花の笑顔 1
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 舞い降りた天女―――

 離宮の宴で陛下のご寵妃が見せたその姿を、最初に見た時にそう思った。
 そして、彼女のその姿を見た時から忘れられなくなった。
 毎夜夢にまで見るほどだ。


 普段、王宮の政務室で見ていた姿は可愛らしいといえばそうだが、それ以上の印象はな
 かったのだ。
 しかし、離宮での姿は違った。

 少女ではなく女性、無垢の白ではなく艶やかな極彩色。
 まさに妖艶。
 その姿は男を惹きつけて放さない。

 女性は化けるとよく言ったものだが、まさにそれを見せつけられた気分だった。





「いや、確かにみんな見惚れたさ。」
 あの日のことを熱く語ると、一緒に休憩していた官吏仲間が呆れて言った。
「天女と言われても納得する。」
「だろう?」
「でもな、相手は狼陛下の花嫁だぞ?」
 別の男が横から忠告を挟む。
「しかも、妃以外の他の誰も目に入らないほどの寵愛ぶりだ。」

 そんなこと分かっている。見ていればそれくらい分かる。
 多忙で会いに行けないからと政務室に妃を召すくらいなのだ。
 さらに今まで1度も訪れなかった離宮に行かれたのも、「温泉に行きたい」という妃の
 願いだったらしい。

 そして周りは口を揃える。
「「「勝ち目ないだろ。」」」
「うるっさいなー わかってるさ、それくらい。」
 ふて腐れて唇を尖らせると、周りは仕方ないなといった風に笑った。
「だったら今回はさすがに諦めろ。」

 いつものことだとみんな軽く笑って受け流す。
 "彼"はそういう男だった。
 数々の浮名を流し、王宮一の色男と呼ばれ、それだけの恋愛を経験してきた。
 その彼が今度は妃に目を付けたと。
 しかし身の程を知っているだろうと誰も相手にしなかった。
 すぐに他の女に目が移る。誰もがそう思ったのだ。

 …だから、そうではないことを知っているのは、この場に彼本人しかいなかった。






 *







 その日、報告書片手に政務室に入ったが、陛下の姿はそこになかった。
 ただ1人、お妃様だけがいつもの椅子に腰掛けていて、こちらに気づくと軽く会釈をさ
 れる。

「陛下はどちらに? 命じられていたものの報告に来たのですが…」
 きょろきょろと辺りを見渡すが、やはり彼女以外の人影は見えない。
「宰相様に呼ばれて出て行かれました。待つように言われたのですぐに戻られると思い
 ます。」
 扇で口元を隠して優しげに微笑まれる。
 あの日の妖艶さはそこにはないが、よくよく見ればあの日の彼女に重なった。

(…あれを出し惜しみなさるとは、陛下も悪いお方だ。)

 自分だけのものにしておきたい気持ちも分かるが。

 ――― 己だけが知る大輪の華。
 奥深くに閉じ込めて、この腕の中でのみ咲いて欲しいと願うのが男というもの。

 しかし、その姿は月光の下で人の目に触れた。
 それに魅せられた者も多く、自分もまたその1人だ。

 彼女を1人にしたことの危うさをあの陛下はご存知だろうか。


「では待つことにします。よろしいですか?」
 彼女と2人きりという幸運を逃す気はなかった。
「ええもちろん。私に遠慮などなさらずとも結構ですのに。」
 彼女はくすくすと笑う。
 警戒心は持たれていないようだとまずは一安心。
「もしご不快に思われてお妃様に嫌われたくはありませんので。」
「私に、ですか?」
 不思議そうに首を傾げられた。
 向けられた感情の意味を分かっていないとでもいう風に。
「はい。貴女に嫌われてしまったら私は生きていけません。」
 よくこんなにスラスラと歯の浮くセリフが出てくるものだと自分で自分に感心する。
 全て本心ではあるのだが。
「面白い方。私の機嫌を取っても何も変わりませんのに。」
 なかなかに手強い。
 幸いなのは近づいても彼女が何の警戒も抱かないところか。
「少なくとも貴女の中の私の印象は変わります。私は貴女の笑顔を見ていたいのですか
 ら。」
 また一歩近づく。
 彼女は朗らかに微笑むだけで動こうとはしない。
「あの時の花の笑顔を私にも見せていただきたいと…」


