[ 4.19才『2人きりの夏祭り』 ] 年に一度の夏祭りの夜。 喧騒に紛れて"誰か"がいても、この人の多さではたぶん誰も気付かない。 なのに、気付いてしまうのは、自分が相手をよく知っているから。 「………」 ちらりと見えた姿にはだいぶ前から気づいていた。 そうしてわざと1人になってみれば、相手はすぐに香月の傍へと駆け寄ってきた。 「…また、今年もいらしてたんですか?」 呆れた声音と胡乱な目をして香月は相手を見やる。 何も悪びれていないその様子にちょっと頭が痛くなった。 「毎回毎回よくやりますね…」 太子様、と、そこだけは声を落とす。 まあ、この雑踏では誰も気に留めてはいないだろうけれど。 「当然だ。もちろん両親と鈴花も来てる。」 自信満々に言われてもため息しか出てこない。 毎年のことなので、香月も今さら怒る気にはならないのだが。 「……宰相様の胃に穴が開きますよ。」 毎年この祭りの翌日は、宰相様から国王一家へのお小言から始まる。 周りが諦めて何も言わなくなる中で続けることは本当にすごいことだと思うし、いつもい つもご苦労様ですと頭を下げて言いたくなる。 もう見慣れてしまった光景だけど、その後宰相様が胃の辺りを押さえてらっしゃるのも香 月は知っていた。 「それが、今年は李順も一緒に来てるんだ。」 「え!?」 あの宰相様が!?と香月は目を丸くする。 明日は槍でも降ってくるんだろうか…と、思わず空を見上げてしまった。 「鈴花がデートしたいって強請ってね。それを父上が面白がって許可した。」 そう言いながらそのときのやりとりを思い出したのか、太子様がクスクスと笑う。 そこに鈴花様を奪われるという焦燥は微塵も見られない。 ―――近頃は陛下も太子様も認めるような素振りを見せている。 と、みせかけた虐めのようにも見えなくもないけど。 「………宰相様の胃が心配です。」 王家に振り回される宰相様を心から不憫に思い、今度胃薬でも差し入れしようと心にメモ しておくことにした。 「では、鈴花様と宰相様は2人で回られているのですね。」 宰相様はともかく、鈴花様にとっては素敵な思い出になるだろう。 けれど、今まではご家族揃って参加されていたのに。 ―――こうして少しずつ変わっていくことが不思議であり怖くもある。 私はいつまで"ここ"にいられるのだろうかと。 「太子様はどうなさるのですか?」 先程から陛下とお后様の姿も見えない。 辺りを見渡す香月の様子で察したのか、太子様は肩を竦めて苦笑いを返してきた。 「父上と母上も万年新婚夫婦だからな。いつの間にかいなくなってしまった。」 それを言ったらうちの両親も似たようなものだ。たまには2人きりにしてあげるのも良い かなと思う。 兄達も嫁や恋人と回るだろう。 さて、私はどうしようか。友達も来ているだろうし彼女達を探して一緒に回ろうか。 「香月」 タイミングを計ったかのように名前を呼ばれる。 顔を上げると優しい笑顔にぶつかった。 ああ、私はこの顔を知っている。 愛しいと、可愛いという、"妹"に向ける顔。 あの方に向けられていたもの。…最近は私に向けるようになったもの。 「私と一緒に回ってくれないか?」 自然と手を出されるのはそれがよくあることだから。 私は太子様の"妹"だ。 あの方にできないことを私としようとする。 本当はあの方と2人で回りたいのに、代価品で満たそうとする。 …全く、しょうのない人だ。 「―――いいですよ。」 自分のと全く違う大きな手のひらに自分のそれを重ねた。 * 「飲んじゃったのか…」 「飲んじゃいましたねぇ♪」 上機嫌の香月に凛翔は肩を落とす。 (少しの間しか離れていないはずなのに、どうして戻ってきたら出来上がってるんだ?) 2人は露天の食事スペースに席を確保して夕食を食べていたのだが、凛翔は追加で串焼き を買うために少しだけ離れたのだ。 自分が離れている間に酔っ払いに絡まれたり変な男に声をかけられたりするかもしれない と、できるだけ早く戻ってみれば、予想外の光景がそこにはあった。 凛翔が席を立つまでは酒の類はなかったはずが、何故か彼女の手には酒用の器が握られて いる。 聞いてみれば、祭りだからと近くの女性に果実酒を奢ってもらったと返事が返ってきた。 「酒、弱かったんだな…」 意外だと思った。 よく一緒に飲んでいる星風は凛翔と変わらないくらいには強かったから。 「私と雪兄様はからっきしですねぇ〜 春兄様と星兄様は強いですよ〜〜」 何が面白いのかカラカラと笑っている。 いつもの落ち着いた態度からは信じられないほどの陽気さで、思わず凛翔も笑ってしまっ た。 「楽しいか?」 「ええ、楽しいですよ〜」 さりげなく彼女の果実酒と水の器を入れ替えてから席に座る。 