※ 500000Hitリクエストです。キリ番ゲッターJUMP様に捧げます。




「お願いします。」
 部屋の外から聞こえた声に、黎翔と李順は同時に顔を上げる。

「どうか、陛下にお目通りを…」
 王宮の女官や侍女達は教養・礼儀作法まで完璧で、滅多に感情を露わにすることはない。
 その彼女達のいつにない慌てた様子に黎翔は疑問を覚えた。
「…あれは夕鈴の侍女だな。」
 ちらりと見えた顔にも声にも覚えがあった。
 自分の部屋の女官よりも夕鈴のそばに控える侍女の方が記憶にあるのもおかしいが、それ
 だけ自分が彼女のそばにいるということなのだろう。

「話を聞こう。」
 きっと夕鈴に何かあったのだ。ならば、事は急がねばなるまい。
 連れてくるより行った方が早いと椅子から立ち上がった。




「何事だ?」
「陛下!」
 黎翔が姿を見せると見張りの兵達はさっと身を引いて端に控え、侍女達は彼の前で跪く。
 彼女達が口を開く前に挨拶はいいと飛ばさせてから、用件だけを言うように促した。

「恐れながら申し上げます。―――その、朝からお妃様のご様子が…、少し……」
「夕鈴が、どうした?」
 何故かそこで言い淀む態度に黎翔は焦れる。
 しかし、どう言えば良いのか、相手は迷っているようだった。
「それが… 朝、目覚められてからずっと、お妃様は泣いておられるのです。」










