心ときめかす愛の薬 2




 自分の寝台に夕鈴をそっと横たえる。
 己の欲に負けないうちに身を離そうとすると、縋るように彼女の手が追いかけてきた。

「あつい… へい、か…」
 早くどうにかして欲しいと、熱を含んだ吐息を零して訴える。
 しかし、逆に黎翔が触れようとするとびくりと大きく体が震えた。

 拒絶じゃないというのは分かる。これは過剰に反応しているだけだ。
 ―――となると、思い当たる可能性は、、


「…誰に、飲まされた?」
 姿見えぬ存在に殺意を覚える。
 地を這うように低く響いた声は、幸いにも自分のことで限界の夕鈴の耳には届かなかった。

(誰が何の目的で?)

 ――――"媚薬"などというフザケたものを盛って彼女に何をするつもりだったのか。
 返答によっては八つ裂きにするだけでは足りない。

「どうしてくれようか…」
 狼の瞳が剣呑に光る。
 鋭い牙を覗かせて、知らぬ男に静かな怒りを向けた。


「へい、か…」

 けれど、その声に全ての考えが霧散される。

 潤んだ瞳、バラ色の頬、熱を含んだ吐息。
 腕にしな垂れかかって何度も自分を呼ぶ甘やかな声。

 こんな姿は他の男には見せられない。
 男にとっては彼女こそが媚薬となりかねず、黎翔もギリギリの自制心で留めていた。

 優しく大切にして守りたい、めちゃくちゃに壊してやりたい。
 笑って欲しい、泣かせたい。
 相反する2つの心がせめぎ合う。

 愛しく思うからこそ手を出せずにいた。
 嫌われたくないと思うほど、君のことが大切だから。

 けれど、いつもギリギリのところにいて、切っ掛けが1つでもあれば崩れてしまうのも分
 かっていて。

「陛下、」

 ああ、ダメだ。
 それ以上何も言わないで。
 まだ君を壊したくないのに。

「たすけて…」
「――――…っ」

 流れた涙と小さな呟きが、最後の理性を焼き切った。





「夕鈴―――…」
 できるだけそっと押し倒して、今度は自分も寝台に乗る。
 組み敷いた華奢な肢体、これを壊さずにいられるだろうか。

 常のような抵抗もしない彼女が伸ばす手を掴む。
 その手を首の後ろに回させて、彼女の首筋に顔を埋めた。

「あ…っ」
 軽く触れただけで体が大きく跳ねる。
 熱から逃れるように力を込める手が、逆に黎翔を引き寄せるものとなる。
「ゃ…」
 戸惑う声もどこまでも甘く、爪を立てる仕草さえ甘い痺れを誘った。

「へい、か……っ」

 ぽろぽろと零れる涙は生理的なもの。
 唇で掬ってついでに瞼に口付ける。

(ああ、なんて美味しそうな――――)


「陛下!!」
「っ!?」
 絶妙というかなんというか。
 絶対わざとだろうと思うくらいのタイミングで、隣室から大きな声が聞こえた。

「…李順か。」
 いままでの甘い雰囲気を完全にぶち壊してくれた声に怒りこそ覚えるが、同時に冷静さも
 取り戻す。
 こんな形で彼女を手に入れても、自分が欲しいままの彼女はいなくなってしまう。


「…ごめんね、夕鈴。」
 怒りと安堵とが綯い交ぜになったような複雑な心境で、額にキスを落とすと少しだけ名残
 惜しく思いながら彼女から離れた。











 夕鈴の傍らに座り、手だけを繋いだ形で李順を中へ呼ぶ。
 薬の効果でまだ彼女は苦しそうだったから、安心させるためにそれだけを自分に許した。

「…、私が呼んだのは老師のはずだが?」
 邪魔をしてくれた方の怒りはまだ少し残っていたので、言い方は些かきついものとなった。
 しかし李順はそれを気にするような人物ではない。
「その老師がちんたらされてるのでお連れしたんですよ。」
 李順の後ろから老師ものたのたと入ってくる。
 その老師が、黎翔と夕鈴の姿を見てちっと舌打ちしたのを黎翔は見逃さなかった。

「―――お前か。」
「何の話ですかな?」
 内の感情を一切見せずに老師はしらばっくれる。
 しかしその態度で逆に犯人を確信した。

(本当に懲りない年寄りだ…)
 諦めないと言っていたのは本当だったらしい。

「いらんことをするなと前にも言ったはずだろう。」
「そう言われましても、これがわしの仕事ですからの。」
 バレたと分かっても老師は全く慌てなかった。
「…妃に一服盛るのがか?」
 怒気を含んだ声音は氷よりも冷たい。
 さすがに老師もマズいと感じたらしく顔を青くさせた。

 これがもし老師ではなく、下心のある男だったら今頃生きてはいない。
 老師の場合はただのお節介だから見逃してやっているだけのこと。

「言っておきますが、わしは覚悟の足りない若者の背中を押しただけですぞ。」
 言い訳のつもりはないと言いおいてから、老師はそう付け足した。
 何の覚悟だ、と思う。彼女に何の覚悟が必要だというのか。

「陛下、中途半端な優しさは相手を傷つけるだけです。…わしはその娘のことも気に入っ
 ております故、たとえ泣かせても悲しませることだけはなさらないでいただきたい。」

 ――――覚悟を決めるのは私もということか。
 …だが。


「そう急がせるな。」
 今はまだ早い。
 身体だけ手に入れても、彼女の心が追いつかない。
 それではダメだと知っている。

 大事にしたい、守りたい。
 初めての感情は彼女が相手だからだ。
 自分の想いを押し隠してでも、傍にいて欲しいと望む。

「彼女をどうするかは私が決める。だが、決して彼女を傷つける気はない。」
 老師の顔が喜色に染まり、満足したように深く笑む。
 隣の李順は苦い顔をしていたが、最後は従うと言っていたからか何も言わなかった。



「ぅ…」
 ぎゅっと黎翔の手を夕鈴が握り込む。
 息はさらに上がって、耐えるように目を瞑る眦からは涙が溢れていた。

 ――――これ以上彼女を苦しめるわけにもいかない。

「…水を。」
 意図を察した老師が居間に声をかけ、女官が湯呑みに水を注いで持ってくる。
 ついでに指示をして、寝台脇の引き出しから丸薬を出させて下がらせた。


「後ろを向いていろ。」
「は?」
「いえ、我々は居間におります。ほれメガネも行くぞ!」
 一人怪訝な顔をする李順をせき立てて、老師は寝室からさっさと出ていく。
 察しの良いご老人はこの先も読めているらしかった。


「――――ごめん、ちょっと我慢してね。」
 大丈夫だと宥めてから繋いでいた手を解く。
 丸薬と水を口に含んで、彼女の頭を軽く持ち上げた。
「? へい…んぅ」
 熱い吐息ごと口を塞いで、薬を舌で押し込む。
 彼女の喉がゴクリとそれを飲み込んだのを確認してから、そっと唇を離した。

「…?」
 状況が分かっていないのか、ぼんやりと見上げてくる彼女に苦笑いする。
 そんな顔をされてしまったら、また手を出しそうになる。

 でも、今日はこれだけ。
 次第に彼女の瞼が重くなる。

「おやすみ、夕鈴。」
 夢に浚われていく彼女に、最後にもう一度だけ口付けた。





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2011.5.28. UP



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スミマセン、もうちょっと続きます(汗)
短めの後日談(その日の夜の2人)ですが、あと少しだけお付き合いください。
 


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