「景絽望!」

 室内に響いた声に舌打ちして顔を上げる。
「…無粋な男だな、柳方淵。」
 もう少しでこの白魚の手が握れそうだったのに。
 盛大なため息をつくと、相手は苦い顔でじろりと睨んできた。
「仕事中に女を口説くなと何度言えば分かる。」
「その言い方だと私が遊び人のように誤解されてしまうじゃないか。」
「誤解も何も事実だろう。」
 こちらの意見をすっぱりと切り捨てて、彼はお妃様の方に視線を移す。
「…貴女も勘違いするな。この男は女と見ると誰でも口説かずにはいられないんだ。」
「オイオイ失礼だな。誰が冗談半分でこんなことをするか。」

「―――何ですか、騒々しい。」
 2人の口論に割り込むような形で、陛下の側近の李順殿が入ってくる。
 その後ろから陛下もゆったりと入ってくると彼らの脇を通り過ぎた。
 もちろん困惑した顔で座ったままのお妃様に微笑むのは忘れずに。

「何事だ?」
「いえ。ちょっとした意見の食い違いですのでお気になさらず。」
 陛下が座られたのを見計らって、報告書を差し出す。
「朝 仰られていた件について報告に参りました。」
 早いなと軽く目を見張った陛下が感嘆の声を上げて言った。
 仕事の早さはそこにいる柳方淵に劣らないと自分でも思っている。

「目を通しておく。お前の口からは午後で構わないか。」
「はい。お妃様とお過ごしになる貴重な時間を奪う真似は致しません。」
 笑顔で告げると、陛下ではなく横に控える彼女がボムッと赤くなった。
 今まで相手にしてきたどの女性にもない反応に可愛いなと思う。
 同時に、それを見た陛下が僅かに表情を緩めるのを見逃さなかった。

 あの初々しい反応が陛下の心を掴んでいるのか。
 一般的な貴族の女性にああいう反応を示す者はいないだろう。
 どこで見出されたのか知らないが、陛下より先に彼女を見つけられなかったことが残念
 だと思った。


「方淵も何かあるのか?」
 陛下の視線が方淵に移ったことで自分の思考も戻ってくる。
「私はなかなか戻らないこの者を呼びに来ただけです。」
 方淵はこちらを睨んだまま陛下に告げた。
 そうして彼は一礼すると執務室を出て行く。自分もまた深く礼をしてからそこを退出し
 た。









「あの2人って仲良いんですか? 悪いんですか?」
 2人の足音が消えてから、夕鈴は扇を下ろして席を立つ。
 侍女に頼んで用意してもらっていたお茶の準備を始めながら尋ねると、李順がメガネを
 直しながら扉の方へ視線を投げた。
「同期なので互いに気にかかるのでしょう。理由はともかくどちらも敵を作りやすいタ
 イプですし。」
 もう1人の彼の理由とやらは分からないけれど、あの口論は心配するようなものではな
 いらしい。
 気安い分だけお互い遠慮がないだけなのだろうと勝手に納得した。

「柳方淵は相変わらずですけど、もう1人のあの人は面白い人ですね。」
 ふふっと思い出して笑いながら注いだお茶を陛下に手渡す。
「私の機嫌を取っても何にもならないのに、嫌われてしまったら生きていけないとか花
 の笑顔を見たいだとか。」
「…へえ?」
 そう呟いた陛下の機嫌が急激に悪くなった気がした。
 笑っているんだけれど目が冷たいのは気のせいだろうか。

「夕鈴。午後からは後宮に戻ってていいよ。」
「? はい。」
 夕鈴に対しての態度はいつも通りだ。
 さっき空気が冷えたのは気のせいだと思うことにした。
 だったら午後からは掃除に行こうと、夕鈴は深く考えずに思う。
「夜は一緒に食べようね。」
「分かりました。お待ちしています。」
 にこっと笑うとにこっと返される。
 鈍い夕鈴は、結局彼の機嫌が悪くなった理由に気がつかなかった。






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2011.4.13. UP



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また短く話が書けない病に…!(汗)
景絽望のキャラはわりと気に入りつつ、2に続きます。
 


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