とある官吏の出世録 1




「命知らずだなぁ」
 からかい混じりの同僚達に、ムッとしながら言い返す。
「思うだけなら自由だろ。」

 手の届かない人だから、望むものは何もなかった。
 それは見ているだけで十分だと思える程度の、恋というより憧れに近い感情だったのか
 もしれない。









「「あ、」」
 それぞれ別の意味合いを持って漏れ出た同じ言葉は、直後のバサバサッという大きな音
 に掻き消された。
「す、すみません!」
 遅れてそれが自分の手から滑り落ちた書簡だったことに気づいて慌ててしゃがむ。
 だって、驚いてしまったのだ。まさか書庫で会えるとは思っていなかったから。

「大丈夫ですか?」

 恥ずかしさで真っ赤になりながら それらをかき集める自分の目の前に白い手が伸ばされ
 る。
 長い髪がサラリと流れて、甘い香りが鼻先を掠めて。
 固まっているうちに散らばったそれらの一部を手に取って、細く白い手はまたそばから
 離れた。
 
「わ、私がしますから!」
 彼女がやろうとしていることに気がついて、慌てて自分も立ち上がる。
「お止めください! お妃様!!」
 自分の失態を、こともあろうにお妃様に手伝わせるだなんて。
 けれど当の本人はそれを聞いて不思議そうに首を傾げた。
「2人の方が早く終わりますでしょう?」
 それは至極最もな意見、正論だ。
 しかし 彼女は官吏ではなくお妃様だ。陛下唯一の寵妃に下っ端の手伝いなんてさせられ
 ない。
「それはそうですが…ッ」
「ならば問題ありませんわ。」
 反論の言葉を封じ込め、ニッコリと笑ってさっさと書簡の一つを棚に収めてしまう。
 そして笑顔に心臓のど真ん中を射貫かれて放心している間に、2つ目も棚の中に消えて
 いた。




 それから何度も謝って、もう良いから早くしないと間に合わないと言われて止めて。
 結局2人で片付けをすることになった。
 
「いつもこのようなことをされているんですか?」
 あまりに手慣れた様子につい疑問が口をついて出る。
「早くこちらに着いた時はそうですね。差し出がましいことかもしれませんが、私だけた
 だ座っているのは心苦しいですから。」
 差し出がましいだなんて。
 なんて謙虚な方なんだろう。…ってそうじゃなくて!
「そんなことありませんよ! むしろ周りはお礼を言うべきです!」
 勢いで捲くし立てて、しまったと思う。
 少しビックリした顔をされた後で、「ありがとう」と逆にお礼を言われた。
 


 不思議な人だと思う。
 妃というのは、後宮でただ贅沢に暮らし、寵愛を得る為に美しさを磨くだけが仕事なの
 だと思っていた。
 こんな風に人知れず書庫を片付けたり、下っ端官吏に気さくに話しかけてくれるような
 人じゃないはずだ。
 今までのイメージを覆すその姿はむしろ好感度を上げただけなのだが。
 
 お妃様が政務室に侍ることを良く思わない官吏もいるが、それはお妃様の我が儘ではな 
 く陛下が片時も離したがらないからだとか。
 そのお姿を間近で見られるのは嬉しいが、それが陛下の寵愛故だと考えると心中は複雑
 だ。
 「妃」なのだから当たり前だと分かっていても、自分ではどうしようもない。




「こんな所で何をしている!」
 突然大きな声が廊下に響き渡った。
「休憩の時間は終わっているはずだ。もうすぐ陛下が来られるのにグズグズしている暇は
 ないだろう。」
 この声は… やっぱり柳方淵殿だ。
 ハイ!と慌てて走っていくのは同僚達。
 さては覗いていたな。
 
「また来ていたのか。」
 書庫に顔を見せた瞬間に、彼は嫌な顔を隠しもせずお妃様を睨みつけた。
「陛下がお望みならばどこへでも参りますわ。」
 2人の間にははっきりと火花が見える。
「こんな場所に貴女がいても何の役にも立たないだろう。」
「そんなことありません!」
 彼の言葉に思わず反応していた。
 今のは言われ無きことだと思ったから。
「お妃様は書簡を落としてしまった私の手伝いをしてくださったんです。」
 彼女の前に立って一気に言い終えると、初めてその存在に気づいたかのように彼に凝視
 される。
「―――では、次回からは気をつけることだな。妃の手を借りるなど言語道断だ。」
 言い捨てるように正論を述べて彼は書庫を去った。
 もちろん、お妃様を睨むのを忘れずに。
 
 
 
「すみません…私のせいで…」
 元々は自分の失態が招いたことだ。それでお妃様に不快な思いをさせてしまった。
 謝るしかできない私にお妃様は大丈夫と声をかけてくださる。
「彼はいつもああですから。貴方のせいではありませんわ。」
「でもそれは、お妃様がここで何をされているか知らないから…!」
「いえ、彼は知っているの。」
 さらっと言われた。そのせいで一瞬理解するのが遅れてしまう。
「え!? 知っていてあれなんですか!?」
 さすがに驚いた。
 あ、でも知っているのは私だけではなかったのか。と少し残念に思った気持ちは秘める
 ことにする。
 周りに知って欲しいと思ったのも本心だが、誰も知らないということに優越感を得てい
 たのも事実だから。
「ええ。彼が気に入らないのは私が政務室にいるということですから。」
「…でも、お妃様相手にあの態度はいくらなんでも問題では?」
 下っ端官吏に何が言えるわけでもないが、贔屓目を抜いてもあれは酷過ぎるんじゃない
 だろうか。
 この方がこんな性格でなければ首が飛んでもおかしくない。
「これで陛下の前で媚び諂うような人なら問題ですけど。」
 言葉から分かる。お妃様があの方に向ける感情は嫌悪ではない。
「あの人 陛下や側近殿にも同じことを言ったそうです。それなら私は正面から受けて立
 とうと。」
「……あの方を認めておられるのですね。」
 返事は返ってこなかったけれど、お妃様が見せた表情が答えなのだと思った。

 方淵殿が羨ましい。
 お妃様にどんな形であれ、その存在を認めさせていることが。
 きっとまだ顔も名前も覚えられていない私は足元にも及ばない。
 陛下は無理でも方淵殿に並ぶことはできるだろうか。

 この時私の中で、一つの目標が掲げられた。











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2011.1.22. UP



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うん、オリキャラ視点で前後編とかどうなの。
何故だかやたらに長くなりました…



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