女王陛下の花婿様 3




「おい、聞いたか?」
 一人の官吏が同僚に声をかけると、相手も分かっていると頷く。
「陛下が男を後宮に入れたって話だろ?」
「それどころか いっつも傍らに従えてるって。」
「え、マジかよ!?」


 女王が一人の男を気に入ってそばに置いた。
 しかも、名も無きただの武官である下級貴族の男を。

 縁談を全て突っぱねた女王が誰かを選んだというだけでも異例の話。
 その事実は瞬く間に宮中に広まっていった。


「どんな奴だ??」
「すっげー美形の男だとさ。武官で腕も立つとか。」
 それは敵わないと誰かが呟くと、別の誰かが鼻で笑う。
「でも貧乏貴族なんだろ?」
 氾家や柳家のような家柄なら即諦めただろうが、認めたくない彼らとってその点だけは唯
 一付け入ることができる部分だった。

「馬鹿だなぁ そんなの関係ないだろ。陛下は家柄で判断しないって以前から仰ってたじゃ
 ないか。」
 けれどそれも、その一言で崩れ去る。笑った男はぐうの音も出なくなった。
 彼女が家柄で選ぶ人物なら、今頃名立たる貴族の子息が彼女の隣に立っていたはずだ。
 そうなるとやはり、王は本気であの男を選んだことになる。


「つーか、陛下が誰かのものになるなんてショックだー」
「もう少しみんなのものでいてもらいたかった!」
 女王に憧れる何人かは嘆きの声を上げる。
 それらは主に高望みもしない平凡な者達の声だ。

「でも勝ち目ねーよ あれじゃ。」
 誰かがそう呟くと、全員が反論できずに黙り込んだ。
 女王が選んだ相手は男としては最上級。「あの男がなるくらいなら俺が!」なんて言える
 相手じゃない。

「あー 羨ましいなー」
「ほんとに。」
 口々に気持ちを吐露する彼らの視線の先には、仲睦まじく歩く二人の姿があった。






「…陛下はおモテになられますね。」
 様々な意味を込めた視線を受けながら黎翔がぽつりと漏らす。
 それがちゃんと聞こえた夕鈴は、眉を跳ね上げて彼を睨みつけた。
「何それ イヤミ?」
「いえ、正直な感想です。」
 答えながら彼が辺りをぐるりと見渡すのに倣って、夕鈴もそちらへ視線を向ける。
 そして、多くの目がここに集まっていることに気がついた。


「―――大半が権力欲にとりつかれた奴らよ。残りは好奇心ね。」
 夕鈴はそれらをあっさりと切り捨てる。
 ここで自意識過剰な勘違いをする気はさらさらなかった。

「…これは、演技のやり甲斐がありますね。」
「へ?」
 聞き取り損ねて聞き返そうと、彼を見上げたのとほぼ同時に腰を抱き寄せられる。
「なっ!?」
 抵抗も難なく封じられ、気がつけば長身の彼の腕の中。

(ち…っ 近い 近い…ッ!!)
 場所が場所だけに大きな声も出せずに一人でパニックになっていると、黎翔がさらに耳元
 に顔を近づけてきた。
「……ッッ」
 これ以上は無理だと、さすがに叫んでしまいそうになった時、互いにしか聞こえないくら
 いの声で囁かれた。

「―――陛下、演技の時間です。」
 それはからかうわけでもなく、存外淡々とした声音だった。
 途端に頭が冷静になって、夕鈴はふっと息を吐く。

(何をやってるの、私…っ)

 恥ずかしがってる場合じゃない。
 何のために、彼に協力してもらってるのか。


「…黎翔、」
 真っ直ぐに彼と視線を合わせ、逸らさないまま 腰に回った手に自分の手を重ねた。

「ここは後宮ではないわ。もう少し待ちなさい。」
 目を細めて口端を上げ、女王様らしく高慢に命じる。
 彼は苦笑いを浮かべて腕の力を緩め、代わりに指を絡めてきた。
「では陛下、お戻りになられますか?」
「そうね。……ここは視線が煩わしいわ。」
 ちらりと視線を流すとぴしりと空気が固まる。
 慌てて視線を逸らす者、くるりと背中を向ける者… 素直な反応だと内心で笑った。

「行きましょう。」
 何故か手を離してはくれなかったから、仕方なく繋いだままでその場を離れる。

 背中に刺さる視線は様々な感情が入り交じっていた。
 ほとんどが害のないものの中、一部に不穏なものが混じっていたのにも気付いていたのだ
 が。
 しかしその全てを無視して、二人は後宮の方角へと消えていった。















