女王陛下の花婿様 2




 夜になり、湯浴みを済ませ夜着に着替えて ようやく肩の力が抜けると思った頃―――
 いつもと違う女官がやって来たと思ったら、彼女は夕鈴に黎翔の来訪を告げた。

「え!?」
 それは寝耳に水の出来事で、夕鈴は思わず素で対応してしまった。
「陛下…?」
「いえ 何でもないわっ」
 戸惑うような表情を向けられて、慌ててそれを繕った夕鈴は彼をこちらへ通すように言付
 ける。

 そして彼が帳を掻き分け入ってくると、すぐに人払いをして女官達を全員下がらせた。


「ど… どうして貴方がここにいるの!?」
 誰もいなくなってから、黎翔の襟を掴んで詰め寄る。
 ここは夕鈴の部屋だ。しかも夜も更けたこの時間。この時分には李順ですら姿を見せたこ
 とはない。

「陛下がお呼びになったのでしょう?」
 鬼気迫る夕鈴の態度にきょとんとしていた彼は、何を言ってるんだろうという風な態度で
 そう返してきた。
「!!」
 そこで、ああっ そうだった!と思い出す。
 夫婦らしさをアピールするために、夜になったら部屋に来て欲しいと言っていたのだ。
 だって、李順がそう言えって言ったから。

「やっ でも、どうして貴方も夜着なのよ!?」
「…寝る前のこの時間に、他に何を着ればよろしいのでしょうか?」
「うっ」
 至極もっともな黎翔の意見に、夕鈴は押し黙るしかない。

 彼を部屋に呼ぶという行為が、本来どういう意味を持つかも一応知ってはいる。
 …知ってはいるのだけど。


「……ちょっと、どうしてそこで笑うのよ。」
 睨むと彼から「申し訳ありません」と言葉が返ってくる。
 ―――あまり悪いとは思っていなさそうな態度で。

 思えば、今日は彼にずっと笑われているような気がする。
 "氷の女王"に対してなら、こんな無礼な態度を取ればすぐ処罰してしまえるのに。
 演技だとバレている彼にやっても意味はない。

「"氷の女王"が、こんなにも可愛らしい方だったとは… 思いも、しなくて。」
「!!」
 元々赤かったであろう顔にさらに熱が集まった。
 夕鈴が一歩後ろへ下がると、彼はそれ以上の歩幅で一歩近づき距離を詰める。
「れぃ…」
 固まってしまった夕鈴の目の前で、彼がふっと笑った。
「噂では男を手玉に取る妖艶な王…とのことでしたが?」
 伸ばされた手が飴色の髪に触れる。
 それから逃れるように夕鈴はそっぽを向いた。

「……全部演技だし。」
 ぽつりと拗ねたような声が漏れる。
「本来は恋もろくに知らない小娘よっ」
 慣れてなくて悪かったわねッ
 馬鹿にされた気分で、横を向いたまま声を荒らげた。


 恋なんて、そんな甘い感情に浸れる余裕はなかった。
 毎日を全力で生きていて、一番最初に無駄だと思って切り捨てたものだった。

 そもそも、辺境に追いやられた姫に声をかけるような奇特な貴族の男はいない。
 一番近くにいたのが李順だったってくらいに、本当に無縁だったのだ。


「本当に…?」
「え?」
 何故か疑う言葉を向けられて、無遠慮に手首を捕まれる。
 それに声を上げる間もなく手を引かれると、彼の方へと引き寄せられた。
「なっ!?」
 ふわりと身体が浮く感覚がしたと思ったら、視界が回ってすぐに背中に何かが当たる。
 彼に長椅子に押し倒されたのだと気づいたのは、彼の秀麗な顔がすぐそばに近づいてから
 だった。
「!!? れ、れいしょ…!」
 一体何事だと夕鈴は大いに慌てる。
 何故こんなことになっているのか皆目見当がつかない。

「―――では、李順殿とはどういったご関係ですか?」
「…は?」
 真剣な表情で告げられたのは思っても見なかった質問だった。
 咄嗟に理解できないまま言葉を発してしまった自分は、相当間抜けな顔になっていたに違
 いないと夕鈴は思う。
「夫である私よりも仲が良いように見えるのは些か妬けます。」
 黎翔曰く、王宮内では二人の仲を疑う話もあるらしいとのこと。
 周りからすれば、李順は王の最も身近にいる男になるらしい。
「え、あんな姑みたいな男は、私 嫌よ。」
 そんな周囲の誤解を夕鈴はあっさりと否定した。
「向こうだって、こんな小娘はきっと却下するわ。」

