※ 360000Hitリクエストです。キリ番ゲッター弥生様に捧げます。
      ※ ちなみに50000企画「明けない夜、覚めない夢」(=内緒の恋人)設定です。




「お妃様!!」
 侍女の悲痛な声が辺りに木霊する。

「誰かっ 誰かーッ!」
 座り込み、青ざめた彼女の前には妃が横たわっていた。
 倒れ伏した彼女に意識はなく、ぴくりとも動かない。

「お妃様ッ」
「一体何が!?」

 騒ぎを聞きつけて人々が集まってくる足音や誰かが王を呼ぶように指示する声。
 音は増え、次第に大きくなる。

 だが、その全ての音を意識を闇に落とした彼女が聞くことは、ついになかった。














    貴方に何度でも恋をする。 1
「陛下、お妃様は頭を強く打っておられます。しばらくはご様子見を。」 侍医は最後にそう告げると静かに下がっていった。 そして部屋に残されたのは、黎翔と眠っている夕鈴だけ。 寝台の傍らに用意された椅子ではなく枕元に腰掛けて、幾度となく梳いたことがある柔ら かな髪に触れる。 こうして見ると、本当にただ眠っているだけにしか見えない。 それなのに不安なのは、榛色の澄んだ瞳が見つめてくれないから。鈴の鳴るような軽やか な声が「大丈夫」だと言ってくれないから。 「…早く起きてよ、夕鈴。」 瞼にそっとキスを落とす。 けれど、彼女の瞳は堅く閉ざされたまま。 「目を覚まして、僕を安心させて。」 額、鼻先、頬に。祈る心地でキスの雨を降らせた。 君がいないと息さえできない。 だから早く、僕を見て。 「ゆうりん…」 柔らかな唇に一度、二度。 「…ん」 そして三度目に唇が触れたとき、彼女から小さな声が漏れた。 覆い被さっていた身を少しだけ離すと、彼女の瞼が震えるのが見えて。 「夕鈴…?」 ゆっくりと瞼が開かれる。 ぼんやりと黎翔を見つめていた榛色は、数度の瞬きの後でしっかり目を合わせた。 ―――と、次に大きな瞳がさらに見開かれて、 「ぎ…っ むぐ!」 これは叫ばれるパターンだと察し、慌てて手で口を塞いだ。 案の定、彼女の声は黎翔の手のひらの中に吸い込まれる。 どうやら最悪の事態は免れたらしい。 「夕鈴、落ち着いて。叫ぶと人が来る。」 できるだけ静かにゆっくり話しかけた。 するとバタついていた手足がぴたりと止まる。 「…大丈夫? 手を離すよ?」 ちょっとだけ涙目になっていた彼女がこくりと頷く。 その目を見て落ち着いたのを確信してから、黎翔は手を離した。 「夕鈴、痛いところは?」 「…えっ? と、頭 が……ッ!」 後ろ頭を押さえて、それが痛かったらしく顔を顰める。 ぶつけたところが瘤になっているのだから、それは仕方ないことだろう。 「なんで……?」 「―――侍女を庇って階段から落ちたんだ。また君は無茶をしたな。」 報告を受けたときは頭が真っ白になった。 それから李順が止めるのも聞かず、政務を放り出して駆けつけたのだ。 詳しく話を聞けば、茶器を持っていた侍女が階段で足を踏み外し、それを助けるために飛 び出した夕鈴が下敷きになったのだという。 彼女らしいと言えばそうなのだが、彼女の行動はいつも心臓に悪い。 「もう少し自分のことも考えて欲しい。…君は私を殺す気か。」 怪我に触れないように肩を引き寄せ、華奢な体を強く抱きしめる。 僕を君無しで生きられないようにしたのは君なのに、何度君を失う恐怖に怯えれば良いの か。 「や…っ」 突然抵抗を見せた彼女に突き飛ばされた。 黎翔が呆けている間に、彼女はさっと身を引く。 「夕鈴?」 「あっ あの…ッ」 警戒ではない。どちらかといえば戸惑いか。 「ごめんなさい! で、でも… その…」 謝りながら彼女は少しずつ後ろに下がっていく。 …寝台の上だからそう遠くへは行けず、すぐに背が壁に付いてしまったが。 「ゆーりん…?」 顔を真っ赤にして肩を抱き、小さくなるその姿は震える子兎のようだ。 どこか様子がおかしい夕鈴を追いかけてはいけない気がして、黎翔は逃げる兎を目で追う だけになっていた。 「…あの、私、行かなきゃいけないところがあるんです。」 黎翔が近づかないことを知って安心したのか、彼女は肩の力を抜く。 そうして躊躇いがちに口にした。―――聞き捨てならない言葉を。 「どこへ?」 ここ以外にどこに行くというのか。 黎翔は眉を顰め、彼女の肩がビクリと震える。 それでも…涙目になりながらも、黎翔が促すと彼女は続けた。 「父が、王宮で割の良いバイトがあるって話をもらってきて… 早くしないとその時間に間 に合わなくなるんです。」 「……え?」 今、彼女はなんと言った? もの凄くどこかで聞いたことがあるような話だ。 