花は誰がために咲く 1
      ※ ちなみに2人は結婚してる前提の未来話です。まだ新婚さんです。




「―――それでは。」
 一通りの会話の後、その官吏は優雅に一礼して去っていく。
 きちんと返事を返しながらも、夕鈴はその物腰に感嘆しながら彼を見送った。

 ほぅと漏れる感嘆の溜め息。後ろの侍女達からも同様の空気が伝わってくる。
 目の肥えた彼女達がそうなのだから、余程の人物なのだろうというのは夕鈴にも理解でき
 た。


 大人で落ち着いた雰囲気の彼は、名を"杜孟洵"という。
 今の僅かな会話だけで博識なのが窺え、だからといってそれを驕るわけでもない。
 普通王后に取り入ろうとするならば少しでも見せようとするのだが、彼にはそれが一切な
 かったのだ。
 終始穏やかな様子で夕鈴への気遣いも忘れなかった。
 年は夕鈴よりも10以上も上とはいえ、これだけのことを自然にできる者はそうそういない
 だろう。



「―――あの方はいつもああなのかしら?」
 首だけ振り返りつつ後ろの侍女達に尋ねてみる。
 彼女達の情報網は侮れない。すると彼女達は揃って笑顔で頷いた。
「ええ、とても優秀な方です。陛下も宰相様も一目置かれているとか。」
「それに家族思いでとてもお優しい方ですわ。愛妻家でもいらっしゃったのですけれど…」
 そこまで言って、ふと彼女達は表情を曇らせる。
「実は、半年前に奥様を亡くされて…」
「あら…」

 それはどれだけ悲しく苦しいことだろう。
 愛しい方を失った彼の心中を思い、夕鈴も胸を痛めてそっと押さえる。

 …それでも、彼は夕鈴にとても優しかった。
 悲しみを抱えていることなど全く悟らせないほどに。


「あの方には一人娘の姫君がいらっしゃるのですが、再婚なさらずにお一人で育てておら
 れるのです。」
「その姫君のこともとても大切にされていますわ。」
 きっとあのままの雰囲気で、家でも姫君と過ごしているのだろう。
「…そうなの。とても良い方なのね。」
 夕鈴の言葉に、彼女達は深く頷いた。


 侍女達にここまで言わせる人物というのもすごいと思う。
 こういう時は必ず一つは問題点というものが出てくるはずなのに。

「杜孟洵殿、ね。」
 陛下の目にも留まっているのなら、これから会う機会も幾度となくあるだろう。
 今夜辺り陛下にも聞いてみようと思った。















 自室に戻る途中、梅が見頃だと侍女に誘われて夕鈴は庭園に降り、…そこで、1人の少女
 を見つけた。
 年の頃は10前後。身なりからしてどこかの貴族の姫君のようだけれど、どうしてこんな
 ところに?と思ってしまう。


「…? あの子、何をしてるのかしら?」
 少女の前には満開の梅の木。
 彼女はそれをじっと見上げていたかと思うと、おもむろに手を伸ばしてぴょんと跳ねる。
 目的のものには届かなかったらしくがくりと肩を落とし、かと思えば今度はうんと背伸び
 して爪先立ってそれに手を伸ばす。

(あの枝が欲しいのかしら…?)
 幼い少女が一生懸命な様は見ていて微笑ましいのだけれど、そのまま見ているのも可哀想
 かなと思って夕鈴は足早に少女の元に向かった。






 その枝は少女には高くても、夕鈴には大した高さではない。
 自ら枝を折って、はいと手渡す。
「これで良い?」
「あ、ありがとうございます。」
 目をぱちくりさせながらも、少女はそれを受け取りしっかりと礼を言った。

 教育はきちんと受けているようだし、その物腰からも結構良い家柄の姫君のようだと気づ
 く。
 …すると、ますます彼女がここにいる理由が分からない。


「ねえ貴女、どこから来たの?」
「え…?」
 夕鈴が尋ねると、少女は途端にきょろきょろし出す。
 そしてその後さぁっと青褪めた。

「……迷子?」
 確信を持って尋ねると、俯いた少女はこくりと頷く。
 どうやら梅の花に誘われてふらふらとここまでやってきてしまったようだ。
 どうしよう…と 消え入りそうな呟きが聞こえた。


