会いたい 2




 紅珠と話をするのは嫌いじゃない。紅珠は可愛いし、とっても良い子だし。
 …でも、今回は出鼻を挫かれた感じがしてちょっと凹んだ。

 けれどその分、―――陛下に会いたい気持ちが大きくなったのも確かで。


 ―――気を取り直して、午後になってすぐに出かけることにした。
 今の時間なら陛下もたぶん政務室にいるはずだ。






(あれ…?)
 政務室にほど近い木陰に何故か水月さんが佇んでいた。
 空か鳥かを眺めやるその様も、美形はとにかく絵になるなぁと思う。
 紅珠も水月さんも氾大臣も、氾家は美形揃いだ。
 憂いを帯びたその表情すらも見惚れるほどの美しさで、後ろの侍女達も頬を染めていた。

(…って、今は午後の執務の時間じゃなかったかしら?)
 ふとその考えに思い至る。だから夕鈴は政務室に向かっているわけなのだし。
 …柳方淵が怒鳴る姿が目に浮かんだ。


「そんなところで何をされているんですか?」
 声をかけずにはいられなくて、侍女達を待たせて外に降りる。
 彼が声に応えてふり返ると、緩く編んだ薄い色素の髪が軽く揺れた。

「お妃様…」
 彼はいつになく青い顔で、胸の辺りを押さえている。
 ひょっとして気分でも悪いのだろうか。

「陛下が…」
「え?」
 彼の口から予想外の名前が出てきてびくりとしてしまう。
「陛下のご機嫌が、日増しに悪くなられるので… 気分が悪くなってしまって……」
 帰りたい…と付け加えるように小さく言われたのはとりあえず聞かなかったことにして。
「……逃げてきちゃったんですね…」
 情景も浮かんでしまって、夕鈴は大きく溜め息をついた。


(きっと忙しくて苛々してるんだわ…)
 そういう時の狼(お仕事)モードはピリピリしていて肌が痛いくらい。
 繊細な水月さんなら逃げたくなるのも分かる気がする。

 だから、陛下と会えて良いなと思う気持ちは言わないでおいた。



「ああそういえば、お昼前に紅珠が来て、珍しい絵巻物を見せてもらったのですけど。あ
 れは水月さんが手配して下さったそうですね。」
 聞きたい気持ちを無視して彼のために話題を変える。
 すると水月さんの顔がわずかに上向いた。
「ええ、私も美しいものが好きなので。お気に召していただけましたか?」
「とても綺麗でした。ありがとうございます。」
 そう答えると穏やかに微笑まれる。
 良かった、元気になってもらえたようだ。


「―――ところで お妃様はどちらへ?」
 ふと、思い出したように聞かれた。
 それで夕鈴も早く行かなきゃと思い出す。
「陛下にお会いしたくて。だから会いに行くところです。」
「…そういうことでしたらご一緒します。」
 木陰から離れた彼が夕鈴の隣に並んで先を促す。
 どうやら政務室に戻ってくれる気らしい。

「陛下もお妃様にお会いになれば元気になられるでしょうから。」


(私じゃ、陛下は変わらないと思うけど…)
 水月さんの言葉は心からのものなのだろうけれど、それが逆に申し訳ないというか、胸に
 痛い。

 だって機嫌が悪いのは忙しいからだし。
 私は臨時で…甘いのも優しいのも全部演技だし。

 けれど、それを言えば戻らなくなりそうな気もして、だからそこは黙っておいた。
































「氾水月! 貴様どこに行っていた!?」
 予想通りというか、政務室に戻った水月さんに向かって柳方淵の怒声が飛んでくる。
「新鮮な空気を吸いに行っていただけだよ。」
 それに笑顔でさらっと返せる水月さんはすごいなと思う。
 他の官吏なら固まるし、夕鈴だったら睨み合いだ。
「さっさと書類を捌け!」
 時間がないと言いながら、彼の視線はすでに書類に落ちている。
 別に疑っていたわけではないけれど、本当に忙しいんだなと改めて思った。

(一目会って、頑張ってくださいだけ言ったら帰ろう。)



「…あれ、陛下は?」
 奥を見た水月さんの言葉を受けて、夕鈴も付いて入りながら陛下の執務机を見る。
 いつもそこにいるはずの、肝心のその人がいなかった。

「たった今、宰相殿のところへ行かれた。」
「それは助かった…ではなくて。…お妃様、残念でしたね。」
 後ろでずーんと沈む夕鈴をふり返って、彼は気遣わしげに声をかけてくれる。
「…運が悪かったです。」

 一目見たいだけなのに…
 それすらも叶わないなんて……

「私と話していたせいですね。すみません。」
「水月さんのせいじゃないですよ。」
 本当に申し訳なさそうにされたので、大丈夫だとへらっと笑ってみせる。
 けれど言葉ではそう言いながらもやっぱり落胆は隠せない。




「…何故貴女がここにいる。」
 彼は今頃夕鈴に気づいたらしい。
 書類から顔を上げた柳方淵に睨まれてムッとする。
 荒んだ心のせいかいつも以上に癇に障った。
「私は、陛下に」
 言い返そうとしたのを、水月さんが2人の間に入って制する。
 水月さんは背が高いから背に庇われると前が全然見えなくなる。

「陛下のご機嫌を即座に直してくれる特効薬をお連れしたんだ。」
「――――」
 ぴしり と、空気にヒビが入った…感じがした。

「貴様の手柄のつもりか。」
「私の心の安定のためだよ。」
 場にぴりぴりとした何かが立ち込めだす。
「仕事を放り出してまでやることか?」
「重要だと思うよ。君には分からないかもしれないけれど。」
「…ッッ」

 柳方淵も忙しさでピリピリしていたからだろうか、あっさり爆発する。
 そうして2人は、いつもの口論という名の喧嘩を始めてしまった。



 いつもなら夕鈴が割って入って止めるところだけど、今日はそこまで考えが及ばない。
 夕鈴としては早く陛下に会いたいから、この2人に構っている時間も惜しかった。

(今から行けば途中で会えるかも…)
 ぴりぴりとした空気を完全に無視して政務室を出ようとする。

(一言言って帰るだけよ。待ってる時間が勿体ないわ。)


「お妃様っ 止めて下さい!」
 ところが出る直前に官吏達に止められた。
「急ぎの仕事なんです! お願いします!!」
 1人でなく、何人もの人達に頭を下げられてしまう。
「お妃様だけなんです!」
「お願いします!!」
 そんな風に懇願されては夕鈴も放っておけない。

(あーもうっ)


「方淵殿っ 水月さん!」
 今回は怒りも隠さない。
 仕草だけは優雅に、扇を2人の間に挟んでじろりと睨んだ。

「陛下がお戻りになるまでにせねばならないのでしょう?」
 両方からの視線を受けつつ、努めて冷静に切り返す。
 ただし反論は受け付けないとでもいう風に。

 とにかく早くここから出たかった。


「―――そうだったな。貴様の相手をしている場合ではなかった。」
「早めに思い出してくれて良かったよ。」
 2人は背を向けて、それぞれの持ち場に戻る。
 他の官吏達のホッとした顔が横目に見えた。


 それを見届けてから夕鈴は政務室を出る。
 今度は誰も止めなかった。




→3へ


2011.11.29. UP



---------------------------------------------------------------------


政務室編というか、水月さんと方淵編か。仲良し☆
ええと、もう少し続きます。
今回は場面がたくさん切り替わるので細かく分けてます〜
 


BACK