狼陛下の恋敵?(前)




 ある日の朝、狼陛下の靴箱に一通の手紙が置かれていた。

 これは"ラブレター"なんて可愛いものではないだろう。
 こんな飾り気のない白い封筒なら、たいていは中傷か脅し辺りだ。
 特に気に止めず、黎翔が無造作に中身を取り出すと、まずはカードが一枚。

 "狼陛下の恋人は浮気中"

 と、文はそれだけ。
 そしてご丁寧に写真も付けてあった。

 数枚の写真の中では、夕鈴が男と2人で買い物をしている。
 恋人…というよりは夫婦みたいな雰囲気で。


 他に付き合っている男がいるとは聞いたことがなかったし、彼女なら隠しもせずにはっき
 り言うだろうと思う。
 だから疑う気はないのだが。

 ―――相手の顔は知らないわけではない。
 ただどこの誰かまでは記憶が曖昧だ。夜会でだったか、この学校でだったか。
 しばらく写真を見つめたまま考え込んでいたが、答えは結局見つからなかった。










 そして、その答えが分かったのはその日昼休みが始まってから、意外なところで判明する
 ことになる。









(…あれ? 夕鈴……?)

 教室の前の廊下を彼女が通り過ぎていった。
 何か3階に用事があったのだろうか。
 ちょうど良いから一緒に行こうかと廊下に出ると、目的の人物を見つけたのか、彼女がそ
 の名前を叫んで呼んだ。

「几鍔!」
 前を歩いていた男がそれに気づいてふり返る。

 ――――写真の男だとすぐに分かった。


「ほら。忘れないでよね。」
 夕鈴はその男に追いつくと、明らかにお弁当にしか見えないものを手渡す。
 …それだけでも十分衝撃的だったのに。

「玉子焼きは塩だろうな。」
「砂糖に決まってるじゃない。青慎が好きなのは甘い玉子焼きだもの。」

 あの写真の雰囲気そのまま、それはとても親密な会話に聞こえた。
 嫌な顔をする男に夕鈴は姉か母親のように怒る。

「文句言わずに食べなさい。アンタの好きな塩鮭入れといたからそれで良いでしょ。あと、
 空箱は青慎に渡すかうちに持ってきて。」
「今夜、夕飯はそっち行くからその時でも良いか?」
「あ、そっか。じゃあ」


「夕鈴。」

 ―――それ以上聞く気にはなれなかった。

 "狼陛下"の声は廊下でも良く通る。
 周りの空気が固まったが、そんなものは気にしない。

「会長!」
 夕鈴はその空気には気づかずに、ただそこに彼がいるということに驚いて慌てた。

「あ、私も一緒に行きますっ ―――几鍔!残したら承知しないからね!!」
「ヘイヘイ。」
 その彼と、夕鈴を間に挟んで互いに目が合う。
 何かを探るように睨んでくるそれに応えるように、こちらからも凍える温度の視線を返し
 ておいた。
 ただ、夕鈴に気づかれる前には背を向けていたけれど。


(…几鍔、か……)

 名前は知っていた。この学園の不良達をまとめている男の名だ。
 彼を中心に裏で何かをするというわけではなく、単に彼を慕って柄の悪い連中が集まって
 いるという感じだが。
 だから特に敵対しているというわけでもない。

 しかしあの視線は完全に敵意だった。
 それは生徒会長に対してではなく、"夕鈴の男"に対してのものの方だろう。

 けれど、睨みたいのはこちらの方だと内心で思う。

 夕鈴のお弁当を食べることができる男。
 夕鈴とあんな風に親密に会話ができる相手。
 そんな相手に何も思わないはずがない。

 今から貴重な楽しい時間のはずなのに、気分はかなり最悪だった。









「…さっきの、誰?」
 もやもやした気分を引きずったままで、お弁当を頬張る夕鈴に尋ねる。
 彼女は数秒考えた後で思い至ったらしく、ああと言って手を打った。
「几鍔のことですか? 腐れ縁ってやつです。家が近所で親同士が仲が良いんですよ。」

 つまりは幼馴染みということらしい。
 幼い頃から知っている仲だから、あんな家族のような雰囲気だったのか。
 けれど、そう思うとまたもやもやとした気分が増した。

「……、お弁当はいつも作ってるの?」
「え?まさか。あいつのお母さんが今週入院してて、だから頼まれたんです。」
 放っておくとマトモに食べないんですよ〜と彼女は言って笑う。
 彼女からしてみれば何でもないことなのかもしれない。珍しいことでもないのだろう。
 けれど、こちらからしてみると悔しいというか苦しいというか。
 とにかく良い気分ではなかった。

 ――――だって彼女は"狼陛下の恋人"、今は僕のなのに。


「…僕にも作って欲しいな。」
 ぽつりと本心を零すと、彼女はとんでもないと首を振った。
「何言ってんですか!? こんな庶民弁当より何倍も豪華で美味しいもの食べてるのにっ」
 黎翔の前には2段重ねの漆塗りのお重が置かれている。
 毎日珀家お抱えのシェフが作ってくれている一流の品だ。
 食材の質も値段も夕鈴のお弁当とは桁が違うのは確か。
 けれど、自分の中での価値は夕鈴のお弁当の方が何倍も上。
「だって彼女の手作りお弁当って恋人同士って感じだし。彼氏でも何でもない彼が食べれ
 て僕が食べれないのは変じゃない?」
「…偽物ですが。」
「でも恋人なのは事実だよね?」
 彼女の否定をさらに否定する。

「ダメかなぁ?」
 夕鈴は意外と頑固だ。
 やっぱりダメなのかとしょんぼり肩を落とすと、彼女が躊躇った気配がした。
「〜〜〜分かりました。」
 ぽんと手に持っていた皿に綺麗に巻かれた玉子焼が乗る。
「明日作ってきますから、今日はこれで我慢してください。」
「! うんっ」

 沈んでいた気持ちが一気に上昇した。
 我ながら単純だと思うが、こればっかりは仕方がないと思う。
 だって夕鈴の手作りお弁当だ。

 
 明日シェフに昼食は必要ないと言わなければ。
 いや、デザートくらいは作ってもらおうか。

 李順が見たら青くなるくらいのにこにこ顔で、明日が早く来ればいいと黎翔は心の中で強
 く願った。



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2011.4.6. UP (2012.2.10.修正)



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どさくさに紛れてお弁当作ってもらうことになってる!?Σ( ̄△ ̄;)

やっぱり前後編になりましたー…
いえ、頭痛がひどくて…(汗) 続きは明日更新します。


2/10追記)
修正したら、前中後編になりました〜…



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