月の夜には、 1
      ※ 20000Hitリクエスト、キリ番ゲッターももぱんだ様へ捧げます。




 夕鈴が本なんて手にしているから、珍しいと思って聞いてみた。
 すると返ってきたのは予想もしていない内容で…


「―――後宮七不思議?」
 思わず聞き返してしまった黎翔に、夕鈴は肯定の意味で頷く。
「はい。紅珠が教えてくれました。」
 そういえば、今日の午後は彼女が遊びに来るのだと聞いていた。
 どうやらその本も彼女に借りたものらしい。

 なんでも、後宮には昔から伝わる七不思議―――という名の怪談話があるそうだ。
 黎翔に言わせれば「くだらない」の一言ではあるが。

「余計なことを…」
 夕鈴には聞こえない程度の声で毒づく。
 それで夕鈴が後宮にいたくないと言い出したらどうしてくれる。

 現在の後宮には妃は一人しかいないが、本来は多くの妃達の愛憎渦巻く場所。
 過去には毒殺だ何だと物騒なことも多く、様々な噂が流れるのは当然だ。


「夕鈴、怖いなら―――」
「探しに行きましょう!!」
 きらきらと目を輝かせて言う夕鈴は、怖がるどころかすっごい楽しそうだった。
「あっ 嫌なら良いんです。私一人で行きますから。」
 黎翔の無反応をどう解釈したのか、彼女は見当違いの気遣いをしてくれる。

 いやいやいや。
 …本当に勇ましい妃だ。

 彼女はいつも予想外な行動をしてくれる。
 本当に見ていて飽きないし、とても面白い。
 彼女といると毎日が楽しくて仕方がない。

「僕も行くよ。」
 くすっと笑いながら応えると、彼女はとっても晴れやかに微笑った。


















「まずはどこから?」
 月明かりが差し込む回廊を並んで歩く。
 元々人が少ない後宮はとても静かだ。


 怪談を求めて歩くというよりは、月夜の散歩の方が似合うかもしれない。そんな夜。
 普通ならもっと甘やかな展開を期待するのだろうが、夕鈴に限ってはきっとそんなもの気
 にもしていない。


「えーとですね、ちょうどこの時期になると、この辺りで夜中に赤ん坊が泣く声が聞こえ
 るそうです。誰かの陰謀で流れてしまって産まれなかった赤子達の声じゃないかとか。」
 灯りは黎翔が持ち、夕鈴は本を手に文字を追う。
「それに、寝ずの番役の女官が何人も聞いているようなんです。」
 その時、微かに声が聞こえた。
 話すのを止めて夕鈴は耳を澄ます。

「ぁ―――… ぁあ――――ん」

「あ、ほら。ちょうどこんな―――…って!」
 いきなり当たりだと、夕鈴は途端に目を輝かせた。
「じゃ、ちょっと見てきますね。」
「え? 夕鈴っ?」
 待ってとの言葉さえ聞かない間に、その声を辿って彼女は庭へと降りる。

 一切怖がっていない辺りが夕鈴らしいというのか。
 黎翔としては少し物足りないのだが… それが夕鈴だから仕方がないと、諦めることにも
 もう慣れた。

「夕鈴、急ぐと危ないよ。」
 転ぶ方の心配をして彼女の後を追いかける。
 すると振り向いた彼女に静かにと人差し指で示されてしまい、黎翔は苦笑いしながら目で
 頷いた。


「ぅあ――ん なぁ――――」

 音を立てないようにゆっくりと夕鈴が音の元へと近づく。
 そんな彼女の背中を見つめながら、黎翔は何となくその正体に気づいていた。
 赤ん坊に聞こえないこともないけれど、これはたぶん…

 夕鈴が茂みを覗き込むと音が止んだ。
 ついでに彼女の動きも止まる。

「……猫?」
 意外なものを見つけたといった声で夕鈴が呟くと、その声に驚いたのか「ギャッ」と鳴い
 て、猫はあっという間に姿を消した。


「発情期の猫の声って赤ん坊の泣き声にも聞こえるよね。」
 その背中を追って黎翔がのほほんと言う。
 知っていたんですかと見上げる彼女の目が言っているが、別にわざと黙っていたわけじゃ
 ない。
 確証がなかったから言わなかっただけだ。
 それに夕鈴のやる気を殺ぐのも可哀想だと思ったし。

「…勘違いしたんですね。」
 ちょっとだけ残念そうに夕鈴が呟いた。











 気を取り直し、回廊に戻って再び元の道順を進む。
「次は何?」
 黎翔に問われた夕鈴は本のページをぱらりとめくった。
 この本には丁寧にも道順が示してある。その次はここからすぐ近くだった。

「えーと… 婚約していた幼馴染の恋人同士がいたんですけど、時の王に女性が見初められ
 てしまって引き離されてしまったそうです。沿い遂げられなかった2人は、霊になっても
 夜な夜な逢ってい… 陛下?」
「――――…」
 今回は黎翔の方が先に気づいて止まる。
「あら、話し声…?」
 遅れて夕鈴も気がついてそちらに目をやった。

 本来なら無人のはずの空き部屋からくすくすと女性の笑い声が聞こえる。
 その声は僅かに開いた戸の隙間から漏れているようだった。


「―――久しぶりね。最近来ないから、忘れられたのだと思っていたわ。」
「私が君を忘れるはずがない。」
「嬉しいわ。」
 囁く声は風の音にかき消されそうなほどに小さいが、それでもその甘さは隠せない。


