花守 2




 ―――翌日から奇妙な光景が見られるようになった。

 女王の傍らに、不必要なほどぴったりと寄り添っていた姿がないのだ。
 それについて当の陛下も側近も何も言わない。まるで何事もなかったかのように執務は進
 められている。
 もうすっかり見慣れていただけに誰もが首を傾げるしかないのだが、どうしたのかと聞け
 るほど勇気がある者もいなかった。







「……?」
 その日、水月は政務室の入り口に門番のように佇む姿を見つけた。
 あの獣のような瞳で睨まれると気分が悪くなるので、普段はあまり関わろうとは思わない
 のだが。

「何故、中に入らないのですか?」
 つい声をかけてしまったのは、彼が落ち込んでいるように見えたからだ。
 顔を上げた彼は水月の声に苦笑いで返してきた。
「呼ぶまで姿を見せるなと言われたので。」
 彼の様子から察するに、陛下を怒らせてしまったらしい。
 珍しいと、純粋にそう思った。
「喧嘩ですか?」
 普通の夫婦らしいところもあったのだなと微笑ましい気分になったのだが、黎翔の方は完
 全に落ち込んでいるようで覇気がない。
「…少し、自惚れていたんです。」
 二人の間に何があったのかは分からない。
 けれど、いつも冷静に仕事をこなす彼がここまで意気消沈するほど、彼は陛下のことを特
 別に想っているのだろうというのは分かる。

「私が言うのも変ですが、貴方は誰より特別ですよ。」
 彼がどれだけ特別扱いをされているのか、だけではない。
 彼を見つめる女王陛下が… ただの恋する少女の顔をしていることを、水月は知っている。
 近くにいるからこそ見えたことだ。

「もっと、自信を持たれても良いと思います。」
「……貴方に励まされるとは思いませんでした。」
 軽く目を見張った黎翔が呟くように言うのに笑って返す。
「貴方がいてくださらないと、私が困りますから。」
 励ますのは彼のためではなく自分のためだ。
 彼がいなくなれば、また面倒なことに巻き込まれるのだから。

「…ありがとうございます。」
 柔らかく笑う彼を初めて見た。








*








「さて、何人が罠にかかるのかしら?」
 李順から渡された報告書を片手に、氷の女王がくすくすと笑う。

 蒼玉国の使者がもうすぐやって来る。―――その手に書簡を携えて。
 そこに何が書かれているのか、何のために来るのか。情報はすぐに王宮内を巡る。
 そして、誰がどう出るか。

「楽しみだわ。」

 こちらとて、身を切る思いで好きな人を切り離したのだ。
 この苛々を少しくらい晴らせるような、そんな展開を期待していた。


「―――私は反対です。」
 傍らに控える李順が、夕鈴とは対照的に渋い顔で言った。
 彼はこの計画を思いついた当初からずっとこの調子だ。
「黎翔殿が抜けた状態では些かリスクが大きすぎます。」
「私はそう簡単にやられたりしないわ。」
 李順の忠告を軽く流し、意見を変える気はないと態度で示す。
「陛下。御身を無闇に危険に晒すのはお止めください。」
 それでも李順は諦めず、毎日同じ言葉を繰り返す。

 夕鈴も自分が王だという自覚がないわけではないが、すぐ危険な場所に飛び込む癖は昔か
 ら変わらない。
 他人が傷つくのは嫌がるくせに、自分が傷つくのは厭わないのだ。
 …同じように心配する誰かがいるとは考えもせず。
 彼女を小さい頃から見守っている李順からすれば頭が痛い話である。

「警備を倍に増やします。」
「要らない。」
 李順の案は罠にならないからと突っぱねる。
 不利益しか生まない狸共をできるだけ多く罠にかけるための作戦だ。
 その餌が夕鈴なのだから、警備が厚くては意味がない。
「ならばせめて、浩大を常に付けてください。」
 それも煩いと言い返そうとして、止めた。
 李順が本気で心配しているのが分かったからだ。
「……分かったわよ。」
 過保護だなぁと思いながら、これ以上反発すると胃に穴でも開けそうな彼のために、夕鈴
 は少しだけ折れてやった。