 李順が聞いたら絶対ものすごく嫌な顔をすると思う。
 …彼のことだから、もうすでに知っていて 敢えて黙ってる気もするけれど。

「李順の好みは優雅でお淑やかで教養を兼ね備えたような女性よ。この世にいるかそんな
 もんって思うけど。」
 ぱちぱちと瞬きを繰り返す黎翔にもそれは予想外だったようだ。
 そんな彼に「離して」と頼むと、謝りながらすぐに退いてくれた。

「―――李順と私は兄妹みたいなものよ。互いにそんな感情を抱いたことは一度もないわ。」
 黎翔に起きあがらせてもらい、恐縮して長椅子から降りようとした彼を留まらせて隣に座
 らせる。
 戸惑った様子だったので、たった今ここに押し倒した人間が何を今更と言ったら黙った。


「…あ、お茶でも飲む?」
 気まずくなってしまった雰囲気をどうにかしたくて、夕鈴は努めて明るい声を出して立ち
 上がる。
「何かリクエストはあるかしら? ある程度なら応えられるわよ。」
 手慣れた様子で準備を始めた夕鈴を見て、黎翔が慌てた様子で立ち上がった。
「まさか陛下がお淹れになられるのですか?」
「あら、そこらの侍女達よりも上手に淹れる自信があるわよ。」
 会話の間にも茶壷を温め、茶葉の用意を始める。
 ―――と、そこで黎翔が夕鈴の手の甲を押さえて止めた。
「そうではなく… 陛下が臣下に茶を淹れるというのは……」
「…貴方もそう言うのね。」

 たぶん、私は落胆したのだと思う。
 それが声と表情に出ていたみたいで、彼の手がぱっと離れた。

「"陛下"…ね。そう呼ばれるのは本当に性に合わないわ。」
 彼が気に病まないように、夕鈴はできるだけ明るい声で振り返る。
 でも、それはすぐに崩れてしまった。
「演技で騙してるだけの… ただの小娘なのにね。」
 思わず自嘲の呟きが漏れる。
 笑うのも失敗してしまったから、それを隠すように俯いた。

 どんなに女王様を演じていたって、本当の"私"は女王様になんてなれない。
 だって、本当の私はガサツで乱暴者で、本当に何の取り柄もなくて。
 ただお父様の子だから、お兄様の妹だからここにいるだけの私。
 そんな私がどうしてここにいるのか、いつも考えてしまう。

「私が王様なんて、ほんと似合わない。ぶかぶかの服を着せられているみたいだわ。」
 自分の小さな手を見ていると、小さく震えていることに気づいた。
 この身には余りすぎる力。
 大きな力を手にしていることを、時々恐ろしく思う。
「…陛下。」
 その手を包み込むように、大きな手が夕鈴の手を握り込む。
 優しく触れてくるその手に力は入っていない。
 けれど、抗えばすぐに離れるだろうそれを振り解けずにいると、手を引かれて再び長椅子
 へと並んで座ることになった。


「では、何故王になろうと思われたのですか?」
 二人の手は夕鈴の膝の上で繋がれたまま。
 その温かさに今はホッとできて、だからそのままでいた。

「…王にならなきゃ何もできなかったから。」
 あの頃を思い出して、夕鈴はぽつりぽつりと心境を吐露しだす。
 決断したあの日、夕鈴は確かに自分でこの道を選んだ。
「この国をこの手で豊かにしたいと思ったの。私が育った北は本当に貧しいところでね、
 でも忘れられた姫だった私は何もできなかった。だけど、王になったら何かできるかもっ
 て思った。」
「忘れられた…?」
 黎翔が怪訝そうに眉根を寄せる。
 それで本当に彼は何も聞いてないんだなと思った。
「殺されそうになってお父様に辺境に送られたのも、本当に小さい頃だったし。みんな私
 のことなんて忘れてたのよ。」

 父が生きていた頃はそれなりに生活できていた。
 けれど、先王…異母兄が王位に就いてからは援助の手は減ってしまった。
 それを幼く無知な夕鈴はどうすることもできなかった。
 そうしていつしか、王宮で夕鈴の存在は忘れ去られていったのだ。