「…どうやら女官達の逢い引き場所らしいね。」
 場所を聞いて何となく察しは付いていた。
 少し離れたこの場所は、こっそり会うには最適な場所だ。

 本来なら完全な規則違反だが、黎翔はその辺りは別にどうでも良かったから放っておいた
 のだ。
 何かあれば煩い蠅の追い落としの材料になると思って、一応身元を調べさせるだけはして
 おいて。


「…っ ちょ、っと、」
 声が途切れたかと思うと、女性の息が乱れて聞こえた。
「そんなにせっつかないで―――…ッ」
 会話の途中でまた途切れる。
「…待てないんだ。」
「あ…ん…… ここで?」
「いけない?」
 男の言葉に女性が笑う気配がして、衣擦れの音がして。
「――――かまわないわ…」
 掠れた声が甘く響いた。


「……えっと…」
 会話の意味にさすがに夕鈴も気がついたのか、赤くなって黙ってしまう。
 彼女にはまだ早いかと思って、黎翔は彼女の耳を優しく塞いだ。

 この程度でこれなら、手を出したらどうなるのか…
 彼女の純粋さにはこちらの毒気も抜ける。この手を伸ばすことに少し躊躇いを感じてしま
 うほど。

(本気で君に触れるには、まだ時間が必要かな―――)


 ふと思い至って明かりを適当な場所に置いてから、コツッとわざと足音を立てる。
 息を飲む彼女の手を掴み、回り込んで彼女の背中を扉脇の壁に押しつけた。

「―――今宵は月が美しいな。」
 途端に、中の声がぴたりと止む。
「へい…ッ」
 夕鈴が慌てた声を上げようとするのを文字通り手で塞いで、もう一方はさっきの意趣返し
 のように静かにと指で示した。
「誰も見ていない。…ああ、月が見ているのか。」
 室内で硬直する気配が伺える。面白い。
 ついでに夕鈴も顔が近いと言いたげに真っ赤な顔で見上げていた。
 声が出ないのは狼陛下だからだろう。

(…そんな顔をしていると、本気で食べたくなってしまう。)

 己の中の欲望に内心で苦笑いする。
 でも、まだだ。まだ、本気で手を伸ばしてはいけない。

 今のこれは―――…演技だ。


「…ならば、続きは部屋でな。」
 中に聞こえるように言ってから、熱も欲も彼女に見せないままそっと離れた。








「これでしばらくは静かになるかな。」
 クスクスと笑うと、彼女は先に言ってくださいと言いながら怒る。

 狼陛下の甘い演技はドキドキし過ぎて心臓に悪いらしい。
 …それこそ本望だと言ったら彼女はまた怒るだろうか。

「あの人達、久しぶりに会ったのに気の毒でしたね…」
 
 心優しいなぁ、夕鈴は。
 羨ましくてつい八つ当たりした僕とは大違いだ。

 そんな風に思いながらも、表にはやっぱり出さない。
「規則違反だし、良いんじゃない?」
「それは、そうなんですけど…」
 罪悪感でも感じているのか、夕鈴はまだ難しい顔をしている。
 どこまでお人好しなんだか。
「…あの2人がお互い本気なら、しばらくしたらまた元に戻るよ。」
 煩い蠅とも関係なさそうだし、放っておいても問題はなさそうだ。

「残りもサクサクいこうか。」
 この調子だと夜中を過ぎそうだと冗談めかして言うと、夕鈴もそうですねと一応納得して
 くれて、次の場所を探すためにページを開いた。







 3つ目、4つ目、5つ、6つ…

 どれも正体を知ってしまえば、何だと言わざるを得ないものばかり。
 蝋燭が燃え尽きる前には恙無く終わってしまえそうだった。







「なんだか拍子抜けですね。」
 本の表紙を見て呟く夕鈴は心底残念そうだ。
「噂なんてこんなものだと思うよ。」

 確証がないから"噂"なのだし。
 さらに怪談話となれば、誇張と嘘で大半が成り立っているのは当然のこと。


「…残りは1つ、かな。」
 風が少し強くなってきた。
 早く戻った方が良いと黎翔の勘が告げている。

「それが… 7つ目は書いてないんです。」
 本に目を落としていた夕鈴が顔を上げて、少しだけ困った顔をして言った。
「へ?」
「他にも噂はたくさんあるんですけど、7つ目は知ってはならないそうで。」
 本にはその七不思議の他にも様々な"噂"の物語が書いてあった。
 この中に7つ目があるかもしれないし、ないかもしれない。
 書いてあること全部を回るなら、それこそ一晩では終わらないくらい。

「それなら戻ろうか。」
 でもとりあえず七不思議探検は終わりだ。
「はい。」
 夕鈴も満足したのか素直に同意した。






 サァッと風が吹き抜ける。
 その風が灯りを消し 雲が月を隠して、一瞬だけ辺りが闇に包まれた。



「部屋に戻ったらお茶を…夕鈴?」
 振り返ると彼女の姿がない。今まで、確かに隣にいたのに。
 足下に落ちた本を残して彼女の姿が消えていた。
「夕鈴!?」

 彼女から応えは返らない。
 嫌な予感がした。






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2011.6.11. UP



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うわっ また長くなりました!
すみません、ももぱんだ様!!(汗)
 


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