月光の妃 1
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「泣き声、ですか…?」
 その話題に触れたのは、景絽望との雑談中のこと。
 後宮の女官達の間に流れている噂なのだと彼から教えてもらった。

「それは赤ん坊ではないのですか?」
 それならこの前陛下と解決したはずだ。
「いえ。女性の声だそうですよ。」
 けれど絽望は違うと言う。
「聞き間違いでもないんですよね…」
「そのようですね。蹲る女性の姿を見た者もいるということですし。その女性に声をかけ
 たら目の前で消えてしまったそうですよ。」
 彼の説明を受けながら、夕鈴はうーんと考え込む。

 陛下と夜の後宮探検をしたのはほんの数日前のことだ。
 あの時いろいろな場所を見たけど、泣いている女性は見なかった。

「私も不安に思う友人達のために何かしてあげたいとは思うのですが、さすがに後宮とな
 ると―――」


「…懲りないな、お前も。」
 鋭い刃の切っ先のような声と共にこの部屋の主が顔を出すと、絽望は振り返ってさっと礼
 をとる。
 普通ならば皆固まるのだろうが、彼に限っては全く動じた様子も見せなかった。
 …いつものことだから慣れたというのもあるのかもしれないが。

 彼はいつも黎翔より早く来て妃と話すことを日課としている。
 何度凄まれてもめげないのは呆れを通り越して、いっそ感心するほどだ。

「この程度で懲りていてはお妃様を手に入れることはできませんので。」
 顔を上げた絽望は笑顔でいけしゃあしゃあと言い放つ。この自信はどこからくるのか。
「…私が彼女を手放すはずがないだろう。」
「気長にいくのでご安心ください。私は気が長い方ですので。」
「ならば死ぬまで待て。」
 つまりは諦めろと。
 しかし彼はきょとんとした後で、考えに至ると小さく笑った。
「来世ですか… それも良いですね。今度は誰より早く貴女を見つけましょう。」
 後半は夕鈴の手を取って、いつもの甘い台詞を紡ぐ。
 途端に黎翔の不機嫌オーラが増し、夕鈴は慌ててその手を振り解いた。

「景絽望様! お仕事が始まってますから!!」

 残念と笑って彼が執務に戻った後も狼陛下の機嫌は悪いままで。
 今夜後宮で何を言ったら良いのかと、夕鈴は考えながら頭を痛めた。










*










「―――昼間は、あの男と何を話していたんだ?」
 夜、妃の部屋を訪れて人払いをしてから彼女を長椅子に呼ぶ。
 素直に従う彼女の腕を掴んで引き寄せると、途端に彼女は真っ赤になって抵抗しだした。
「か、顔が近いです 陛下!!」

 いつも通りの反応は安心するようで少し苦くもあって。

「あの男とも近かっただろう?」
「こんなに近くないですよ!」

 つい意地悪をしてしまいたくなる。

「ッッ狼陛下で脅さなくても話しますから!」
 けれど、やりすぎると逃げるのも分かっていたから、本気で泣かれてしまう前に仕方なく
 彼女を解放してあげた。



 そうして夕鈴は聞かせて話す。
 後宮内の噂、泣いている女性の話を。



「――――というわけなんです。」
「まさか…」

 嫌な予感がする。

 話を聞きながらも気づいていた。
 使命感溢れるこの目は――――

「はい。では今から確かめに行ってきますね。陛下はお疲れでしょうからお部屋でお待ち
 ください。」

 やっぱり。
 しかも1人で行く気らしい。
 彼女らしいといえばらし過ぎるんだけれど。


「ちょっと待って。」
 今度は止めるために彼女の腕を掴む。
 振り返った夕鈴は不思議そうにしていて、何故止めるのかとでも言いたげだった。

「…この前池に落とされかけたのは誰?」
「私ですね。」
 けろっとして言う彼女に脱力してしまう。
 殺されかけたとかいう危機感はないんだろうか。
「ダメだよ。君にもしものことがあったら大変だ。」
 黎翔からしてみれば、夕鈴が困っていないならそれで良いのだが。
 けれど、夕鈴はそうはいかない。
「でも皆さんが困ってます。私がやらずに誰がやるんですか?」
「いや、だからね…」

 それは妃の仕事でも何でもない。…といって聞くような娘ではないが。

「今日は確かめるだけですから。」
 やる気に満ちた彼女を止めるのは無理そうだ。
 だったら、黎翔がとる行動は一つ。

「…僕も行くから。だから1人で行っちゃダメだよ。」























 先日より低い位置の月は、少し欠けた姿で天に在る。
 それでも明るい回廊を、この前と同じように2人並んで歩いていた。

「今回は必ず遭遇するわけではないんですよね…」
「ああ、そうか。そうだね。」
 彼女の呟きに同意する。

 実際この前は泣いている女性には会わなかった。
 あれのように場所も特定されているわけでもないし。
 確かに彼女の言う通りだ。
 まあ、今夜は確かめに行くだけだと言っていたから、会わなくても問題はないのだが。


「―――夕鈴は、その泣いている女性に会ったらどうするの?」
 何となく興味があって聞いてみた素朴な疑問に、夕鈴はちょっとだけ考える。
「…まずどうして泣いているかを聞きたいです。話してすっきりするならそれでも良いし、
 何かできることがあれば手伝います。」
 予想はできていたけれど、彼女らしい答えだと思った。
「…夕鈴は優しいね。」