*














 半月もすれば、女王の傍らに侍る男のことについて王宮内で知らぬ者はいなくなっていた。
 それにつれ 彼女が黎翔を連れ歩く姿も多く見られるようになり、彼が隣にいるのも当た
 り前になりつつある。

 多くは遠くから見ているのみだったが、中には黎翔に憤りの矛先を向ける者もあった。




「…陛下も酔狂な方だ。」
 まるで独白のように、しかし しっかり黎翔に聞こえるように。
 大臣の一人と回廊ですれ違うことになり、黎翔が脇に避けて頭を下げると通り過ぎる際に
 わざと声高に言葉をぶつけられた。
 ゆっくり視線を上げると、嘲るような表情かち合う。
「このような下級貴族のどこが気に入られたのか。」
 重ねられた言葉にも黎翔は無言を通す。
 こういうことは初めてでもなく、古狸の戯言と聞き流していた。


「―――そうね。"上手"だったからかしら。」
 笑い声さえ聞こえてきそうな声音が2人の間に滑り込む。
「…陛下!」
 大臣の焦った声に彼女は楽しげに笑む。
 長身の黎翔の後ろから突然顔を出した夕鈴は、彼の隣に並ぶと腕をするりと絡めた。


「黎翔はとっても優しいの。―――私のためなら何でもしてくれるわ。」
 ぺったりと彼の腕に寄り添い、夕鈴は彼の代わりに大臣に答えを渡す。
 …先程大臣が黎翔に向けたものと同じように、相手を嘲る笑みを浮かべて。
「人一人を闇に葬ることぐらい造作ないわ。たとえば… 私が煩わしいと思った輩とか。」
「ッ」
 惚気のようでいて、その実 脅しでしかない言葉に大臣がさっと青醒める。
 その反応が期待した通りで彼女は笑みを深めた。
「どうしたの? 私は誰とは言ってないわ。」
 慌てるのは疚しいことがあるからかしら?なんて、分かりきったことをわざとらしく聞く。
 大臣の表情が完全に強張っているのを見て、夕鈴はそれ以上は興味を失ったかのように黎
 翔の方を見上げた。


「ね、黎翔。疲れたわ。政務室まで連れて行って。」
「御意。」
 絡めた腕を放して、夕鈴は両手を広げて彼の首に伸ばす。
 黎翔はその命令に忠実に従って腰と足を掬い上げ、壊れ物を扱うかのように抱き上げた。

「へい、か…」
 呆けたように呟く大臣を、夕鈴はまだいたのという目で見下ろす。
 さすがにもう黎翔に何かを言う気はない様子だが、ここで釘を刺しておくのも良いだろう。

「彼は"狼"よ。喧嘩を売る相手は選ばないと、噛みつかれるわよ?」
「……!」
 その意味を正確に理解した相手は言葉を飲み込む。賢明な判断だ。
 クスクスと笑う声を残して、彼女は黎翔と共にそこから去った。









「…ごめんなさい。」
 二人きりになると一転して夕鈴の態度から高慢さが消える。
 むしろどっぷり凹んだ様子で謝った。
「何故謝るのですか?」
「貴方に嫌な思いをさせたから。貴方はお仕事で私のそばにいるだけなのに…」

 女王の夫という仕事を引き受けてしまったが故に、彼は謂われのない中傷を受けている。
 そしてそれを強いているのは自分だ。

 それが、とても申し訳なかった。


「―――嫌なことなどありません。貴方のそばにいられるだけで私は幸せです。」
 なのに彼は優しく微笑んでそんなことを言ってくる。

 黎翔は私にとっても優しくて甘い。
 自分だけにそんな眼差しを向けてくれる、そんな甘い夢に囚われそうになる。

(…でも、分かってる。黎翔がそばにいてくれるのは仕事だからだわ。)

 彼が優しいのは、夕鈴が女王だからだ。
 そんなのは最初から分かっていた。
 それを特別だとときめいたりするような、馬鹿な勘違いはしたくない。


「…ありがとう。」
 でも今は、その優しい嘘が嬉しかった。
 許してくれたのだと思いたかった。


 ―――この感情には蓋をするから。
 だから、あと少しだけ、貴方のそばに。




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2013.1.14. UP



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大臣とのやりとりの後の小ネタ。
「ところで、何が上手なのですか?」
「? 演技。」
「ああ、なるほど。」
そんなオチ。夕鈴は嘘は言っていない(笑)

あと、もう一つすみません。1話分伸びました。これでも削ってるんですけどね…
ではもう少しお付き合いをお願いしますm(_ _)m
 


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