『役目は終わりだ。』 狼陛下が冷たい声音で言い放つ。 『私が愛するのは 彼女ただ1人。』 そうして彼は腕の中の女性に甘く微笑む。 それが私に向けられることはない。 『去れ。』 幻想は砕け散る。 目を開けるとぼんやりと寝台の天井が見える。 寝ていたのだと気づくには少し時間がかかった。 「…いたい……」 呟いて目尻に触れるとしっとりと濡れる感触がする。 また、泣いていたらしい。 同じ夢を見て涙を流す。 何が悲しいのか分からないままに。 「夢、なのに…」 (どちらが夢?) そう思って夕鈴は自嘲する。 あの夢こそがいつかの未来、現実。 今の自分こそ夢という幻想。 あの人の甘い囁きも優しい笑顔も、いつかは誰かのものになる。 「…さて、どうしようかしら……」 きっと今の自分はひどい顔をしていると思う。 ここが我が家ならさっさと顔を洗いに行ってすっきりできるのに。 ここではそうはいかない。 「お妃様、お目覚めですか?」 「…あ、ええ。」 寝室の外からかけられた声に慌てて返事をする。 ほら もう気づかれた。 ここでは1人になることができない。 「…… 最初に顔を洗いたいので用意していただけますか?」 「はい、すぐにお持ちします。」 彼女達が何も言わずにいてくれることだけが救いだった。 小さな噂話を最初に聞いたのは老師。 「また?」 「そう、また今朝も。」 後宮を散歩していた老師は廊下で小声で話す侍女達の声を聞いた。 暇だったのでこっそり耳を傾ける。 彼女達の噂話は貴重な情報源になるのだ。 「最近多くない?」 「一体どうされたのかしら…」 彼女達は誰かを心配しているようだ。 後宮でその対象になるのは、たった2人しかいない。 「何かお悩みなのかしら…」 「でもそれを私達に言ってくださるような方ではないわ。」 悩みというなら陛下の方だろうか。 けれど、次の言葉に老師は耳を疑った。 「お妃様はお優しいから。心配をかけてはいけないとお思いなのね。」 「でもやっぱり心配だわ。」 そして老師はさらに驚くべき言葉を耳にする。 「そうね。何を憂いて泣いておられるのかしら…」 「―――夕鈴が?」 その話はすぐに国王 珀黎翔の元にも届いた。 後宮から滅多に出ない老師が部屋を突然訪問してきたから何事かと思ったのだが。 人払いをして聞いた話は少し予想外のものだった。 「陛下がいらっしゃらないから寂しいのではと、侍女達は言っておりましたな。」 「最近忙しくて後宮に行ってないのは確かだが…」 でも昼は政務室で会っているし、その時は元気に方淵と睨み合っている。 その彼女が泣いていた? 書類をめくっていた手を止めて考え込む。 彼女はいつも頼ってくれない。 何でも独りで抱え込んでしまう。 頼りたくなくても、相談くらいはしてくれても良いのに。 何度言っても聞いてくれはしない。 「彼女がそんなに繊細な娘ですか?」 「それはワシも思うがの。」 失礼なことを言う2人は無言で睨んで黙らせる。 「…今夜は後宮に行く。」 自ずと自分の行動は決まった。 どんなに忙しくても、彼女が泣いているのなら会いに行かないわけがない。 言っても聞かないと分かっている李順は渋い顔をするだけ。 「……分かりました。」 声も渋々といった様子で、それでも了承はしてくれた。 →2へ 2011.1.6. UP --------------------------------------------------------------------- ちょっと長くなってしまったので前後編です。 後編は陛下視点オンリーです。