    寂しがり屋の子兎 1
「夕鈴ッ」 「ふぇっ!?」 黎翔が駆け込んできたとき、彼女はまだ寝台の上だった。 声に驚いた様子で目をぱちくりさせて、そのおかげか泣き声が止む。 その泣き声は部屋の外まで聞こえるくらいだった。 周りは困り果てた様子で右往左往しており、黎翔が現れるとホッとした顔をして奥の寝室 へと促されたのだ。 「どうしたんだ!?」 目が覚めたときからあの調子だったというならただ事ではない。 大股で彼女の元へ駆け寄り彼女の肩を掴んだ。 「夕鈴、一体どうし―――」 「いやっ」 その手を体全体で振り払われる。 さらに素早く寝台の端っこへと逃げられてしまった。 「ゆ…」 「またしらない人ー ここどこー!?」 怯えた目で見られたかと思ったら、また夕鈴は泣き出してしまう。 「しらない人いっぱいでこわいーーっ」 頭に響く大音量はまるで子どものような泣き方だ。 …そして今、気になる言葉がいくつかあった。 「……全員下がっていろ。」 後ろに向かって人払いを命じる。 これ以上のことは他人がいてはやりにくい。 「は、はい…」 「何かあれば呼ぶ。」 深く頭を下げた彼女達は、心配そうな視線を夕鈴に送った後で下がっていった。 「さて、」 くるりと寝台の方に視線を戻すと、目が合った彼女の肩がびくりと震える。 ほんとに小動物みたいだなぁと内心で苦笑いしながら黎翔は寝台に乗り上げた。 「……っっ」 それ以上逃げ場がない彼女は泣くのも忘れて息を飲む。 「…やっ」 来ないでと、小さく首を振る度に溜まった涙の雫が散った。 「―――だいじょうぶ。」 彼女に拒まれたことに胸が痛まないわけでもないけれど。 それでもぐっと堪えて、できるだけそっと近づく。 分かって欲しい。 僕は、君を傷つける存在(もの)じゃない。 「怖がらせてごめんね。」 にっこり笑って頭を軽く撫でる。 怖がらせないように、優しく、優しく。 「……」 恐々と見上げた彼女とまた目が合って、…けれど、今度は小さく頷いてくれた。 「君の名前は? 僕は珀 黎翔だよ。」 二人とも寝台の上に座ったままだけど、まあ良いかとそのままにする。 誰が見ているわけでもないし、別に構わないだろう。 「…汀 夕鈴、5才…です。」 「……え?」 彼女は意外としっかりとした口調で、…聞き間違いかと思うようなことを言った。 名前の後に、彼女は今何と言った? 「ね、おかあさんはどこにいるの? おとーさんは? 青慎もいないの?」 「5才…?」 縋るような目で見つめられるが、それに返せる言葉がまだ見つからない。 黎翔自身も混乱していたのだ。 「でもおかしいの。わたし、みんなにおやすみなさいって言って、おへやでねたはずなの に…」 うーんと考え込む夕鈴は、見た目は確かにいつもの夕鈴だ。 けれどやっぱり言葉は幼い。彼女が5才というのは嘘ではないのだろう。 そもそも、彼女が黎翔に嘘を言う必要はないはず。 だが、何故? こんな事態に陥った理由が分からない。 「ねぇ、ここはどこ? わたしはどうしてここにいるの?」 再び彼女は問う。 「夕鈴」 「…お兄ちゃんは、どうしてわたしをしってるの?」 黎翔の服の袖をきゅっと握った夕鈴が不思議そうに首を傾げた。 うん、それ可愛すぎるから他の人の前でやっちゃいけないと思う。 ―――なんて、現実逃避してる場合ではなくて。 「……うーん、これはどこから説明したものかな。」 また泣かれないと良いな…なんて思いながら、最初の言葉を探した。 「どういうことですか。」 夕鈴の支度を済ませて自室に共に連れ帰ると、李順からも説明を求められた。 そして一通り話し終えた後の反応がこれだ。 並んで座る黎翔と夕鈴の前で李順のこめかみがぴくぴくと痙攣する。 怒りを隠しもしない彼に夕鈴は震えて、黎翔の腕にしがみついてきた。 それに可愛いと黎翔が笑み崩れると、反対に李順の表情は険しくなる。 「陛下、」 「だから、今の夕鈴は5才なんだ。」 信じられないと言う李順から再度問われたところで、黎翔は同じことを再度繰り返すしか ない。 こちらとて嘘だと思いたいところだが、目の前のことは事実なので仕方がないのだ。 家族構成もその他も、黎翔が知る夕鈴と同じ。 彼女は間違いなく夕鈴だ。ただし、本人曰く5才らしいのだが。 『わ、ほんとに大人だ!』 手っとり早い証明にと鏡を見せると、彼女はびっくりしてしばらくじっと眺めていて。 それから夕鈴が落ち着いた頃合いを見計らってから、侍女達に彼女を着替えさせるように 命じた。 「侍女達には事情を説明した後で箝口令を敷いている。」 彼女達は夕鈴を慕っているから、そこから話が漏れる心配はないだろう。 