初恋の行方 -凛翔編-




[ 3.18才『見上げた空の先』 ]


「―――…」
 視察に訪れた街で、凛翔はふと目に付いた店に入った。
 ぞろぞろ護衛を引き連れているときならしない行動だったが、今のお供は星風だけだから
 良いかと思ったのだ。
 2人のときにはよくあることなので星風も黙って付いてくるし、入ったら入ったであっち
 は勝手に店内をうろつき出す。
 こちらも気に留めず目的の場所に一直線に向かった。


(これ、かな……)
 そして凛翔が手に取ったのは、小さな花を模した飾りが付いた簪。
 色は淡い桃色で軽く揺らすとシャラシャラと音が鳴った。
 これを付けた彼女の姿を思い浮かべて、似合うだろうなと小さく笑う。

「何、土産?」
 ひょこっと現れた星風が肩越しに覗き込んできた。
 さっきまで反対側にいたくせに、いつの間に背後に来たのか。
「ああ、まあ」
 もちろん買う気だったから頷くと、じっと見た後に首を傾げられた。
「でもそれ、あんまりお妃様方っぽくないな。」
「え?」
 柳妃と氾妃にと思われたのが予想外で目を丸くする。
 するとその反応こそが予想外だと逆に驚かれた。
「あれ、違うのか? じゃあ、公主に?」
「? 鈴花にならこっちの赤が似合うと思う。」
 そう言って、鮮やかな赤色の花の簪を手に取る。
 鮮やかで大ぶりの花はあの艶やかな黒髪には映えるだろうと思う。
「確かに。あの方にはちょっと可愛すぎるか。じゃあ誰…んー あ、お后様っぽいかも。」
「母上には父上が贈るから買わないな。」
 簡単に言ってしまえば、母に関するものにおいては全てのものに妬くと言い切る父が面倒
 くさい。
 だいたい、父が贈っているので自分の土産の簪など使う機会もないだろう。
「えー じゃあ誰なんだよ?」
「誰って… 香月に似合うと思って。」
 この店を見たときにふと過ぎったのが香月の顔だった。
 王宮にいれば毎日のように会えるが、こうして王宮を出てしまうと何日も姿を見ることが
 できない。
 会えないと会いたくなるし、会えば笑顔を見たいと思う。
 だからといってどうすればいいかは分からないが、土産でも持って行けば喜ぶかもしれな
 いと思ったのだ。
「何でお前が香月に買うんだよ?」
「似合うと思ったから良いじゃないか。」
 首を傾げる星風を放って、凛翔はその簪を大事に大事に手に持った。






 店を出れば青く明るい空が広がっていて、その眩しさに手をかざす。
 いい天気だなと思うと同時に浮かぶのはやっぱり彼女の顔。これはかなり重症だ。

「? 何か飛んでたのか?」
 隣に並んだ星風が不思議そうに同じ場所を見てくるのにふと笑う。
 空にあるのは明るく輝く太陽と風に流れる雲だけだ。
「いや、王都はあっちかなと思って。」
「このおうち大好き人間め。」
「否定はしない。」
 肯定もしないけど、と心の中だけで呟く。
 これ以上香月のことを言えば また何を言われるか分からないと思ったのだ。
 一応星風は香月の兄でもあることだし。


 空を見上げながら思う。

 ―――君も今、この空を見ているのだろうか?








*







 ふと、回廊から見える空に足を止める。
 青い青い空と風を流れる雲。ここ数日雨は降っていない。
 これならば、視察の一行も予定通りに帰ってこれるだろう。

「香月? 何見てるの?」
 ひょいと横から顔をのぞかせた自分の主が、香月の視線の先を追い、次いで不思議そうに
 こちらを見てくる。
 その視線に気づきながらも、そちらを見ることはせずに流れる雲を見やった。
「…旅の無事を祈っていました。」
「へー 普段はあんなに冷たいのに、香月も兄思いなところがあるのね。」
「? あの兄は殺しても死なないので心配はしてません。」
 照れ隠しでも何でもなく即答で返すと、相手はきょとんとして首を傾げる。
 その表情に浮かんでいるのは純粋な疑問だ。
「じゃあ、誰の無事を祈ってるのかしら?」
「……太子様を。」
「あら。」
 その名が出てくるのは意外だという風に彼女が目を瞠った。
「でも、兄様もそんなにヤワじゃないわ。」
 それは知っている。視察も初めてではないし、護衛には兄達もいる。
 そもそも全てにおいて優秀な太子を心配する必要はないかもしれない。

 でも、

「良いんです。私が勝手に祈ってるだけですから。」
「ふふ、そうなの。」
 少し考えた素振りを見せ、彼女はにっこりと笑った。
 どんな男も虜にしてしまうようなその微笑みは、知っている者からすれば裏の何かが見え
 るよう。
「………なんですか。」
「何でもないわ。」
 親友であり主である姫君は、もう一度笑ってから、香月の睨みをヒラリと躱して背を向け
 た。


 その背を追いながらももう一度だけ空を見る。

 ―――貴方も今、この空を見ていますか?









