甘えんぼ 1
      ※ 60000Hitリクエスト、キリ番ゲッターJUMP様へ捧げます。




「陛下がお倒れになったというのは本当ですか!?」

「もっと落ち着きなさい!」
 息も切れ切れに駆け込んできた夕鈴を、上司がメガネを光らせながらぴしゃりと叱る。
「ッすみません! でも…っ」
 反射的に謝ってはみたけれど、夕鈴にとってはそれどころではなかった。
 だって、陛下が執務中に倒れたというのだ。気が気ではない。
 むしろ冷静でいられる李順さんの方が不思議だと思う。


「それで、何のご病気なんですか!?」
「風邪です。」
「…は?」
 冷静な声で返されて、思わず目が点になる。
 今、すごく一般的な病気の名前が聞こえたような?
「だから風邪を引かれたんですよ。それに目眩を感じられただけで気を失われたわけでも
 ないですし。薬を飲んで十分に休まれれば明日には熱も下がります。」
「な、なぁんだ… びっくりした。」
 倒れたと聞いたからてっきり重い病気かなんかだと思っていた。
 風邪も油断ならないものではあるが、そう簡単に死ぬものではない。
 安心してほっと胸を撫で下ろす。


「そこで貴女に仕事です。」
「は、はい!」
 力が抜けたのも束の間、仕事の話になったのでぴしっと背筋を正した。
 仕事への姿勢はそのまま給料に響くのだ。気は抜けない。

「陛下には今日一日安静にしていただきますので、私はその調整で手が放せません。」
 多忙な陛下のスケジュールを変更するのは容易ではないだろう。しかも丸一日抜けること
 になる。
 その後の調整も含めて彼が忙しいのは理解できた。

 となると、"臨時花嫁"の仕事は…

「夕鈴殿には陛下にゆっくり休んでいただけるように協力をお願いします。」
「はい!」
 それはこちらからお願いしたかったほどだ。ほぼ即答に近い形で夕鈴はそれを了承した。




















「陛下、お加減は…」
 夕鈴が寝室に顔を出すと、寝台に座って侍医や女官達に囲まれていた陛下が顔を上げてこ
 ちらへ視線を寄越す。
「―――来てくれたのか。」
 そうして妃にだけ見せる甘い微笑みに、心臓が高鳴りそうになるのをどうにか抑えた。

 あれは演技だ。周りに人がいるから見せる狼陛下の演技。
 だから、どんなに嬉しそうに見えても本気にしちゃいけない。
 ときめいちゃいけない。

 ―――私は臨時の花嫁。…大丈夫、忘れてはいないわ。


「…起き上がっていてよろしいのですか?」
 極力感情を抑え込んで"妃"を演じる。
 周りが開けてくれた彼の枕元に寄って、心配する気持ちだけは本物にして。
「ああ、大事ない。周りが大袈裟に騒いだだけだ。」
 そう言って頬に触れてきた手はいつもより熱い。
 熱が高いのは本当で、弱みを見せられない狼陛下は気丈に振る舞ってるだけなのだと悟っ
 た。

 でも2人きりじゃないから何も言えない。
 2人きりなら、「無理をしないでください!」と怒って布団に押し込むのに。




「妃だけで良い。他は下がれ。」
 心を読み取ったかのようなタイミングで陛下が人払いを命じた。
 演技上手だから分からないけれど、ひょっとしてかなり辛いんじゃないだろうか。
「ですが…」
 すぐ人払いをしようとする陛下に侍医は渋い顔をする。

「何かあればすぐにお呼びしますから。」
 夕鈴からもやんわりとお願いすると、侍医も仕方なく引き下がって薬だけを置くと女官達
 と出ていった。


(狼陛下のままじゃゆっくりなんてできないもの。)

 こんな時、秘密を知ってて良かったと思う。
 私でも役に立てることがあるのだと。

 看病なら青慎で慣れているし、自分にできる限りのことはしてあげようと意気込んだ。









「本当にね、そんな大した風邪じゃないんだよ。」
「でも、熱があります。」
 ぎゅっと握った手は夕鈴より体温が高い。いつもならもっとひんやりとしているのに。
 眉を顰めた夕鈴に彼は苦笑いする。
 でも、辛いとかそういうことを言う気はないらしい。

(言えば良いのに…)

 立場上言えないのも分かるし、引き出せないのは自分だから悔しいけれど仕方ない。
 弱音を出す気がないならとりあえず休んでもらおうと思った。



「薬を飲んで寝ましょう。消化に良いものを作ってもらいましたから、まずはそれを食べ
 てください。」
 朝から食欲があまりなかったと聞いた。
 空きっ腹に薬は胃に悪いから、少しでも何か食べてもらわなくては。

 用意してもらったのは、お湯でやわらかくしたお米と、塩分多めの漬け物。それから水分
 の多い果物。
 お茶の準備はしてもらっていたから、夕鈴がいつも通りに淹れた。


「無理はしなくて良いですからね。食べられる分だけにしてください。」
 寝台脇の小卓にお盆を置いてから、傍に椅子を持ってきて座る。
 そしてまずはご飯の器を手に持つと軽くかき混ぜた。
 すでに冷めてしまってはいるけれど、程良く水分を吸っているから食べやすくはありそう
 だ。
 どんなに食欲がなくても一口くらいは食べてくれれば良いなと思う。

「はい、あーんしてください。」
「……え?」
 レンゲで掬って差し出すと、何故か陛下がぴたりと止まった。
「へ?」
 戸惑っている様子の彼を見て、夕鈴の方がどうすれば良いか分からなくなる。
 何か変なことをしてしまっただろうか。

