夜が明けても 1
      ※ 910000Hitリクエストです。キリ番ゲッターみっこ様に捧げます。
      ※ ちなみに50000企画「明けない夜、覚めない夢」(=内緒の恋人)設定です。




「―――陛下。」
 執務室で最後の書簡に目を通していたとき、李順が1つの書類を机上に置いた。

「"永遠"を手に入れるために、一時の別離を選ぶことはできますか?」
 その言葉を聞いて、目の前のものが何であるかを理解する。
 黎翔はそれを手に取り開くことはせず、代わりに李順の方に目を向けた。
「…期間は?」
「一年―――…と思いましたが、半年にしました。あまり長いと周りも無駄に騒ぎ出しそ
 うですので。」
 ギリギリですよと李順はぼやく。全てを最良に導くため、熟考を重ねた結果が半年らしい。
 その後も愚痴愚痴と続ける李順の声を聞き流しながら、黎翔は計画の詳細が記されている
 であろう書類に目を落とした。

 今からやることを考えれば、半年は短いのかもしれない。
 だが、黎翔にとって二つもの季節を跨いでしまうというのは…

「長いな…」
 耐えられるだろうかと、思ってしまった。
 本当は、一日ですら離れたくないというのに。


 "夕鈴を一時期壬州へ送る"、なんて。

 彼の地は馬で行くにも遠すぎて、会いたいときに会いに行くことができない。
 それどころか、あの愛らしい姿すら見ることは叶わない。
 必要なことだと分かってはいても、感情の方が納得してくれないのだ。


「……それも仰ると思いましたよ。」
 一応独り言のつもりで呟いたそれに、李順は呆れた顔でため息をつく。
「中程に壬州への視察を入れました。それで我慢してください。」
 意外な言葉を聞いたと思ってもう一度顔を上げると、そこには渋い顔の李順がいた。
 李順は"私"という人物を良く理解している。そのため、多少の無理をして視察を入れ込ん
 だのだろう。…ものすごく不本意に思いながら。
「一回だけか?」
「一回だけです。」
 少ないなと呟くと、李順のこめかみがひきつる。
「…陛下、私はなくても構わないんですよ?」
 ちょっと調子に乗りすぎたらしい。
 このままではその一回すらなくなりそうだったので、足りないという言葉は飲み込んだ。
 一年が半年、さらにその半分になるのだからと己に言い聞かせて。
「……分かった。その代わり、それまで邪魔するなよ。」
「はいはい。」
 それは想定内だと言わんばかりの返答には、黎翔も苦笑いしか返せなかった。










「陛下! お帰りなさ―――わっ!?」
 出迎えた彼女が言い終わる前に腕の中に彼女を囲う。
 何も言わずにぎゅうぎゅう抱きしめると、彼女は少し躊躇った後にそっと背中に手を回し
 てくれた。
 その間に侍女達は音もなく下がり、静かな空間には二人だけが残される。
 何も聞かず何も言わず、彼女は黎翔の好きなようにさせてくれた。


「……ごめん、もう大丈夫。ありがとう。」
 心を十分落ち着けてから、ゆっくりと彼女から身を離す。
 そうして見つめた彼女はいつものように真っ赤な顔ではなく、とても心配そうな顔をして
 こちらを見上げていた。
「陛下…? どうされたんですか?」
 本心から心配してくれていることが分かる優しい声が、じんわりと心に沁みる。
 途端に沸き起こった衝動のままに、再び彼女を強く抱きしめた。

 "黎翔"という存在をここまで思ってくれる人を、他に知らない。
 そんな彼女だからこそ愛おしく、だからこそ離れがたい。
 今でこそ彼女のおかげで安定しているが、その前までは彼女を失うことを怖れて閉じこめ
 てしまったこともある。

 ―――それほど愛しい相手を、これから半年も手放さなければならないなんて。


「夕鈴は寂しくない?」
 腕の中で彼女の肩が小さく震える。
 …それで、彼女も全てを聞いたのだと知った。

 夕鈴を永遠に手に入れるため――― 正妃にするためには、それなりの期間が必要だった。
 そのための半年だ。
 その間、夕鈴は壬州の荷文応の下へ預けられる。
 そこでは彼女が正妃になるための教育も行うのだと李順は言っていた。
 自分は王宮で彼女を迎え入れるための準備を行い、彼女は壬州で迎え入れてもらうための
 準備を行う。

