狼陛下の婚約者 (前)




 いつものように彼と一緒にお昼を食べるために生徒会室に向かうと、その近くでうろうろ
 している不思議な子を見つけた。
 元々この辺りはあまり人通りがないのでとても目立つ。


「―――何をしているの?」
「っきゃ!?」
 後ろからポンと肩を叩くと、その少女は小さな悲鳴を上げた。
 反射的に振り返った少女は次に目を丸くする。
「ゆ、夕鈴様っ」

(…わぁ)
 その容姿を目に入れて、夕鈴は感嘆の声を内心で上げていた。
 だって、そこにいたのはすっごい美少女だったから。

 高い位置で2つに結わえた黒髪は艶やかで、肌は透き通るように白く、大きな瞳は夜のよ
 うに深い。
 男ならば誰でも守ってあげたくなるような細くたおやかな線を持ち、ふんわりと甘い香り
 が彼女から漂う。
 同じ生物かと疑問に思うくらいの文句なしの美少女だった。


「…あれ? どうして私の名前を?」
 思わず見惚れつつ、遅れて自分の名前を呼ばれたことに気づく。
 夕鈴にこんな美少女の知り合いはいないし、そもそも会ったことがあるならば忘れるはず
 がない。
 緊張が解けたのか、少女がふふっと花が綻ぶように笑う。
「狼陛下の心を射止められた唯一の方ですもの。知らない者はいませんわ。」
「…そうですか。」
 そういえば、自分は狼陛下…もとい、生徒会長の恋人(フリだけど)だった。
 周りからの認識を知らされて何となく恥ずかしい気分になる。

 …周りにはそんな風に見られているんだと初めて知って。


「…えーと、それで、中等部の貴女がどうしてここに?」
 さっさと話題を変えようと、当初の質問を彼女へ向けた。
 彼女の制服は高等部のものではなく、弟が通う中等部のものだ。
「え、あの… 会長に先日の夜会の忘れ物を届けに…」
 少し恥ずかしそうに頬を赤らめる姿もとても可愛らしい。
 …って、見惚れている場合ではなく。
「だったら今会長は中にいらっしゃるし、渡せば良いのでは?」
「いえ… あの…」
 恥ずかしがり屋さんなのだろうか。
 躊躇う彼女に手を貸してやろうと、その白く細い手を取った。
「一緒に行きましょうか。」

 夕鈴からすれば特に緊張する行為でもないので躊躇わずノックする。
 そうして中からの返事と同時に扉を開けた。






「―――夕鈴。」

 顔を覗かせた瞬間 柔らかい微笑みに迎えられ、どくりと胸が高鳴る。
 この人の甘い演技はいつも心臓に悪いのだ。

「会長、お客様ですよ。」
 内心の動揺をどうにか抑え込み、背中を押して彼女を前に出す。

「…氾 紅珠……」
 驚いているというよりどこか警戒を滲ませた声音にあれと思った。
 仲が良いというわけではないのだろうか。

 紅珠と呼ばれた少女は緊張に僅かに震えながら優雅な仕草でお辞儀をする。
「先日は、夜会に参加してくださってありがとうございました。」
 言葉の後に前に進み出て、白いハンカチを差し出す。
 その端には彼のものだということを記す珀家の印が刺繍されていた。
「お忘れになったものですわ。…これも ありがとうございました。」
「わざわざ自ら届けなくとも…」
 受け取りながら、彼はわずかに眉を寄せる。
 機嫌はあまりよろしくないらしい。
「私のせいですから。直接お礼を申し上げたかったのです。」


「――――…」
 知らない場所での知らない出来事。
 偽物の恋人にそれを追及する権限はない。

(…それにしても、なんて絵になる2人だろう。)

 並んだ姿の完璧さに胸が痛む。
 それすらも"私"には分不相応な感情だというのに。



 その日のお弁当の味も、彼との会話もよく覚えていない。
 覚えているのは2人が並んだ姿だけ。
 違う世界を見せつけられたようなあの光景だけだった。


























「―――夕鈴様?」

 中等部の廊下で不意に後ろから呼び止められる。
 ふり返るとすっかり顔見知りになった美少女の姿があった。
「あら、紅珠。」
 そういえば彼女も弟と同じ2年生だったことを思い出す。
 ひょっとしたらクラスも近いのかもしれない。

「夕鈴様はどうしてこちらに?」
「弟にお箸を届けに来たの。うっかり入れるのを忘れてしまって。」
 そう言って、手に持っていた箸ケースを見せると、「まあ、そうでしたの。」と返して彼
 女はふんわり笑った。

 ふわふわ ほわほわ

 彼女と話していると、そこだけお花畑になったような気分になる。
 正直彼女と接するのは不快ではなかった。




 あれから何度か会う機会があって、その度に彼女は夕鈴に笑いかけて話しかけてくれる。
 とっても良い子で、その度にきゅんと時めいてしまう自分がいた。

 ―――会長はそれを見て良い顔はしないのだけど。

 …その理由は後で李順さんに教えてもらった。
 彼女は婚約者候補の中でも"最有力"なのだそうだ。
 押しかけていた候補者達の中にはいなかったけれど、彼は候補者全員に警戒心を持ってい
 る。
 だから、紅珠もその例外ではなくて。

 李順さん曰く、距離は置く必要があるが良好な関係は保ちたいとのこと。
 さらには私にその役目を任せるとまで言ってきた。
 まあ、彼女と話すのは嫌ではないので良いのだけど。





「姉さん!」
 青慎が夕鈴に気づいて教室から出てくる。
 すると紅珠は1歩下がって丁寧に頭を下げた。

「では夕鈴様。私は行きますわ。」
「ええ、またね。」
「はい。」
 にこりと微笑んで彼女は去る。
 全ての仕草が完璧で、さすが良家のお嬢様だと感心してしまった。

 ―――きっと、会長の隣に立つのはああいう人なのだろう。

 その時胸がちくりと痛んだ気がしたけれど、気のせいだろうと無視をした。



 

「姉さん、彼女と知り合いなの?」
 同じ方を見ていた青慎がふと顔を上げて聞いてくる。
 ハッとして彼女から視線を外すと、誤魔化すように曖昧に笑んだ。

「ええ、会長の関係でちょっとね。青慎は話したことないの?」
「隣のクラスだから。でも、有名だよ。」
 名門氾家の末娘、それ故に噂だけは良く耳にするのだと。

 珀家もかなりの財力を持つが、氾家も歴史ある名家だ。
 常に人の視線を受け、些細なことでも関心を持たれてしまうのだろう。


 珀財閥の後継者とも言われる会長と、名門氾家のお嬢様である紅珠。

 今更ながら、"最有力"―――その言葉の意味が分かった気がした。




「ところで姉さん、中等部まで何しに来たの?」
「あ、ごめん! お箸入れるの忘れてたの。」
 慌てて謝りながら、本来の目的である箸を青慎に渡した。





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2011.4.4. UP (2012.2.10.修正)



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書き直したら長くなったので、ちょっと切ります。
何気に青慎登場(笑) 時間がないとすぐに削られちゃう子です。



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