問題は、夕鈴はいつまでこの状態なのかということくらいか。 「また、面倒なことに…」 頭を押さえて溜息をついた李順が夕鈴をぎろりと睨む。 睨まれてびくっと大きく震えた彼女は黎翔の腕の後ろに顔を隠してしまった。 「この人 こわい…ッ」 今にも泣きそうな声で、兎のように震えている。 普段絶対に人を頼ろうとしない夕鈴にこんな風に縋られることはない。 その彼女が頼ってくれている。 それは黎翔の中にある庇護欲を強くかきたてられるものだった。 「李順、夕鈴を怖がらせるな。」 今度は黎翔が李順を睨むが、彼の方は怯えもせず呆れた顔を返すのみ。 下がったメガネを押し上げて、李順は夕鈴をちらりと見遣る。 「私はいつも通りですよ。そっちが勝手に怖がっているだけです。」 やはり李順にこの手は通じないか。 内心で舌打って、今度は矛先を夕鈴に変えた。 「夕鈴、大丈夫。」 隠れてしまった夕鈴の頭を優しく撫でる。 そうっと顔を上げた彼女と目を合わせると、さっきと同じようににっこりと微笑んでみせ た。 「君のことは僕が守るから。」 これ以上にないというくらいの甘さの表情と声音で言い切る。 もちろんいつだって本気だ。 どんな敵だろうが…たとえそれが李順でも、君を守るのは僕だ。 「ほんとう!? ずっといっしょにいてくれる?」 途端に夕鈴は瞳をキラキラとさせて見上げてくる。 どうやら涙も恐怖も吹き飛んだらしい。 「うん。」 頷いてもっと撫でてあげると、彼女はとっても嬉しそうな顔をした。 ―――こんな可愛い生き物を、放っておけるわけがない。 「李順、仕事の調整を。今日は私も夕鈴と過ごす。」 「は?」 要するに仕事をしないと宣言した黎翔に、李順は素っ頓狂な声を上げる。 「彼女を一人にさせるのは心配だ。」 「一体何を考えておられるんですか!? 夕鈴殿は侍女に任せておけば良いでしょうっ」 李順はガンガンと頭と耳に響く怒声を轟かせる。 それに夕鈴がまた怯えて、黎翔の腕をぎゅうぎゅうと締め付けた。 「私のそばが良いと言うんだ。仕方ないだろう。」 冷静な口調とは裏腹に表情はにこにこと嬉しさを隠していない。 李順は深いため息をついてから、渋々了承の言葉を返した。 「急ぎのものだけ後から持って参ります。」 それでも全く無しにはできないと、仕事をこちらに持ち込むと言う。 急なことでもあったしそれも仕方のないことだと、黎翔はそれに「分かった」と頷いた。 夕鈴と一緒に過ごせるのは変わらないのだからそれくらいなら甘んじて受け入れよう。 「夕鈴殿ッ くれぐれも迷惑をかけないでくださいね!?」 部屋を出る直前に、振り返った李順がしっかりと釘を刺す。 鋭い視線に加えてメガネが光って、直視してしまった夕鈴は完全に怯みあがった。 「ふぇえええ…」 「李順。」 今度こそ泣き出してしまった夕鈴を宥めながら李順を睨む。 しかし、彼はそれにも怯むことなく、冷ややかな視線を送っただけで出ていった。 「お兄ちゃん、何してあそぶ?」 子どもの立ち直りは早い。 庭に連れ出した時にはすでに涙も吹っ飛んで笑顔になっていた。 「広いおにわね! いっぱいあそべそう!」 黎翔の手を引いて、はしゃぐ夕鈴が無邪気に笑う。 (可愛すぎる…) 人払いをしておいて正解だった。 引き締めようとしてもすぐに頬が緩んでしまう。 こんな狼陛下の姿は誰にも見せられない。 「ね、夕鈴。お兄ちゃんじゃなくて名前で呼んで欲しいな。」 幼い夕鈴を前にちょっと芽生えた悪戯心。 何も知らない彼女なら――― 今なら許されるだろうか。 「なまえ… は、く……何だっけ??」 「黎翔、で良いよ。」 小首を傾げて考える彼女にクスクス笑う。 途中まではちゃんと覚えてたんだね。偉いな。 「れい、しょう… れいしょう、さま?」 口の中で転がしていた、彼女が紡ぐ自分の名前。 それに続いてしまった敬称に あれ?と思う。 こちらの身分は明かしていないはずなのに。 「どうして"様"なの?」 尋ねてみると、彼女はちょっと考える風に空を見上げて人差し指をくるくると回す。 「えっとね、さっきのメガネのこわい人とか、まわりの女の人たちも、んと、れいしょう さまにあたま下げるの。お父さんがえらい人にするのとおんなじ。だから、れいしょうさ まはえらい人なのかなって。」 (…頭のいい子だな。周りをよく見てる。) さすが夕鈴だなと思った。 なのに敬語を忘れているのは、そっちの方が可愛いから指摘しないでおく。 「じゃあ、それで良いよ。」 目標を達成してにこにこ笑顔になった自分に、彼女もにっこりと微笑んでくれた。 庭の散策を終えて二人が夕鈴の部屋に戻ってくると、お茶とお茶菓子が準備されていた。 こういうそつのないところはさすが宮廷に使える者といったところか。 