「―――ありがとう。」
 引っ込みがつかなくなって止まっている間に、陛下の方が先に動いた。
 顔を近づけて、レンゲの中のものをゆっくりと口に含む。
「ッ」
 ぼうっとしていたから、突然陛下の顔が近くにきてビックリした。

(ち、近いっ!)
 今更だけど躊躇われた理由が分かってしまう。
 ただでさえ整った顔はドキドキさせられるのに、少し伏せた睫の影とか熱で少し赤い顔と
 かが何故だか色っぽく見えて、レンゲを落とさないようにするのが精一杯だった。
 これは心臓に悪い。ものすごく。
 自分の軽率な行動を思いっきり後悔した。


「…もう一口くれる?」
「は、はいッ」
 けれど、先に促してしまったのは夕鈴の方だから、ここで止めるわけにはいかない。
 震えそうになる手を必死で抑えて次を掬う。

 それからは、言われるがままに、時々箸に持ち変え漬け物も食べさせてあげたりして。


 結局陛下は、用意された食事を綺麗に食べてしまった。





「さ、さあ次はお薬です!」
 死にそうになるくらい恥ずかしかった時間から解放され、気を取り直して今度は薬湯を差
 し出す。

「薬って苦いからイヤだなぁ…」
 受け取らずしょぼんと項垂れる陛下の頭にぺたんと落ちた耳が見えた…気がした。

(う…っ でも負けちゃダメ!)

 いつもはこれに弱いけど、今日はそうはいかない。
 この薬を飲んでもらわないと明日までに治らないのだ。
「我が儘言わないでください。これ飲んで寝れば明日には元気になってるそうですから。」
 再度の説得に陛下はうーと唸る。

 さっきのあれのおかげでずいぶん素直になってきたのは幸いだ。
 すっごく恥ずかしかったけど無駄じゃなかったのかもしれないと思えば、ちょっとだけ羞
 恥心も和らいだ。


「…あ、夕鈴の口移しなら飲めるかも。」
「なっ 何言ってるんですか!!」
 名案だとでも言いたげな陛下に思わず叫ぶ。

(突然何を言い出すのよ この人はっっ)
 そもそも脈絡がなさすぎる。
 弱音を言って欲しいとは思ったけど、それはこういう意味じゃない。
(てゆーか口移しって口移しって…!)
 赤い顔で目をぐるぐるさせていると、ちょっとだけ残念そうな顔で「冗談だよ。」と言わ
 れた。
 それにほっとすると、何だか複雑そうな顔をされたけれど。

「じゃあさ、頑張って飲むから、ご褒美に添い寝してくれる?」
「!?」
 再び固まる夕鈴を見て陛下はクスクス笑う。
 どうやらからかっているだけらしい。
 その余裕がむかつくけれど、それだけ元気になったと思えば良いのか。…それでもやっぱ
 り悔しいけど。

「手を繋ぐだけで良いよ。」
「……そ、それくらいなら、」
 了承すると彼は嬉しそうに笑みを深める。
 何がそんなに嬉しいのかもよく分からないまま、彼にようやく薬湯を手渡せた。





「……苦。」
 薬湯を一気に飲み干して、陛下は零した言葉のままの表情になる。
 よし!と心の中で拳を握りしめてから、脇に置いておいた小箱を手に取った。

「はい、これも苦い薬のご褒美です。」
 紙製の小箱から指先で摘めるくらいのお菓子を取り出す。
「砂糖菓子?」
 顔を上げた彼がきょとんとするのに頷きながら笑った。
「献上品の中にあったんです。老師にも確認してもらいましたし、私も食べました。美味
 しかったですよ。」
 どうぞと差し出すと、手を出されるものだと思っていたのだが。
「じゃあ、いただきます。」
「!?」
 こともあろうに、さっきの続きみたいに口を持っていって、そのまま夕鈴の指から食べた
 のだ。


「―――ほんとだ。甘いね。」
 にこにこと嬉しそうな、その無邪気な笑顔が憎らしい。
 指先に残る感触に肩がわなわなと震えた。
「い、今… 舐め……ッ!」
「んー? うん、夕鈴の指も甘いね。」
「〜〜〜ッッ」

(だからどうしてそーゆーこと平然と言うのよ!?)
 病人じゃなかったら枕でも投げつけているところだった。



「早く寝てください!」
 怒りのやり場が見つからず、ちょっと乱暴に寝かしつける。
「はーい。」
 素直に布団に入り込んだ陛下が手を伸ばしてくるから、――――ちょっと迷ってから繋い
 だ。
 触れた手はやっぱりまだ熱い。
「…夕鈴の手、冷たくて気持ちいい。」
「私はいつも通りです。陛下が熱いんですよ。」
 ほんにゃりと笑う陛下の顔は赤い。

「ずっとこのままでいたいなぁ…」
「明日には元気になってもらわないと皆が困ります。」

 いつもより幼いように感じるのは熱が上がってきたせいだろうか。

「残念だなぁ… 夕鈴とっても優しいし…」
「私はいつでも優しいですよっ」
「あはは、そうだよねぇ……」

 間延びした声が小さくなっていって、次第に瞼が閉じていく。
 薬が効いてきたんだろうか。

「ゆーりん、」
「はい、何ですか?」
「起きて、も… ここ、――――…」
 言い終える前に声は規則正しい寝息へと変わる。
 しっかりと手を握ったままで、彼は夢へと落ちていた。



「…おやすみなさい。良い夢を。」
 子どもみたいな寝顔にクスリと笑う。

 静かになった室内で、遠くに小鳥が鳴く声が聞こえた。





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2011.8.9. UP



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頑張って急いだけれど、やっぱり時間が掛かります…orz

後半は陛下視点で。前半に比べて短めです(半分もないくらい?)
 


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