「―――でも、そのおかげで生き延びたんだけど。」
 それが良かったのか悪かったのか分からないと夕鈴は自嘲気味に笑う。
「お兄様が亡くなった時、誰が後を継ぐかって大問題になったんですって。あんなに後宮
 に女を侍らせておきながら、一人も子どもがいないってどういうことよって思ったりもし
 たけれど。」
 まあそこは仕方がないと今になっては夕鈴もそう思う。
 争い絶えない血生臭い場所では、まともに子を産み育てることもできなかったのだろう。
 それだけ当時の王宮は腐りきって荒れ果てていた。
「で、それぞれ大臣達が自分に都合の良いのを連れてきて、王位に就けようと目論んで…」
 この辺りの話は宰相に聞いた。
 夕鈴を説得する時にこれらの話をしてくれたのだ。
「泥沼になるかと思われたときに、宰相が私を見つけたの。先々王―――お父様の子の中
 で唯一生き残ってた私をね。」

 宰相に会った日は今も忘れられない。
 あの日から、私の人生は大きく変わってしまったのだから。

「最初は抵抗したわ。このままあそこで一生を終えるつもりだった小娘が、いきなり王な
 んてなれるわけないって。」
 そう突っぱねる夕鈴を宰相は根気強く説得した。
 それこそ何日もかけて、逃げる夕鈴を追いかけてまで。

『……民の暮らしを良くしたくありませんか。王ならそれができます。』
 夕鈴の意志を決定づけたのはその言葉だった。

 民の貧しい暮らしを見て育った。
 助け合い、励まし合い、それでも苦しい生活を強いられていた人達。
 それでも彼らは"夕鈴"という存在をを見てくれた。彼らの中に入れてくれた。
 いつか恩返しができたら良いと、温かい彼らに囲まれながら思っていた。

 突っぱね続けた宰相の言葉の中でそれだけは耳に残って、それから離れなくなって。
 何もできない自分が、王になれば何かできるかもしれない。
 そんな風に思ったから。

「そんなに簡単じゃなかったけどね。」
 何度あそこへ帰りたいと思ったか知れない。
 嫌なものもたくさん見て、他人を信じることができなくなりそうだった。
 そんな時は貧しくても温かかった彼らのところへ帰りたいと泣いた。
「最初の頃はほんとに辛かったわ。周りは敵ばっかりだし、気は抜けないし。」
 宰相の助けや李順の支えがなければきっととうに潰れていたと思う。
「命を狙われたりもしたけれど、それよりも古狸の嫌味の方が堪えたわね。」

(…どうしてこんなことまで話してるのかしら。)
 止まらない言葉に自分で戸惑う。
(今日会ったばかりなのに。)
 でも、彼の手の温かさは本当に安心できた。
 夕鈴の言葉全てを受け止めてくれるような、そんな気持ちになってしまったから。


「……こんなこと 李順にも言えなかった。」
 李順に言っても「我慢しなさい」って言われるのは分かっていた。
 彼は昔から夕鈴を甘やかさない人だったから、愚痴は言えても弱音は言えずにいた。

「私は、重大な秘密を知ってしまったのですね。」
 彼が悪戯めいたように言うから、夕鈴も肩を竦めて笑う。
「そうね。貴方は私の弱みを握ることができたの。利用して脅すことだってできるわね。」
 それだけ大きな秘密なのよと言うと、彼は納得できかねない様子で眉を寄せた。
「心外です。私がそんなことをするとお思いですか?」
「思わないけど。」
 即座に答えたら彼は何故か押し黙る。
 虚を突かれた顔をしてこちらを凝視しているのを不思議に思いながら、夕鈴は少しだけ自
 嘲気味に笑った。
「傷付くのが怖いから予防線を張っただけよ。」

 彼のことは信じている。
 だけど、先に悪いことを考えておけば傷も軽く済む。
 王宮で身に付いてしまった悪いようなものだ。

「―――でしたら代わりに、私も秘密をお教えしましょう。」
 そうすればお互い様ですから。
 そう言って、彼は内緒話をするかのように夕鈴の耳元へ唇を寄せた。




















 臨時バイトを雇った翌朝、いつものように我が主の元へ向かう途中で、李順は信じられな
 いものを目の当たりにした。

「李順!」
「何事ですか! 王ともあろう方がはしたない!」
 どたばたと回廊を駆けてきた夕鈴を李順が厳しく叱責する。
 しかし、今日の夕鈴はそんなこと構っていられないとばかりに李順に詰め寄った。
「だってこんなの 落ち着いていられるわけないでしょう!?」
 その後ろからは黎翔が苦笑いしながら付いてきている。
 何事かと思ったら、鬼気迫る勢いで睨みつけた彼女は続けて黎翔をびしっと指さした。
「これは詐欺じゃない!?」
「は?」
 彼女の言い分の意味が分からず怪訝な顔を黎翔へと向ければ、ようやく追いついた彼は
「申し訳ありません」とだけ言った。


