2)李順からの忠告




 ―――夕鈴と一緒に昼食を食べたのは夏休みの中頃。
 すでに夏休みは終わり近くなったが、あれから彼女とは会っていない。

 偶然はそう何度も続いてはくれなかった。






「黎翔様。」
「何だ? 急に改まって。」
 学校で李順が"会長"ではなくそちらの名で呼ぶのは珍しい。
 そう思いながら、黎翔は手元の書類から顔を上げた。

「"仮の恋人"の件ですが―――」
 李順の口から出た彼女を示すワードに、黎翔は表情こそ変わらないがぴくりと眉を跳ね上
 げる。
「……どうか、ご自分の立場をお忘れにならないようにお願い致します。」
「どういう意味だ?」
 今更何を言い出すのかと、至極真面目な顔の李順を不思議に思う。

 名門珀家の後継者候補。
 それが一年前に突然付いた自分の肩書き。

 だから自分はここにいる。それを忘れたことはない。
 それは李順も知っているはずだ。


「もうすぐ正式な通達が来ると思いますが… 先日の親族会議で黎翔様が珀家の正式な後継
 者に決定致しました。」
「……何?」
 さすがの黎翔もそれは予想外で目を見張る。
「兄達がいるのにか?」
「この学園を治めたことで認められたようです。」
「……ここはテストじゃなかったのか?」

 今は練習のようなもので、会社経営がメインだと思っていた。
 だから兄達も今必死なのだと考えていたのだが。

「いえ、違います。」
 メガネを押し上げ、李順は黎翔の考えを否定する。
 そして今まで話さなかったことを詫びた後、李順は本当の条件を説明し始めた。


 それによると、兄達が会社を任されたのは誰も成し得なかったために設けられた措置との
 こと。
 だが、黎翔がその条件をクリアしてしまった。
 故に兄達を通り越して黎翔にその座が回ってきたのだと。

 父親を見返すためと認められるために始めた"試験"だったが、この職は意外に難しいもの
 だったらしい。


「夕鈴殿のことは… 諦めて下さい。恋人役終了の期限も近く、引き留めることもできませ
 ん。」
 さらに、忘れないでくださいと李順は続ける。
「彼女の行為は善意です。彼女の幸せを願うのなら、逃がしてあげるべきです。」



 ―――私はどちらかしか選べないのか。


 李順の言葉が重かった。












*












 ―――夏休みは稼ぎ時だ。

 一年生は課外も少ないのでバイトを入れられるだけ入れてみた。
 ただ、夜に入れると会長に心配されてしまうので昼間だけだけれど。

 その分夜はしっかり勉強することにしている。
 バイトのせいで休み明けの実力テストが散々だなんて、特待生としてはあるまじき事。学
 生の本分は勉強だということを忘れてはいけない。




「うわ…」
 先に扉を開けたバイト仲間のうんざりしたような呟きに夕鈴も内心で同意する。
 夕鈴達のような帰る組と今からシフトに入る組が重なると、広くないロッカールームは人
 で溢れてしまうのだ。
 この後まだ増えるので、夕鈴は邪魔にならないように端に寄って急いで着替えを始めた。


「ねぇ、聞いてよ!」
 今からシフトに入る予定の少女が、勢い良く扉を開けたと同時にそう叫ぶ。
 視線は当然そこに集まるが、今が着替え中だと文句を言う者はいなかった。女ばかりだか
 ら誰も気にしていない。
「今そこですっごいイケメンに会っちゃった!」
「私もっ セレブオーラたっぷりなの!」
 その後ろからもう一人入ってくると、彼女も頬を紅潮させながらそれに続いた。
 彼女達は夕鈴や他の仲間とも軽く挨拶を交わし、奥の仲の良いグループの方に駆け寄って
 いく。



「で、どうしたの?」
 きちんと手を動かしながらも、彼女達はおしゃべりに手を抜かない。
 大きな声は意識しなくても勝手に耳に入ってくる。

「思い切って声かけたんだけど、恋人を待ってるって言われちゃった。」
「なんだ、残念。」

 "恋人"の言葉に、みんな一斉に落胆の声。
 けれど、そのイケメンを見たという少女は甘いと首を振る。

「いやいやあれは見るだけで価値アリよ。」
「そんなカッコ良いんだ?」

 当然とばかりに二人共頷けば、彼女達のテンションはまた上がった。

「まだいるかな?」
「分かんない。待ってる相手が誰かまでは聞かなかったし。」
「えー! じゃあ急ごうよっ!!」




「暑いし、今夜は素麺で良いかしら…」
 後ろで興奮気味に話す彼女達の会話を夕鈴は興味なく聞き流す。
 外にどれだけのイケメンがいようが自分には関係ない。今夕鈴の思考を閉めるのは今夜の
 献立だ。