 …必要なことだと分かっているのに、彼女に会えないという事実が決心を鈍らせる。


「―――寂しいですよ。でも、それが貴方のそばにいるために必要なことなら我慢します。」
「夕鈴…」
 彼女の方が黎翔よりずっとずっと強かった。
 黎翔の胸に顔を埋めているため表情は伺えないが、はっきりとした言葉は彼女の強い心を
 写している。
「……そうだね。僕は君を離したくない。そのためには我慢も必要かな。」
 夕鈴がそう言うのなら、自分ばかりがうじうじとしていられない。
 彼女に相応しい男でいるためには、我が儘ばかり言ってはいられない。



「陛下、大好きですよ。」
「うん… 僕も愛してる。」
 これから会えない分まで、互いの気持ちを伝え合う。

「ちゃんと迎えに来てくださいね。」
「勿論。一番に駆けていくよ。」
「だったら私は一番に迎えに出ます。」
 そう言いながら二人で笑った。


「……きっと、あっという間ですよ。」
 宥めるように背中を撫でる手のひらが、泣きたいくらいに温かくて。

 やっぱり彼女の方が強いと思った。







 ―――それからしばらくして、後宮から妃の姿が消えた。
 唐突に、何の前触れもなく。

 しかしその理由については女官達も口を噤み、ただ涙を流すだけ。
 それに加えて王も何も言わなかったため、様々な憶測が流れることとなり、自然と理由を
 問うことは禁忌となった。












*












「―――お妃様が後宮を出られた理由を教えていただけませんか?」

 狼陛下唯一の寵妃が消えてから、十日余りが過ぎた日のこと。
 誰もが口を閉ざす中、それを切り出したのは意外にも氾水月だった。

 彼の後ろで官吏達が驚愕の目を向けているが、本人はあまり気にしていない。
 隣の方淵が「仕事中だ」と止めようとしたのを制し、黎翔は水月に先を促した。
「気になるのか?」
「あまりにも唐突でしたので… それに、妹が必ず聞いてきてほしいと頼むのです。」
 おそらくそちらが大きいのだろうなと、黎翔は小さく笑う。
 そうでなければ、今だ狼陛下に震え固まるような男が進んで聞いてくるとは思わない。
「あの娘は我が妃を本当に慕っているな。」
「ええ。大好きなお妃様が突然いなくなり、完全に塞ぎ込んでしまっているのです。」


 今回の計画については、ほんの数人しか知らない。
 政務室内で黎翔に近い水月も方淵さえも何も教えてはいなかった。

 夕鈴は紅珠にだけは話しておきたいと言っていたが、相手が氾家の娘ということもあって
 止めている。
 彼女には悪いが、半年は我慢してもらわねばならない。


「妹のために、何か教えていただけませんか。」
「……そうだな。」
 黎翔が呟くように言うと、他の官吏達も全ての手を止めてこちらの方を見た。
 思惑はそれぞれあるだろうが、皆気になっていたらしい。

「―――今回のことは、妃たっての願いだ。私はあれに甘い…叶えぬわけにはいかんだろ
 う?」
 彼女の不在を肯定しつつ、彼女への感情は隠さずに言う。
 寵愛が薄れたわけでも仲違いしたわけでもない。変わらず彼女は唯一だと。
「どういうことでしょうか?」
「…妃は優しい。父親が病気と知り、いてもたってもいられなくなったのだ。」

『!!?』
 途端に後ろがざわめく。

 出自不明の妃の情報が思いがけなく手に入ったのだ。
 さらに聞こうと身を乗り出そうとし、気づいて慌てて引っ込める姿が滑稽で面白い。


 遠慮などしなくとも、そんなに聞きたいのならもっと教えてやろう。


「命に別状はないし大丈夫だと言うのだが、自分で看病すると言って聞かぬのでな。」
「お妃様らしいですね。」
 彼女ならそうするだろうと、彼女の人となりを知る水月も納得したようだった。