「―――人がいる場所に出ましょうか。きっとおうちの人も心配しているわ。」
 できるだけ優しく優しく声をかける。
 ハッとして顔を上げた少女は、目が合うと恥ずかしさからかまた俯いた。
「ごめんなさい…」
「良いのよ。珍しかったのでしょう?」
 大丈夫だとそっと頭を撫でる。
 ここがどこなのかとか、そういうことを言って怒るつもりは毛頭なかった。

「こっちよ。」
 小さな少女の手を取って、外の方に足を向ける。
 おずおずと握り返してくる仕草があまりに可愛らしくてにこりと微笑みかけると、彼女も
 ようやく笑顔を見せてくれた。







「ところで 貴女のお名前は?」
 尋ねながら隣を歩く少女に視線を落とす。
 名前が分かれば探しやすい。きっとこの子の親は身分も高いだろうから。
 そう思って聞いてみる。
「杜 ――」


「春姫!」

 声は全く違う方から聞こえた。
 はじかれたように少女はそちらを向く。
「父さまっ」

「―――あら。」
 彼女が父だと呼んだ人物は、ついさっき会ったばかりの人だった。






「孟洵殿の娘さんだったのですね。」
 夕鈴から父親の元に手が渡った少女は、そのまま強請って彼に抱き上げられる。
 その様子から普段からの仲の良さが垣間見えて夕鈴はこっそり笑った。

「お妃様、本当に申し訳ございません。娘がご迷惑をおかけしました。」
 先程とは違う父親の顔で、彼は頭を下げて何度も謝る。
 それに気にしないで良いと夕鈴は首を振った。
「いえ、可愛らしい方ですわね。」

 子どもはわりと好きな方だ。
 長女という気質故か世話をするのも苦ではない。

 だから、こんな風に謝られるととても申し訳なく思うのだけど。


「おきさき、さま…?」
 目線が変わらない高さになった少女からじっと見つめられる。
「?」
「…王さまのお嫁さん?」
 そのままことりと首を傾げられた。

「そ、そうね。」
 あまりにストレートな言葉に夕鈴は思わず赤面してしまう。
 久々に聞いた事実は結構恥ずかしい。


「母さまじゃ ないの……」
「春姫?」
 しゅんとして俯く彼女を孟洵が覗き込む。
 彼が髪を撫でようとすると、ふと何かを思い出したように少女は再び顔を上げた。

「お后さま、またお会いできますか?」
「え?」
 突然の申し出に目を丸くする。

 真っ直ぐで純粋な瞳、そして必死にも見える表情。
 これに私はどう答えてあげたら良いだろう。

「こら、春姫。お后様はお忙しいのだから無理を言ってはいけないよ。」
 彼は少し困った顔をして、少女を優しく諭す。
 頭ごなしに怒るのではない、彼らしい上手な注意の仕方だ。
 残念そうにしながらも 彼女はハイと頷いた。

「…では、手紙を書いても良いですか?」
 今度は父親も何も言わず、夕鈴の方を伺うように見る。
 2人から見つめられた夕鈴は、その返事ににこりと微笑んだ。
「ええ、どうぞ。楽しみに待っているわ。」
「はい!」
 願いが叶った嬉しさに笑顔に戻る少女を見て、また夕鈴も笑みを深める。


 そして親子は夕鈴にきちんと礼を言ってから帰っていった。










*











 それから小さなお友達との交流が始まった。
 ほとんどが手紙のやりとりだったけれど、数回は後宮に呼んで会って話したりもして。

 忙しい毎日の中での可愛い友人の存在は夕鈴にとって癒しになっていた。




「また会いたい、ですって。」
 春姫からの手紙を手に、夕鈴は嬉しそうに微笑む。
 裏表のない素直な言葉は心に響いて温かな気持ちにさせてくれた。

「すっかり気に入られてしまいましたわね。」
 微笑ましいと侍女達も優しげに笑う。
 その素直な正確さ故か、彼女達の春姫への評価もわりと高い。

「どうなさいますか?」
 紅珠の時も同じだけれど、彼女を後宮に呼ぶのならそれなりの準備も必要だ。
 夕鈴も時間がとれるだろうかと少し考え込む。
「私も会いたいけれど… しばらく時間がとれなさそうだわ。」