彼女は怒ることもなく上機嫌なままで水をくるくる回しては笑っていた。 「…私と、でも?」 「そうですね〜 祭りの陽気につられて弱いはずのお酒を飲むくらいには。」 酒精のせいで上気してほんのり赤い顔と少し潤んだ瞳。 そうしてほんにゃりと頬を緩める彼女はとても無防備だ。 こんな彼女は他の誰にも見せられない。…見せたくないと思う。 「ふふ、とっても楽しいですよ。貴方は私と一緒にいて楽しいですか?」 「…楽しいよ。君だから誘ったんだ。」 本当は初めから君と2人で回るつもりだったんだ。 にっこりと笑ってみせれば大抵の女性は赤くなるが、香月はカラッと笑って受け流す。 「相変わらずタラシですね〜 私じゃなかったら誤解しますよ〜」 「誤解じゃないんだけどな。」 「あはは、そういうの私に言っても意味ないですよ〜」 本心なのに何故か信じてもらえない。不本意だ。 「―――でも、私も、貴方が誘ってくれたから、ついてきたんですよ。」 「…っ」 頭の片隅で何かが音を立てた気がした。 「……これはさすがに連れて帰れないな…」 すよすよと気持ち良さそうに眠る香月を眺めながらため息をつく。 しばらくは楽しそうに笑っていたのだが、突然電池が切れたように寝てしまって今に至る。 しかも揺すっても耳元で何度呼んでも起きる気配がなかった。 凛翔1人ならこっそり王宮に帰れるが、香月も連れてというのは無理だ。 碧家の屋敷に連れて行く手も…と考えたが、人目を考えるとあらぬ誤解を受ける可能性も あるから諦めた。 凛翔の方は構わないが、香月の方が困るだろう。 「華南には、明日土下座するしかないか…」 いない間だとはいえ、飲ませてしまったのは凛翔にも責任がある。 小さな体を抱き上げて席を立ちつつ、闇に向けて小さく名前を呼んだ。 「こちらに、我が主。」 姿は見えない。声もおそらく凛翔にしか聞こえていない。 凛翔も前を見たままで会話を続ける。 「…闇朱、伝言を頼む。」 「了解です。お相手は華南様だけで良いですか?」 「ああ。」 凛翔の了承と共に影の気配が消えた。 彼女を寝かせた寝台に腰掛け、ほんのり温かく赤い頬に触れる。 彼女の寝顔を見たのは久しぶりだ。―――といっても、赤ん坊の頃の話だが。 4つ年下の、産まれたときから知っている相手。 …凛翔の"初恋"に気づいて、そしてただ受け入れてくれた少女。 鈴花とは違う。氾妃や柳妃とも違う。 香月は凛翔の中で誰とも違う"特別"だった。 「香月…」 その名を呼ぶときに甘さが乗るようになったのはいつのことか。 見つめる瞳に熱が篭もるようになったのも。 そろそろ認めなければならないと、凛翔も気づいていた。 「香月―――…」 ふっくらと柔らかな唇にそっと口づける。 あの時のように衝動的ではなく、確かな意志を以て。 いつ目覚めるかと思いながら、2度、3度と繰り返す。 「…ぅ……ん…?」 それほど眠りは深くなかったのか、ゆっくりと瞼が上がって―――目が合った。 「香月」 「……たいし、さま?」 自分を見上げる彼女は呆然としているようだった。 寝ぼけているわけではなく、現実に思考が追いついていない様子で。 「起きたか?」 彼女の疑問には一切答えずに白々しく聞く。 今していたことを問われていると知っていても。睨むように見つめられても無視をした。 「―――私は、代わりですか?」 怒って怒鳴って詰ればいいのに。 暴れて抵抗して逃げるべきなのに。 彼女は感情を荒らげず、ただ淡々と凛翔に問う。 彼女の心は分からない。 凛翔の腕に囲われてもなお彼女は冷静さを崩さない。 ただ分かるのは、 このまま何を言っても彼女の心は手に入らないんだろうなということだけ。 「…君がそう思うならそれで良いよ。」 ―――後から思えば、凛翔も多少は酔っていたのかもしれない。 星祭りの夜以外だったら、きっとこんなことにはならなかったんだろう。 「香月の好きなように考えてもらって構わない。」 それで君が一時でもここにいてくれるなら。 「…仕方のない人」 小さなため息と共に漏れた言葉は優しかった。 そうして2人きりの夜は、2人の秘密のまま。 酔いがさめるまで。…夢が、覚めるまで。 →次へ --------------------------------------------------------------------- ※「星空の約束」「夏祭りの夜」と同じあのお祭りです。 この夜に何があったのかは…まあ、そういうことです。 表に出す予定のない裏設定だったはずなんですけど… 何故か書いてしまいました。 しかも3話より長いので、閑話から本編に繰り上げました。 さて、次回が最終回です。量的に分けるかもですが一気に更新します。 2018.1.5. UP