「私、一体どれくらい寝てたんですか?」 居住まいを正した彼女は混乱する黎翔に向かって問いを重ねる。 「貴方はどうして私をご存知なんですか?」 お会いしたこともないのに…、と。 その言葉に、頭を殴られたかのような衝撃を受けた。 「夕鈴…」 声は掠れていなかっただろうか。震えていなかっただろうか。 戸惑う彼女にすぐに声をかけてやることはできなかった。 彼女が嘘を言っていないことはすぐに分かった。 彼女の目は知らないものを見る目だったから。 「…あの、」 不安そうに揺れる瞳がこちらを見つめる。 何と言ってやれば良いか迷う。 だが、唯一言えることは、彼女を手放す気は毛頭無いということだけ。 「―――王宮でのバイトならもうやっている。」 「へ?」 きょとんとする夕鈴に、黎翔はニヤリと笑った。 まず、彼女には知ってもらわなくてはならない。 「"狼陛下の花嫁"、それが君の仕事だ。」 彼女が誰のもので、どこにいるべきものなのか。 ―――君は、私の花嫁。 たとえ忘れても、君のいるべき場所は"ここ"だけだ。 「そ、そんなに長い期間やってるんですか!?」 黎翔の説明の後、まずバイトの期間の長さに彼女は驚いていた。 話を聞いていて分かったことは、自分が誰であるかなどの記憶はきちんとあること。 そして初めて夕鈴と出会ったあの日の記憶…王宮に向かうまでは覚えているということ。 その後はさっぱり思い出せないということだった。 「そして僕は君の雇い主。君は僕のお嫁さんなんだよ。」 そうですかぁと何気なく返事をしかけて、彼女ははたと止まった。 「……私って、狼陛下の花嫁…でしたよね?」 「うん。」 にこにこと頷く黎翔とは正反対に、夕鈴の表情が強張っていく。 「…………国王陛下?」 「うん、そうだよ。」 ああ、夕鈴の声が震えている。 ちょっとびっくりさせちゃったかな。 「冷酷、非情の…?」 「そうとも言われているね。」 彼女の質問の全てに対して正直に答えた。 そもそも彼女に嘘を言う必要はない。 「おおかみ、へいか…?」 「うん。何? お嫁さん。」 笑顔で肯定してあげると、大きな瞳がさらに大きく見開かれる。 「ええーーーっ!?」 予想通りの反応に、黎翔はおかしくなって声を上げて笑ってしまった。 「ところで… 花嫁のバイトって、どういうことをするんですか?」 黎翔の笑いがようやく落ち着いて、夕鈴の緊張も解れてきた頃。 彼女の疑問もやっとそこまで行き着いたらしく、可愛らしく首を傾げて聞いてくる。 「そうだなぁ…」 どう説明しようかと思いながら夕鈴をじっと見つめ、説明するより早いかとおもむろに彼 女の身体を抱え上げた。 「きゃ」 驚き声を上げる彼女をよそに、黎翔は慣れた動作で夕鈴を膝の上に座らせる。 「え、えッ??」 事態が飲み込めずに目を白黒させているうちに、さっさと腕の中に囲い込んだ。 こうして腰を抱いてしまえば、もう彼女に逃げ場はない。 「君の仕事は、私の唯一の妃として夫婦の仲の良さを見せつけることだ。」 狼陛下の声色で囁くと、分かりやすく真っ赤になる。 どうにか肩を押して離れようとするが、もちろん黎翔は許さなかった。 「ち、近くないですか!?」 下手をすれば黎翔の唇がどこかに触れそうなくらいに近い。 バイト前は絶対に経験したことがない距離に、彼女はパニック寸前だ。 「寵愛深い妃なのだから、これくらいは普通だろう?」 しれっと返してさらに腰を引き寄せると、ぎゃあと色気のない声が上がった。 「ゆーりんは変わらないなぁ。」 そんな彼女がおかしくて可愛くて頬が緩む。 「かっ からかわないでください!」 突然笑いだした黎翔に、今のはからかわれただけだと思った彼女が怒り出した。 離せと暴れてくるが、絶対に離すつもりはない。 「―――からかってなどいない。」 再び笑みを消して真剣な態度で伝えると、夕鈴の抵抗がぴたりと止む。 「君の立場は臨時花嫁だが、私は真実君を愛しいと思うし手放すつもりは毛頭無い。君は 私の愛する唯一の妃だ。」 最初から隠すつもりはなかった。むしろここだけはどんなに彼女が混乱しようとも伝える つもりだったのだ。 彼女がもう少し現状を把握するまでは黙っていようかとも思ったが、それは思っただけで すぐ却下した。 鈍い彼女相手にそこまでなんて待てやしない。 「……えーと、それはどういう意味ですか?」 やはり彼女には通じていなかった。 確認ではなく素で聞いてくる夕鈴には内心で苦笑いしてしまう。 それが夕鈴らしさだと思えばそうなのだろうが、ここはやはりはっきり言わなくてはなら ないらしい。 「君と私は恋人同士ということだ。