*








「蒼玉国から使者が来るらしい。」
 秘密裏に進められていたはずのその話は、何故かあっという間に王宮の噂として広まって
 いた。
 どこから誰が漏らしたかも分からないまま、それは事実として伝わっていく。
 そしてそれは、政務室に出入りする若い官吏達も例外ではなかった。
「その使者というのが、現王の第三王子なんだろう?」
「末永く両国の関係を良好に保つため、ということだと聞いた。」

『……………』
 そこで話は一旦途切れ、顔を見合わせた全員が同じ顔になる。

「…つまり、そういうことだろう?」
「顔合わせってことだろうな。」
 次いで一斉に深い深いため息が漏れた。
 中には俯き肩を落とす者もいる。
「ついに正式な伴侶を選ばれるのか…」
「あーあ、もうチャンスはないってことかぁ」
「元々お前にはないだろーが。」
 鋭いツッコミにめげることなく、その男は半分涙目ながらに声を荒らげる。
「ちょこっとくらい夢見たって良いだろ! 黎翔殿見て本当に身分関係ないって思ったしッ」
「でも最終的には王子だったな。」
 別の男の呟きに、怒りが萎んだ彼は再び小さくなってしまった。
「勝てねぇよなぁ…」
 誰が言ったか分からないくらいの小さな呟きが、その場にいた全員の心を代弁していた。






「………」
 その噂を聞きながらも、黎翔は反論することもなく遠くから見守るだけ。
 遠慮してか 誰も黎翔には聞いてこない。――― 一部を除いては。

「―――貴方はどうなさるのですか?」
 隣にいた水月が静かに聞いてきた。
 黎翔が視線を移した先の彼は穏和で…読めない顔をしている。

 あの日から黎翔と水月は何かと話すようになった。
 自分のためと言いながら、彼が心配しているということは黎翔も気づいている。
 あまり慣れない扱いに戸惑いはするものの悪い気はしない。自然と会話をする回数も増え
 た。

「それは私も聞きたいところだ。」
 今日は方淵も一緒だ。相変わらず眉間に皺を寄せ、睨むようにこちらを見てくる。
 別に黎翔に怒っているわけではなく、彼は今回の噂に納得していないのだ。
 何に対しても真っ直ぐな彼はそれをはっきり伝えてくる。

「…私は、陛下に従うまでです。」
 二人の視線を受けながら、黎翔は努めて冷静に答えた。

 まだそばに寄らせてもらえない。
 後宮でも呼ばれないから会いに行くことができない。
 その間にこの噂が流れ始め、もうどうにもできなくなった。
 タイミングが良すぎる気がするが、誰の意図かも分からない。

「貴様はそれでいいのか?」
「………」
「納得してない顔をしているぞ。」

 言われなくても分かっている。
 黎翔も納得などしていない。

「ッ だったらどうすればいいんだ!?」
 急に声を荒らげた彼に方淵は目を見張る。
 すぐにはっと我に返った黎翔が目を逸らすが、それに水月がふと微笑った。

「黎翔殿、貴方は特別です。」
 その笑みと同じ柔らかい声で水月が続ける。
「迷うな。あの方を守れるのは貴様だけだ。」
 方淵ははっきりと告げてくる。

「貴方はどうしたいですか?」
 もう一度、水月が聞いた。
「貴様が望むようにすればいい。」
 その言葉の意味を理解した黎翔がぱっと顔を上げ―――…



「…………」
 少し離れた屋根の上で小さな影が動いたことに、話し込んでいた彼らは気づかなかった。








*








「蒼玉国とはな。」
 薄暗い明かりの中で、嗄れた声が吐き捨てるように呟く。
「我々に許可なくまた勝手に決めおって…」
「こちらが取り入る隙がなくなるではないか。」
 それに応えて別の声が次々と挙がった。
 皆 不満げな様子を隠しもせず、愚痴愚痴と自分勝手な思いを漏らす。