 それを見越して李順が用意した作り話だ。奴の計画には相変わらず隙がない。
 こういうところに李順の優秀さが見える…などとは、本人に言ってやる気はないが。

「ああ。―――私よりも親を選んでしまう、本当に罪作りな娘だ。…だからこそ、私は愛
 しいと思うのだが。」
 これがもし真実でも、彼女はそうしただろうと思う。
 だからこそ演技は必要なく、"夕鈴"の人となりを思い起こせば言葉も自然と出てくる。

「それで、お妃様はいつ頃お戻りになられるのですか?」
「さあ。父親の具合が良くなれば戻るだろうが…その前に私の方がしびれを切らして奪い
 に行くかもしれぬな。」
「陛下はお妃様を本当に愛されておられるのですね。」
 黎翔の前では珍しく穏やかな顔でそう言う水月には、肯定の意味で笑みを返しておいた。




(―――さて、)
 水月の後ろに軽く視線を走らせる。
 今の会話を聞いていた彼らの反応もまた様々だ。

 餌は撒いた。後は周りがどう動くかを待つのみだ。

(せっかく情報提供をしてやったのだから、上手く活用してもらいたいものだ。)
 動揺を隠せない官吏達を眺め見ながら、黎翔は新しい遊戯に思いを馳せた。







 


*










「妃の居場所が判明しました。」
 さらに数日後。
 とある貴族の屋敷では、書類を手にした男から主人へ報告が行われていた。

「上手く痕跡を隠してありましたが、我が家の諜報能力の方が上回ったようです。」
 部下は自慢気に言うが、主の関心はそこではない。
「どこだ?」
 急かすように丸い体を椅子から乗り出して先を問う。
 それまで自信満々だった男は、何故か答えるのに少し躊躇いを見せた。
「早く答えろ!」
「それが… その、―――壬州長官、荷文応様のお屋敷でした。」
「…なに?」
 聞き間違いかと思った。
 しかし、部下は間違いないのだと、静かに首を振る。
「陛下は父親の看病と仰っておられたそうですので…」
「なん、だと……?」
 行き着く先の真実に、目の前が真っ暗になった。
 だらだらと嫌な汗が流れ出す。
「つまり、あの娘は…」
「はい。別筋の話によると、荷長官は胃を悪くして倒れられ、現在はご自宅にて静養中と
 のこと。間違いないと思われます。」
 聞けば聞くほど都合の悪い結果にしかならない。
 しかし、嘘だと言えば我が家の諜報部を疑うことになる。
「…素性不明の妃ではなかったのか。」
 先程の勢いなど微塵もなく、男は力なく椅子に腰を下ろす。
「何故隠しておられたのか… 何故、身分低い妃に留めておかれたのか…」

 荷長官といえば、陛下が即位する前から側に仕えている信頼厚い人物だ。
 彼の娘であれば誰からの文句も出ないはず。
 今まで出自不明の妃だったからこそ付け入る隙を見出していたというのに。
 陛下の寵愛は今だ深く変わりなく、自分の娘を妃にできる可能性は潰えてしまった。

「ただ、州長官の実の娘ではなく養女だということですが。」
「…そんなもの、阻む理由にはならんわ。州長官の娘であることには変わりないのだから
 な。」

 最近王宮がやけに静かだと思っていた。空になった後宮に誰も何も言わないのだ。
 おかしいと、もっと早く気づくべきだった。
 おそらく他にも同じ情報を得た者がいるのだろう。

 ならば、この情報が広まるのも時間の問題だ。
 ―――広まれば、あの妃が立后するのを誰も止められない。


「……そうか、そういうことか。」
 認めさせるためにわざと探らせたか。
 全ては初めから仕組まれたものだったのだ。
「完敗だな。」
 狼に勝とうと思ったのがそもそもの間違いだった。

「………認めるしかなかろう。」
 おそらく幾人もが苦々しい顔で呟いたのと同じ言葉を、彼もまた静かにこぼした。




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2015.9.2. UP



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は、半年以上ぶりの更新…!(汗)
後半は壬州でのイチャイチャです。たぶん。
 


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