周りには秘密にしているがな。」 「はぁ!?」 彼女は力一杯疑問の声を発してくれた。 しかしそういう反応も予測済みだ。目の前で素っ頓狂な声を出されても黎翔が動じること はない。 「わ、私と陛下が? どうやって??」 「最初から夕鈴のことは気に入っていた。君は狼陛下を怖いと言いながら恐れなかった。 表裏なく真正面からぶつかってきて、何があっても味方だと言ってくれた。」 最初から夕鈴は夕鈴で、何もかもが初めてで新鮮で。 彼女に抱いた気持ちは他と異なるものだった。 「何でも疑うことから始める私が、君のことだけは信じることができた。」 それはとてもすごいことなのだと、きっと本人だけが自覚していない。 ―――そんな君に、夢中にならない理由は無かった。 一度目は故意に、そして二度目は偶然に。 夕鈴を後宮に留める理由ができて、一緒に過ごせば過ごすほど手放せなくなった。 君にとってどこが幸せなのか分かっていたのに、それでも君が離れることに耐えられなく て。 「―――で、それからいろいろあって、周りには内緒で恋人同士をしている。」 「…今 ものすごく端折りませんでしたか?」 確かに、何もかもをすっ飛ばして説明を終わらせた。 もちろんわざとだし自覚もある。彼女が納得しないのも当然だ。 「だって、本当にいろいろあったんだ。ここまでくるのは大変だった。」 誤解してされて、すれ違ったり伝わらなかったり。 それを全て説明するのは難しい。 「とにかく、結果的にこういう関係になったんだから 細かいことは気にしなくて良いよ。」 そう、今彼女はこの腕の中にいる。 それが最も重要なことだ。 「あ、もう一つ疑問があるんですけど。どうして秘密なんですか?」 「さあ?」 正直に答えると彼女が怪訝な顔をする。 しかし、事実 黎翔はその答えを持たない。 「君がそう望んだからそうしてるだけで、私は公表しても一向に構わないんだが。」 夕鈴が最初にそう言っただけで、その理由はまだ聞いていない。 そもそも夕鈴がバイトだと知っている者が少数なのだから、秘密といっても李順と老師く らいのものだ。 「…では、そこは記憶が戻れば分かりますよね。」 彼女も深く知ろうと思ったわけではないらしく、それはそのまま流された。 「他に質問は?」 この際だから全て不安は解消させようと思って聞いてみる。 夕鈴は少し考えてから首を横に振った。 「…今のところ、それ以上は浮かびません。」 元々素直で肝も据わった子だ。 現状をありのままに受け入れて、疑うことなく納得しようとしている。 相手は嘘を言っているかもしれないのに、それを疑わないのが夕鈴らしいと思った。 だからこそ、彼女が愛しいと感じるのだが。 「―――だったらもう良いよね。」 「へっ?」 さっさと抱き直して夕鈴の身体を固定すると 顔中にキスの雨を降らせ始める。 …細かな傷がうっすらと残る場所に。 すぐに無茶をする恋人に、軽い悪戯も込めて。 「ちょ、ちょっと待ってください!!」 肌の色が紅く染まっていくのには気づいていた。 それでも構わず続けていたら、腕の中の兎はバタバタと暴れ出して黎翔の口を手で塞ぐ。 「あ、あのっ 本当にこんなことしてたんですか!?」 ああ、そうか。今の彼女は出会った頃の―――何も知らない状態なのだ。 少し刺激が強すぎたかと苦笑いする。 「…本当はもっと先までだけどね。でもきっと、これ以上やったら 君の心は追いつかない よね。」 「!!?」 彼女の顔は頭から湯気が出そうなくらい真っ赤だ。 この状態じゃ、しばらくはキスもお預けか。 しかしそれも仕方ないことだと彼女を解放してやる。 すとんと寝台の上に下ろして黎翔は立ち上がった。 「君が目を覚ましたことを伝えなきゃね。」 こんなに元気な夕鈴を見れば、自分のせいだと泣き崩れていた侍女も安心するだろう。 …1つ大きな問題が残っていたが、そこは協力を得るしかない。 「ちょっと待ってて。」 きょとんとしている彼女を置いて、黎翔は人を呼ぶために寝室を出た。 →2へ 2012.12.4. 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--------------------------------------------------------------------- え、夕鈴と陛下の会話だけでこの長さ!?(汗) ごめんなさい。ここが一番楽しかったんですぅ… 連載ではないので後半は飛ばしていきます。


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