「わぁ! おいしそう!!」 そこに大きな榛色の瞳をキラキラさせて夕鈴が駆け寄る。 侍女がお茶を淹れてくれると聞くと、お礼を言いながらお行儀良く椅子に座った。 ほのかに立ち上るお茶の暖かな香り。 花柄の器に盛られた可愛いお菓子たち。 全てに興味津々で魅入る夕鈴に苦笑いしながら黎翔も隣に腰掛ける。 見た目は夕鈴なのに、そんな仕草を見ていると不思議と5才に見えてくるから不思議だ。 「ありがとうございます!」 差し出されたお茶の器をにこにこ笑顔で受け取って、ふぅふぅと冷ます。 そんな様子を温かく見守っていた侍女は、黎翔の分のお茶を用意し終えると 何かを言う 前に静かに下がっていった。 「おいしいー」 幸せそうにお菓子を頬張る姿も可愛い。 朝からずっと可愛いとしか言っていない気がするけれど、本当に可愛いんだから仕方がな い。 「夕鈴、お菓子が付いてるよ。」 唇の横、ちょっとだけ離れた場所にお菓子の粉が付いているのを指摘する。 「えっ どこ??」 慌てて夕鈴はあちこち触っているが、どれも微妙に外れてしまっている。 いつまで経っても取れなさそうで、さすがに見ていて焦れったい。 「違う、こっち。」 「ほぇ?」 顔を持ち上げて近づける。 指で取るよりも早いなと思って、そこをぺろんと舐めた。 (あ、しまった……) ついやってしまったと気づいたのは、離した後。 泣かれるかな?と恐々と彼女を見下ろす。 「れいしょうさまっ くすぐったい!」 その反応は予想外だった。 少しだけ肩を竦めて彼女はきゃらきゃらと笑う。 試しに抱き上げてみても抵抗されない。 頬を啄んでみると、くすぐったいとまた笑われた。 ふにふにの柔らかい頬。 思わず囓りつきたくなる。 不意に、彼女の手のひらが口元をぺたりと押さえる。 嫌だったのかと思ったけれど違うらしい。 恥ずかしくて顔を赤らめているわけでもなく、透明な目で見つめられていた。 「れいしょうさま。次のおかしがたべたい。」 「―――あ、ごめんね。」 純粋な欲求の前に、黎翔の邪な欲は抑えざるを得ない。 彼女を拘束していた腕を解いて下ろしてやる。 すると彼女は再び上機嫌でお菓子に手を伸ばして食べ出した。 勘違いしてはいけない。 夕鈴が抵抗しないのは、彼女が今子どもだからだ。 彼女が感じているのは父親や母親から与えられるものと大差ない。 素直に育った彼女だから。当たり前のように愛情を注がれているはずだから。 違う。こんな風に触れて良い相手じゃない。 「―――陛下」 二人きりだった部屋に声が降ってくる。 次いで音もなく影が現れた。 「!?」 夕鈴には彼が突然現れたように見えただろう。 目の前に降りてきた人物に彼女はびくっと震えて黎翔の腕に縋る。 その手をぽんぽんと叩いてやりながら、黎翔は安心させるための笑みを乗せた。 「大丈夫だよ、悪い奴じゃないから。」 見上げる瞳はまだ不安げだったものの、黎翔の言葉を信じて彼女はこくりと頷く。 それを認めてから、黎翔は現れた隠密に視線をやった。 「何だ? 浩大。」 ちゃっかり間合いの外に降り立っていた浩大は、睨まれて困った顔で頬をかく。 言いにくそうに逡巡して、結局観念して口を開いた。 「周宰相が呼んでるって、李順さんが。」 「…今日は休みにしたはずだが。」 後で李順が必要なものだけ持ってくるんじゃなかったのかと。 「どうしても早急に決めなきゃいけないのがあるってさ。」 こういう時、宰相はテコでも引かない。 宴の最中にすら決裁の書簡を持ち込んでくるほどだ。 無視することも可能だが、そうすると後が面倒になるのも分かっていた。 「―――仕方ない。夕鈴、ちょっとだけお留守番しててね。」 諦めて、夕鈴の頭を撫でながら謝る。 本当は離れるのは心配だけど。連れて行くわけにもいかない。 「……はい。」 そんなに寂しそうな顔をされると心がぐらつく。 しかし、そこはぐっと堪えた。 面倒事が彼女に降りかかるのを避ける方が優先だ。 「すぐに戻ってくるから。」 名残惜しく彼女の髪を撫でてから席を立った。 →2へ 2012.11.16. 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--------------------------------------------------------------------- スミマセン、変なところですがここで切ります。 書けば書くほど長くなっていくのです。また話が長くなってしまう病勃発か…?


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