 自分には持ち得ないもの。
 そしてここには存在しないもの。
 誰かのためになんて、この王宮では誰も考えられない。

「そうですか? 下町では普通ですよ。」
 けれどその希有な感情を、彼女は気負うことなく笑って言う。

 そんな温かい場所で育ったから彼女は優しいのか。
 そういえば、あの幼馴染の青年も何だかんだで人は良かったっけ。

「…陛下には敵いませんけど。」
「え、僕が?」
 笑顔のままでそんな予想外のことを言われて驚く。
 "冷酷非情の狼陛下"に優しいというのはおかしくないだろうか。
 まず優しいと言われる理由も身に覚えがない。
「民のため国のために、陛下は自分を偽ってでも狼陛下を演じてらっしゃいます。王様っ
 て大変な仕事だなって思いますよ。」

 …君が見てないところでサボってるとは言えない。
 その純粋さに罪悪感を感じてしまって胸が痛かった。

「買い被りすぎだよ。」
 苦笑いして答えるけれど、それでも彼女は優しいのだと言い続ける。
「それに、今も付き合ってもらってます。放っておいても構わないのに。」

(違うよ、夕鈴。)
 心の中でそっと呟く。

 それは夕鈴だから。君だからどこまでも優しくなれる。

 ――――僕の優しさは、全て君だけに。



「…そうだ、例の七不思議の本にはなかったの?」
 けれど言える雰囲気じゃなかったから、誤魔化すように話題を変える。
 ちょうど思いついたからというのもあったけれど。
「え? えっと… 泣いている女性の話は確か2つあって……」
 あの本は思った以上に面白いと言って、夕鈴は紅珠に返す前にそれを覚えるほど読み込ん
 でいた。
 その記憶の断片を、彼女は必死で思い起こす。
「―――1つは寵愛を受けていた妃がいたんですけど、父親の死で後ろ盾を失ってしまい、
 次第に寵愛も薄れてしまったんだそうです。彼女は毎日泣いて過ごし、失意のうちに病で
 亡くなってしまったとか。それから、その女性が住まっていた部屋に入った女性は泣き声
 に魘され、次々に病になってしまうんだそうです。」
「それってどこなの?」
「今はもう壊されて庭の一部になっているそうですが、声だけは今も聞こえるとか。」
 その元部屋があったところは覚えていないらしい。
 彼女の部屋からはだいぶ遠い場所、というくらいの認識だ。

「もう1つは?」
「えーとですね、家柄の低い妃がいて、でも時の王様はその妃をとても気に入っていたそ
 うです。彼には年上の正妃がいたんですけど、彼女はとても嫉妬深い方で、寵愛を受けて
 いたその妃に酷い仕打ちをしていて。それを知った王様は正妃をますます遠ざけて、その
 妃ばかりを愛したんだとか。ある時その妃が身籠もって、それを正妃に知られてしまうん
 ですけど…」
 そこまで聞いたところで、突然黎翔が夕鈴の口を塞ぐ。
「??」
 夕鈴の疑問の視線を受けて、彼はその応えの代わりに一点を見た。


 回廊の端に蹲る白い人影。
 震える肩と状況からどう見ても…

「…泣いている女性、ですね。」
「みたいだね。」

 女官でも侍女の服でもなく、彼女が着ているのは身分の高い女性のものだ。
 ここには夕鈴以外の妃はいないから、おそらくは―――

 黎翔が何か言う前に、夕鈴が前に出てその女性の方へと近づいた。







「…あの、」
 できるだけそっと夕鈴が声をかけると、顔を上げた彼女と目が合う。

(わっ 綺麗な人…!)

 まず最初に見た時の印象がそれだった。
 紅珠はどちらかというと「可愛い」というイメージだが、この女性はとにかく綺麗な人だ
 と思った。

 結い上げた黒髪も、透けた白い肌も、薄く紅を引いた唇も、他の全てのパーツも完璧で。
 少し伏せた瞳から零れる涙は真珠の粒のようで、泣いている姿もまた麗しい。


「私の子を知りませんか?」
「え?」
 声も歌のようだと思って、少し反応が遅れてしまった。
「まだ産まれたばかりだったのに… 私の可愛い、あの子……」
 夕鈴の反応はあまり気にせずに、彼女は独り言のように呟いて視線を巡らせる。
 産まれたばかりの子どもを捜して彷徨っている女性… さっき話しかけていた内容と似て
 いた。陛下の予想は当たりだったらしい。

「ご、ごめんなさい…」
「そう、やっぱり、あの子はいないのね…」
 謝りながら知らないと答えると、彼女はまた静かに泣き出した。

(これが噂の人…)

 どう話を続けたら良いのかしらと考えていたら、元々透けていた身体の色がさらに薄くな
 る。
「あっ!」
 せっかく偶然会えたのに、今消えられたら非常に困ると夕鈴は慌てた。

「待って! 詳しく話を聞かせて!!」
 引き留めるためにとりあえず叫んでみる。

「…そんなことを言われたのは初めてだわ。」
 意外と効果があったようで、泣き濡れた大きな瞳をぱちくりさせて、彼女は不思議そうに
 夕鈴を見上げた。





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2011.6.16. UP



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フェイント更新です。(現在朝4時半)
今回も長くなってしまったので、もう少し続きます〜
 


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