「…あ、今日は砂糖が特売だったわ。」
 イケメンには興味がないが、近所のスーパーの特売は大いに関心がある。
「急がないと売り切れちゃう。」
 夕鈴は彼女達とは違う理由で着替えの手を早めた。











 夕鈴が店の外に出たとき、先に出たはずの彼女達もまだそこにいた。
 騒がしいので内容までは聞き取れないけれど、どうやら例のそのイケメンを質問責めにし
 ているようだ。

(あれ…?)
 頭一つ飛び出たその後ろ姿に見覚えがある気がして夕鈴も立ち止まる。
 あの背格好にあの髪色… 考えるまでもなくすぐにそれは確信へと変わっていった。

(…逃げて良いかしら……)
 すっごい嫌な予感がする。このまま気づかないフリして帰りたい。

 ―――けれど、それが叶うはずもなくて。
 こちらに気づいて振り返った彼と目が合う。

 …ああ、人違いであって欲しかった。
 けれど事実は変わらない。そこにいるのは間違いなく彼の人だ。


「夕鈴!」
 彼女の姿を認めた途端、相手は不機嫌から一転して甘い笑顔を向けてきた。



「え??」
「恋人ってあの子?」
 彼女達の視線も一気にこちらへと集まる。
 完全に逃げ損なった夕鈴はその場に立ち尽くすしかない。

 ああ、視線が痛い。ものすごく。

「夕鈴、やっと会えたな。」
「ど、どうして会長がここに??」
 夕鈴が動揺している間に彼は目の前に来て、流れるように自然な仕草で手を取った。

「デートしよう。」
「へ!?」
 そうして突然誘いの言葉を切り出される。
「遊園地なら君も楽しいだろう?」
「は??」
 夕鈴が戸惑いを見せても全く気にしない様子で、彼は勝手に話を進めていく。
「会長ッ 一体何を―――」

 あまりに突然の展開に頭がついていかない。
 いきなりデートとか言われても何がなんだか分からない。

「夏休みに入ってから君はバイトばかりだ。私とは全く会ってくれない。」
「この前会いましたよ?」
「昼食だけだろう。あれでは足りない。」

 あ、やばいかも。―――そう思ってももう遅い。
 するりと腰に腕が回って引き寄せられた。

「君が足りない。もう限界だ。」
「!!?」
 途端に彼の背後からはキャーという声が上がる。

 この人は、ここがどこだか分かっているんだろうか。
 学校でもないし。…というか、思い切り道端だ。
 ここは人目が多過ぎる。

「あの、場所を」
「次の休みはいつだ?」
 会長の方は演技を止める気はないらしい。
 一体どうしたのかと思うけれど、話を合わせないと終わらないというのは理解できた。

「……明後日と、来週は水曜日ですけど…」
「ならば明後日にしよう。家まで迎えにいく。」
 約束を取り付けると嬉しそうににっこりと笑われた。
 至近距離でそうされるとこちらは心臓が止まりそうになるのだけれど。
 自分の顔がどれだけ綺麗か自覚して欲しい 本気で。

「今日はこのまま送っていこう。」
「へっ!?」
 言うが早いか、抵抗する間もなく高級車の中に押し込められる。
 好奇の視線への弁解もできぬままに車は走り出した。




「どうして、バイト先……」
「え? 何か言った?」
「いえ…」
 上機嫌ににっこにこの小犬を前に怒鳴ることもできず、夕鈴は頭を抱える。
 待っててもらうなら家の前の方がまだマシだった、なんて言える雰囲気じゃなくて言えな
 かった。

(…頭 痛い………)

 きっと明日のバイトは質問責めだ。
 あの好奇心旺盛な少女達の勢いに押されて倒れずにいる自信がない。

(なんて言えば良いのよ……)
 
 どっと疲れがでてしまって、無駄に乗り心地が良いシートに身体を沈み込ませた。






 ―――それより大きな問題が待ちかまえていることに気づいたのは彼と別れた後。

「って、服はどうしよう!?」
 パニックに陥った頭のまま、滅多に使わない携帯で友人を呼びだした。




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2012.3.3. UP



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夕飯の買い物はしてますよ。高級車をスーパーに乗り付けさせてw
車で待ってろと言ったのに黎翔はもちろん付いてきて、要らん噂がまた広まるとかそういう展開希望☆

…えーと、続きは半分くらいしか書いてないので来週に間に合うかってところです(汗)
気長にお待ちくださいませ。



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