるようにすり寄れば、小さく笑う声がした。

 あの時、悩む息子に気の利いたことなど何も言ってやれなかった。
 誰かに打ち明けたことで少しは楽になったかもしれないが、それ以上に何かをしてやるこ
 とはできなかった。

「見守っているだけで良いと思いますよ。」
 にこりと笑って夕鈴は優しい声音で言う。
 あの子がそう望んだなら、と。
「あの子は自分で答えを見つけます。私達大人ができるのは、ただ見守るだけです。」
 少々突き放すような言葉だったが、その声は愛に溢れていた。
 それは息子を信頼しているからこそ言える言葉だ。

「―――だからね、闇朱。貴方も何もしちゃダメよ。」
 そう言って、夕鈴は前に立つ息子の"影"にも笑顔を向けた。
 彼にも知っていてもらうべきだと言って呼び出したのは夕鈴だ。
「……」
「貴方は凛翔よりも大人だから、ちゃんとできるわよね。」
 頷かない彼に、笑顔のままでさらに押す。
「…俺は太子の命でなくては聞きません。」
「その貴方の大事なあの子を傷つけることも、貴方にはできないと知ってるわ。」
「……ずるい人ですね。」
 図星を指された闇朱が泣き笑いのような顔をする。
 そう言われてしまえば闇朱は何もできない。


「大丈夫よ。あの子は私達の子だもの。」

 きっと上手くいく。
 不安に思う男達を前にして、ただ1人確信を持って夕鈴は笑みを深めた。




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説明回みたいなものですが。
鈴花編の時にはすでに自覚していた兄でしたとさ。

最後だけ他人視点で。結構気付いてる人が多かったなと。
そして母強い。


2018.1.2. UP



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