「―――まだ方法はある。」
 そんな中、一人の男が口端を上げて言った。
「我々に都合がいい、新しい王を立てればいい。」
 それを聞き、その場にいた全員が同じような顔になる。
 思っていることは皆同じらしい。
「思い通りにならぬ王など不要だ。」
 言った男が視線を巡らせると皆頷く。
 前王の頃のように過ごしやすく、それが彼らの総意だった。

「味方は何人いる?」
「幾人か知っている。声をかけてみよう。」
 少しずつ話は固まっていく。
「…周は陛下の忠臣だ、絶対にこちら側には付かないだろうな。柳と氾はどうだ?」
「どうだろうな… 息子達はあの小娘に傾倒しているようだが…」
「周りの連中からそれとなく探ってみるか。」
 彼らの中に失敗という文字はなかった。
 あんな小娘になど負けるわけがないと、彼らには確信があったのだ。
「蒼玉国の使者が来るまでに片を付ける。」
 次の集まりの日時までを話し合い、彼らは満足した顔でその会合を解散した。









「―――だってサ。」
 ばっかだなぁと笑いながら浩大が報告する。
 狸共の企みは全て筒抜けで女王まで届けられた。
「…大事な話は誰にも聞こえないところでするものですよ。」
 やはりここだったかと、李順はため息をつく。
 蒼玉国の噂をばらまいて動き出すのを待っていた。
 あっさり罠にかかってくれたのは有り難いが、状況によっては事が思った以上に大きくな
 りそうで頭が痛い。

「捕らえますか?」
「…まだ証拠がないわ。」
 まだ計画すら立てられていない状態で動き出しても、彼らに反発されればこちらの立場が
 危うくなる。
 李順の気持ちも分かるけれど、夕鈴は大掃除がしたいのだ。

「とはいえ、あの人が来る前には済ませたいところね。」
 今回の使節団の中にいる人物を思い浮かべる。
 あの人は、全ての事情を知って協力してくれている。
 お人好し過ぎる彼に、夕鈴としてはあまり心配をかけたくはない。
「もう一つ仕掛けましょうか。」
 もちろんこの案は反対されるだろうけれど夕鈴も引く気はない。
 最終的に彼らが折れることも分かっていて、夕鈴は無茶な提案を口にした。








*








「女王の命を狙う一派がいる。」
 情報は黎翔へも届けられた。情報をもたらしたのは方淵と水月だ。

 奴らは彼らの家にも接触を図ってきたらしい。
 氾家は今のところ保留、柳家は聞かなかったことにするという返事をし、それを息子達に
「あとは好きにして良い」と言って告げた。
 当然二人は女王の忠臣、そして黎翔の味方だ。

「奴らは蒼玉国の一行が到着するまでに片を付けるつもりだ。」
 両家の情報網は図り知れず、奴らの目論見はあっという間に彼らに知れた。
「あの人達の計画によると、陛下は夕食後同じルートで庭を散策され、途中でほんの少し
 だけ一人の時間をとられるそうだよ。」
 そんな習慣は知らない。黎翔はそう言おうとしたが止めた。
 あの人が何を考えているのか、分かった気がする。
「首謀者と思われる広家には、互いに裏切らないように賛同者の名を記した書簡があるら
 しい。」
「あとは、決行の日が―――…」



「…フム。これは李順さんに知らせるべきかな。」
 隠密の独り言は誰にも聞こえず風に流される。




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2014.10.5. UP



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容量超えたのでもう一個区切ります。
視点がコロコロ変わるので読みにくいかもしれません…

何だかんだで黎翔さんと方淵と水月さんが仲良しですw
春の宴辺りから悪いわけではなかったんですけど。
そして浩大に聞かれてるよ、坊ちゃん方ww
 


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