*








「お帰りなさいませ。」
「ああ」
 自分を出迎え、深く頭を垂れる女官に、凛翔も短い返事を返して中に入る。
 父への報告はすでに済ませ、後は部屋に戻ってゆっくりするように言われたのだ。

「これを妃達に。」
 2つの木箱を女官に渡すと、彼女は恭しく受け取って後方に指示を出す。
 そうして各々の木箱を持って去っていく彼女達を見送ると、凛翔は違う方に足を向けた。

 結局簪は4つ買った。
 香月に買って妃に買わないのはおかしいと言われ、ついでに鈴花の分も買ったのだ。
 もちろん母には買っていない。何か言われたら文句は父に言って欲しいと言うつもりだ。

「太子様はどちらへ向かわれますか?」
「母と鈴花に帰ったことを伝えにいく。」
「御意」
 一礼する彼女も下がらせて1人で向かう。
 自分の"家"でまで人をぞろぞろ連れて歩きたくはないし、今から行くのは妃ではなく家族
 の部屋だ。

 そこに行けば"彼女"にも会えるだろうか。
 淡い期待を持ちながら懐にそっと触れ―――たところで、回廊の向こうにその姿を見つけ
 た。







*







(もうすぐお着きになった頃かしら?)
 太子が予定通り戻られるという報告を受けて、朝から宮はにわかに騒がしい。
 公主付きの香月には関係のないことだから、自分の仕事に変わりはないけれど。今も主に
 頼まれて宰相様の執務室に向かうところだし。

 運が良ければ夕方くらいには会えるだろうと思う。
 自分を妹のように考えているあの方は、自分にも「ただいま」と言ってくる。
 だからその時は「お帰りなさいませ」と返そう。そこに笑顔の1つでも付ければ笑い返し
 てくれるだろうか。


「香月」
「っ!?」
 ―――そんなことを考えていたから、急に呼ばれてビックリした。

「太子、さま……?」
 顔を上げればそこには笑顔のあの方がいて、目が合うと彼は少し足早にこちらへとやって
 来る。

「ただいま、香月」
「あ、はい。お帰りなさいませ。」
 戸惑う自分に対して相手はとても上機嫌だ。
 何か良いことでもあったのか、太子様はいつにも増して笑顔が輝いて見える。
 …それとも久しぶりに会ったからそう感じるだけで、元々こんな感じだっただろうか?

「香月、後ろを向いて。」
「??」
 そんなキラキラ笑顔のままで意味不明なことを言われてさらに戸惑う。
 それでも逆らうわけにもいかずに後ろを向くと、まとめて結い上げていた髪に何かが触れ
 た。
「よし」
「? 何ですか??」
 ふり返って見上げても、さっきより近い距離に満足そうな笑顔の太子様がいるだけ。
 ますます意味が分からなくて混乱する。
「うん、似合う。」
 そう言って1つ頷いた太子様は、何ひとつ香月の疑問に答えることなくスタスタと去って
 いった。

「???」
 何をされたのか何が似合うのか。そもそも何がしたかったのか。
 普段から何を考えているのか分からない方だけれど、今日はいつも以上に分からなかった。



「あ、香月! 太子を見なかっ……? ボーッとしてどうした?」
 太子様を追いかけてきたらしい1番下の兄が自分に気付いて声をかけてくる。
 けれど、香月はそちらを見ることもせず、彼が去った方をずっと見ていた。
「香月?」
「太子様が分からない…」
 兄にも「お帰りなさい」を言うべきだったと気付いたのはこれからしばらく後のこと。
 この時は余程呆けていたのか全く思い浮かばなかった。
「…? あ、受け取ったんだな。」
 ふと、兄が自分の目線より少し上を見ながら言った。
 確かさっき太子様も同じ場所を見ていたように思うと、兄を見上げる。
「何の話?」
「その簪。お前に似合うってアイツが買ったんだよ。」
「!?」
 ぱっと頭に触れると、確かに覚えがない簪の感触。
 頭を振ると簪がシャラシャラと涼しい音を鳴らした。
「え、な、なんで…」
「だからお土産。妃達より公主よりも先にお前にって選んでたぞ。」
「!!?」

(いつもよりもあの人が分からない!)
 ただでさえ戸惑っていたのに、さらに混乱させてくれた太子に怒りが沸く。

 そもそも、

(何も言わずに勝手に飾って勝手に似合うと言って去ってくとか何考えてるのあの人は!!)



 いつもは冷静な香月がこの後我に返るのは、しばらく待ってくれていた兄から「お前の用
 事は良いのか?」と聞かれたときだった。




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2人の視点を交互に入れてみました。
元々これは閑話だったんですけど。何だか長くなったので本編に。
次も2人の視点で夏祭りの話です。

2018.1.4. UP



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