 夕鈴は狼陛下の正妃だ。
 しかもただ侍るだけの妃ではなく、王の隣に並び立つ立場にある。

 最近は外交にも力を入れているため、夕鈴も后としてやるべきことは多くあった。


「それは残念ですわ。」
 本当に残念そうな顔をする彼女達に小さく笑う。
 春姫はかなり気に入られているらしい。

「―――代わりにこの花を贈りましょう。」
 さっき侍女に頼んで摘んできてもらった花を手に取った。
 本当は陛下に見てもらいたかったのだけれど。
「陛下には、また新しいものをご用意すれば良いから。」
「では、すぐに準備いたしますわ。」





「―――夕鈴。」

 突然入り込んだ涼やかな声に全員の肩が跳ねる。
 今ここで彼がここを訪れるとは その場にいた誰もが予想だにしていなかった。

「陛下!?」
 彼の来訪にみんなで驚き、慌てて出迎えの礼をとる。
 それを軽く制して彼は夕鈴の傍へと寄った。


「気づかずに申し訳ありません。」
「いや、良い。楽しそうなところを邪魔してはいけないと思ってな。」
 どうやら声をかける前から彼は様子を見ていたらしい。
 だったら声をかけてくだされば良いのに…と思っているうちに、彼は手を振り侍女達を下
 がらせた。




「―――その花は?」
「?」
 夕鈴を腕に囲いながら、彼の視線は浅い器に生けられた可愛らしい花へと向いている。
 陛下が花に興味を持つなんて珍しい。
 しかも、そんなに珍しい花でもないのに。

「あ、それは先程いただいた手紙に添えられていたものです。」
 もちろん手紙の相手は春姫だ。
 庭にたくさん咲いて綺麗だったからとわざわざ届けてくれた。
「ですから、お返しにこちらの花をと考えていたんですけど…」
 そう言いながら花瓶から抜いた一輪をかざす。

 春姫は花が好きらしい。
 初めて会った時も梅の花に惹かれてだったし。

「きっと喜んでく―――んっ ……ッ」
 何故かそこで続きを遮られた。

 彼にしては珍しく荒っぽく、まるで噛みつくようなキス。
 思わず腰を引いてしまいそうになると、力強い腕に引き戻された。


「―――夜にまた来る。」
 離れる際に唇を舐められて 端が少し沁みる。
 どうやら今ので唇の端が切れたらしい。


 そして夕鈴の返事を待たずに、彼は背を向けて出て行ってしまった。




「―――陛下…?」
 ぴりっと痛むそこを指先で押さえ、陛下の謎な言動に首を傾げる。

 とりあえず機嫌が悪いのは分かったが、その理由が夕鈴には分からない。
 今の会話の中に、何か機嫌を損ねるようなところはあっただろうか?


「…あれ?」
 ふと手の中が空っぽになっていることに気づく。
 いつの間にか、持っていたはずの花がなくなっていた。














 彼女の部屋に飾られていた薄桃色の小さな花。

 …あの花は、その前に孟洵が持っていたものと同じだった。


 つまりあの花はあの男から夕鈴へ贈られたもの。
 そして彼女も花を返すのか。

 ―――私のために用意されたはずだったものを?




「―――――…」
 力を込めすぎて手の中で潰れてしまった花を池に捨てる。
 美しい花だったはずの―――今はただ残骸と成り果てたそれはバラバラに散って落ち、水
 面にゆらゆらと浮かんだ。


「余裕ないね〜」
 それを眺めていると、からかうような声だけが降ってくる。
「煩い。」
 それに短く返して花から視線を外し、踵を返した。


「何に不安がってんの?」
「……」
 屋根の上にいるであろう隠密の声が追いかけてくる。
 返さなかったのは、正直 癪だったからだ。

 …本当に的確すぎて嫌になる。

「あの娘はへーかのモノだよ。」
「分かっている。」


 彼女は黎翔の后だ。唯一にして最愛の、寵姫にして正妃。
 その事実は揺るぎない。

 彼女は私だけの花。
 今更手放そうなど考えていない。


「―――誰にも渡す気はない。」


 誰にも… たとえ彼女が離れたいと願っても、心が他へ移っても。






「ほんとに分かってるのかねー…」
 静かに立ち去る背中を眺め、浩大は心配だと呟いた。




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2012.6.24. UP



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えらく長くなりました…
不穏な空気を残しつつ、後半に続きます〜
 


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