初恋の行方 -凛翔編-




[ 2.5.『小さな変化』 ]


「香月!」
「……太子様?」
 目が合った途端に、庭を挟んだ回廊の向こうにいた相手は、声を張り上げて名前を呼んで
 くる。
 見つけた、と言わんばかりの笑顔で。

「そこで待ってろ!」
 何がそんなに嬉しいのか分からないけれど、とりあえず言われた通りに待つ。
 回ってくるのが面倒だったのか急いでいるからなのか、彼は一旦庭に下りて横切ってから
 香月がいる場所までやって来た。


「何かあったのですか?」
 いつも余裕たっぷりの彼にしては珍しいと、香月は不思議に思って首を傾げる。
 香月の主である鈴花公主は宰相様のところにいるし、母が呼んでいるとしても太子様が呼
 びに来ることはないだろう。
 しかし、それ以外に太子様が自分を呼びにくる問題などあるだろうかと考えても分からな
 い。

「いや、特に問題があったわけじゃない。―――それより、今 時間あるか?」
「今…ですか?」
 問われてこの後の予定を考えてみる。
 香月の予定というのはすなわち我が主の予定と重なることになる。と、宰相様の執務室の
 方に視線を向けた。
「…そうですね。鈴花様が宰相様のところからお戻りにならない限りは。」
 とはいえ、行かれたのはたった今の話だから、戻られるのはだいぶ先のことになるだろう
 と思う。
「ふむ。」
 そこまで話を聞いた相手はちょっと考え込んでからぱっと顔を上げた。
「じゃあ、ちょっとここで待っていてくれ。」
「? はい。」
 また待てと言うので、反対する理由もない香月は素直に頷く。
 意味も分からない香月を置き去りに、彼は上機嫌なままでそこから離れた。







「許可をもらってきた。」
 太子様は本当にすぐに戻ってきた。
 意味不明な言葉とともに。

「??」
 一体、誰に、何の許可をもらってきたのか。
 …いや、かかった時間と香月の立場を考えれば我が主である鈴花様なのだろうけれど。
 それはともかく、太子様が何を言いたいのかさっぱり分からない。
 首を傾げてみるも、相手はただ笑っているだけだ。

「では、行こうか。」
 香月の疑問には答えることなく、太子様は上機嫌で香月の手をとった。
 そのまま流れるような動作で香月をどこかへと連れて行こうとする。
「あ、あの… どちらへ??」
 さすがに不安になって尋ねれば、太子様は見上げた先でにっこり笑った。

「―――私の馬でデートしよう。」














「わぁ!」
 その光景を目にした途端に香月は感嘆の声を上げる。
 太子様の愛馬に乗せられて連れてこられたのは、王都の外れにある白華園だった。

 広い空はどこまでも澄んで青く、日差しはどこまでも暖かく。
 水面は風で波打ちきらきらと輝き、湖畔には季節の花が咲き乱れている。

「そんなに喜んでもらえるなら連れてきた甲斐があったというものだ。」
 景色の美しさに見惚れていると、頭上でクスクスと笑う声がした。
「っ 笑わないでく、…ッ」
 からかわれているのかと思って見上げれば、そこには思ったよりも優しい笑顔があって息
 をのむ。
 あまりに綺麗すぎて固まってしまった香月には気づかずに、彼は惜しみなくその笑顔を香
 月だけに向けていた。
「気に入ったか?」
 小さい頃から…それこそ産まれたときから見慣れた顔であるはずなのに。
 今更見惚れるなんてどうかしている。
「香月?」
「あ…っ はい。ありがとうございます。…ですが、どうして私をここに?」
 気を取り直して何でもない風を装って尋ねてみれば、なんだそんなことかと言わんばかり
 の顔をされた。
「来たがっていただろう?」
「…覚えていてくださったのですか。」
 その事実に心底驚く。

 行きたいと言ったのだって、もう何日も前の話だ。
 しかも2人きりでも何でもなく、鈴花様を交えての雑談の中だった。
 太子様に向けて言ったわけでもない。ただ、花が見頃と聞いたからそう言っただけだった
 のに。

「…どうして突然行こうと思われたのですか?」
「気分転換だ。」
 相手はさらっと言ったつもりだったのだろう。
 けれど香月はそこでピンときた。
「なるほど、私は口実ですか。」


 最近、宰相様が鈴花様の猛攻に絆されてきている。
 このままだと婚姻に結びつくのはそう遠くない未来かもしれない。

 それを間近で見続けるのはつらいものがあるのだろうと思う。
 太子様は今も鈴花様を想い続けておられるのだから。
 それで"気分転換"に行きたいと思い、そこにいた香月を誘ったのだと推察できた。

(うん、とっても納得できる理由だわ。)
 やっとこの不可解なお出かけに納得がいく理由を見つけて満足する。
 その他に理由があるなんて、全く考えなかった。


「何か言ったか?」
「いえ、他に誘うべき方がいらっしゃったのではないかと思っただけです。」
 人をダシに使った相手への意趣返しのつもりだった。
 だいたい"デート"だなんて香月以外だったら誤解を招くところだ。
 …まあ、誤解しないから選ばれたのだろうけれども。
「なんだ。誰か誘って欲しい奴がいたのか?」
「そんな奇特な人はいません。って、はぐらかさないでください。」
 そんな風に楽しそうなフリなんかしてないで、素直に認めればいいのに。
 香月は全部知っているのだから。
「―――私だっていないよ。他の誰でもなく、香月を誘いたかったから連れてきたんだ。」
 それなのに、この人はまだそんなことを言うのか。
 恋人に向けるような甘い笑みで、愛が溢れているような甘い声で。
 他の女性ならば赤くなるところなのだが、香月はじとりと睨んでやった。
「……このタラシ太子。」
「ええっ!? なんでそうなるんだ!!?」


 身代わりにしたいのね。もう一人の"妹"である私を。

(―――でも、それは"妹"に言うセリフじゃありませんわ、"お兄様"。)
 ちょっとズレている4つ上のお兄様に、心の中でツッコミを入れておいた。




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おや? という閑話です。

2018.1.3. UP



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