「あれが演技だったなんて!」
 女王をも圧倒したあの雰囲気が演技だったと知った夕鈴の戸惑いは相当のものだった。
 怒りにも似た感情が溢れだし、まだ収まらない。
 すっかり騙された自分が悔しいというのが一番だからなのだろうけれど。





 ―――昨夜、夕鈴の弱みを握った代わりに彼からの秘密も教えてもらった。

『初めて会ったときのあれ、全部演技ですよ。』
 クスクスと笑う楽しげな声が耳を擽る。
 それが"秘密"なのだと彼は言った。
『…黎翔?』
『はい?』
 実はまだ、彼の言葉の意味は理解できていない。
 それ以上の何かが夕鈴を支配していたからだ。
(今の、声…?)
 隣にいるのは黎翔のはずだ。人払いもしているのだからここには他に誰もいない。
 けれど、何かが違う。
 そう思って顔を上げると、にこにこ笑う別人がそこにいた。
 いや、造作は彼のままなのだけど、印象が全然違っていたのだ。
『……誰?』
『もちろん貴女の夫の珀黎翔ですよ、陛下。』
 悪戯が成功した子どもみたいな顔で相手はそう言う。
『…いや、別人でしょう。これ。』

 何 この小犬みたいな生き物。狼はどこ行った。
 声も雰囲気も全然違うし。

『騙したの…?』
『いえ。基本的にどっちも素ですが、王宮では―――こちらでいることが多いですね。』
『!!?』
 がらりと雰囲気を変え、黎翔は手慣れた手つきで夕鈴の腰を浚う。
 ガチガチに固まった夕鈴の頬に手を添え、ゆっくりと顔を近づけてきた。

『…このまま本当に朝まで過ごしますか?』
 腰が抜けてしまいそうな低く甘い声。
 見つめる瞳は獲物を狙う狼のように鋭く、なのに目を逸らせないほどに魅入られる。

 けれど、夜の闇を思わせるような艶やかな微笑みに見惚れてしまったのは一瞬。

『〜〜〜ッ! 出てけ このエロ狼!!』
 渾身の力で突き飛ばし、一番手近な武器だった沓を投げつけ追い出した。






「おや、もう教えてしまわれたのですか。」
「だって、ずっとあのままだとかなり疲れるし。」
 ころっと態度を変えた黎翔を前にしても、李順はそれほど驚かない。
 どうやら彼は知っていたらしい。…知らなかったのが自分だけだというのがまた悔しい。

「…この私に黙ってるなんて、度胸あるわね 貴方達。」
 じろりと睨むと、突然 黎翔がその場にすっと膝をつく。
 突然スイッチが入ったように変わった彼に、夕鈴の身体は反射的に固まった。

「では、私は虚偽罪で極刑でしょうか?」
「ッそんなことしないわ!」
 反射的にそう叫んでいた。
 突然大声を出された黎翔の方は驚いた顔をしていて、夕鈴は慌てて口を押さえる。
 李順が横で睨んでいたからだ。いつどこで誰が聞いているか分からないのに、素を出しか
 けた自分を恥じた。

「…良いの、演技のお手本にするから。」
 彼を罰する気はなかった。
 ただ気付かなかった自分が悔しいだけだ。
「ああ、それは良いかもしれませんね。陛下はちょっとしたことで素が出ておしまいにな
 るので。」
「ううっ どうせおっちょこちょいよっ」
 たった今 失敗しかけた夕鈴は強く言い返せない。


「そういうところも可愛らしいですよ。」
 黎翔が夕鈴の手を掬い取り、軽く握って注意を彼へと向けさせる。
 そうして向けたのは甘さを含む柔らかな微笑み。
「ッッ」
 跪かれたままそれを見てしまった夕鈴は、耳まで真っ赤になって言葉を失った。


「―――どうやら教わることは山のようにあるようですね。」
 その様子を傍目で眺めながら、李順は呆れて呟いた。




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2013.1.6. UP



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メインの夜の場面はやっぱり長くなりましたね…(そっち系の展開は何もないですけど!)
夕鈴が黎翔を信頼する重要なシーンのつもりでした。
ちなみに夕鈴が逃げ回ったのは、決して宰相が幽鬼のようで怖かったわけではありません(笑)
シリアスな展開だったからその辺のツッコミが入れられなかったです。

1/14) スミマセン、続きが遅くなりました(汗) 予想以上の時間の無さに敗北…orz

 


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