3)遊園地デート




 約束の時間ぴったりに、彼からの「着いたよ」のメール。
 確認してすぐに夕鈴は階段を駆け降りる。
 普段ならこんなに急ぐことはないけれど、今日は特別。

(だって、会長を待たせるわけにはいかないし!)

 自分の分の食器を洗っている青慎に「行ってきます」と声をかけ、夕鈴は慌ただしく玄関
 を飛び出した。







「おはようございます!」
「おはよう。」
 息咳ききって門にぶつかる勢いで挨拶する夕鈴に対して、彼はゆったりと微笑み返してく
 れる。
 その彼が夕鈴を見て一瞬小犬に戻り、「あれ?」という顔をした。

「―――いつもと違うな。」
 その変化は本当に一瞬で、紡がれた声は甘い甘い狼陛下の方。
 彼が髪に指を差し入れると、いつもはするりと離れる栗髪が指に巻き付く。
 それにキスを落とされ、固まっている間に彼は一旦離れると、夕鈴を上から下まで眺め見
 た。


 今日の夕鈴の出で立ちは、パステルカラーのシャツにデニム生地の丈が短めの上着。
 下はクリーム色のショート丈のパンツとレギンスを履いている。
 素足に履いたミュールの踵は低いが、爪先にはピンクのペディキュア。
 髪はゆるく巻いたウェーブで、さらには化粧も薄めにしていた。


「自分で選んだの?」
「……イエ。明玉に遊ばれました。」
「―――成る程。」
 こんなの、普段なら絶対選ばない服だ。不思議に思われても仕方がない。
 だから夕鈴の答えには会長も納得したようだった。


 昨日の夜から泊まりに来てくれていた明玉は、朝早くから夕鈴を盛大に弄ってくれた。

 服に合う化粧や髪型だ何だと説明してくれながら、コテやらマスカラやらグロスやら、普
 段夕鈴が使わないようなものをたくさん使われた。
 正直半分も意味が分からなかったけれど、正直に言えば怒られそうな気がしたので黙って
 おいた。
 普通じゃないのは自分の方だという自覚はある。

 そんな彼女は今日は朝から用事があるらしくて、準備が終わるとすぐに帰ってしまった。
 ―――その際に「会長の反応を今度聞かせてもらうわよ。」なんて、楽しそうに笑いなが
 ら難問を残していかれたけれど。


「に、似合いませんか?」
 去り際の明玉は満足そうにしていた。
 でも、親友の欲目とか男女の美醜の基準は違うとかあるかもしれないし。

「…いや、新鮮で良い。―――君は私を夢中にさせるのが上手いな。」
「っっ!!」

 …朝から甘い。甘すぎる。
 今日も会長の甘々演技は絶好調のようだ。
 首まで真っ赤になった夕鈴に彼はくすりと笑った。


 対して、会長は今日も格好いい。

 黒の細身のジーンズにラフなTシャツ、それに紺のノースリーブカシュクールを羽織って
 いて着こなしもスマートだ。
 意外に焼けた肌の手首にはごつめの腕時計、その名前はどこかで見た高級ブランド。

 改めて思うけれど、隣に並ぶのが私で本当に良いんだろうか。


「どうしたの?」
「! いえっなんでもありません!!」
 まさか見惚れてましたとは言えず、慌てて首を振って誤魔化す。
 それからちょっとだけ疑いの眼差しを向けられたけれど、まあいいかと言われてホッとし
 た。

「じゃあ行こうか。」
「はい。」


 実は休日に会長と私服で出かけるなんて初めてのことだったりする。
 だって演技が必要なのは学校内だけで、ましてや休日に会う必要なんて無かった。

 会長はそれに気づいているかしら?

 ―――気づいて欲しいような、欲しくないような。
 だって、気づいた時、すごく恥ずかしい気持ちになってしまったから。
 本当は、ドキドキし過ぎてあんまり眠れなかったというのは内緒のこと。

 そんな気持ちを内に隠して、夕鈴は彼の隣に並んで歩きだした。










 その日は珍しく「電車で行こう」と会長が言い出して、駅までも一緒に歩いていった。
 その途中で手を繋ぐ繋がないで揉めたのは普通通り。


 だから、最初に少しだけ感じた違和感はすぐに忘れてしまった。
 突然普段と違うことを言い出したのも、いつもの気まぐれだと思ってしまったのだ。

 ―――それを誤魔化されたのだと、そう気づいたのは随分経ってからだった。











「あー 楽しかったね!」
 すっきりした顔で伸びをした彼がにっこり笑ってふり返る。
 もう一回乗ろうかなんて言う、その後ろにぶんぶん振られる尻尾が見えて夕鈴はぎょっと
 なった。

「会長ッ 素が出てます!」
 冷酷非情の狼陛下が遊園地ではしゃぐ姿なんて、誰かに見られてしまったら大騒ぎだ。
 けれど、会長はそんなの気にした様子もない。
「大丈夫大丈夫。狼陛下がこんな所にいるなんて誰も想像しないだろうし、君もいつもと
 違うからばれないよ。」
 そんなことを言いながら、小犬は無邪気に笑っていた。

(本当かしら…?)
 そんな彼を夕鈴は半信半疑にジト目で睨む。
 確かに小犬のような素の会長と演技中の狼陛下は全然違うけれど。

 でも、綺麗な顔立ちの会長はとにかく目立つ。
 こんなに目立つこの人を、誰も見つけられないはずがない。


「それより、次は何に乗る?」
 会長は夕鈴の懸念も全部を軽く流して次のアトラクションに思いを馳せている。
 素を隠す気は微塵もなさそうだった。
「……まあ、会長がそんなヘマをするわけないわよね。」

 1年近くも完璧に演じきっている会長がこんなところでボロを出すはずがないのだ。
 そもそもここに来ると決めたのも会長なわけだし。ひょっとしたら何か考えがあるのかも
 しれないし。

「じゃあ、…あれとかどうですか?」
 拙くなったら逃げれば良いかと夕鈴も吹っ切って、凄い轟音を立てている箇所を指差した。


『きゃあああああ!!』
 誰かが叫ぶと同時に多人数乗りのボートが水の中に突っ込んで大きな水飛沫が上がる。
 少し離れた場所にいるはずの夕鈴達のところまで飛沫がかかって涼しいほど。

 それは、アトラクションの数が多いこの遊園地内でも5本の指に入る人気を誇るものだっ
 た。


「…夕鈴って怖がりだけどこういうの好きだよね。」
 意外だなと会長に呟かれる。
 確かに、ここに着いてから今までも絶叫系ばかりに乗っていた。
「得体が知れないのが嫌いなんです。」
 あれとこれは怖さの意味が違うと言えば、違うところに反応したらしい会長がえーと不満
 の声を上げた。
「じゃあお化け屋敷は行かないの?」

 …やっぱり行く気だったのか。
 さっきそこの前を通った時に期待した目で見られていたから、まさかとは思っていたけれ
 ど。

「もちろんです。絶対嫌です。」
 断固拒否の姿勢で首を振る。
 あれのどこが面白いのか夕鈴には理解できない。
「入ろうよー 怖いなら僕にしがみついていれば良いから♪」
 自分の腕を指してニコニコしている会長は、―――それが目的だという魂胆見え見えだっ
 た。

(…絶対、怖がる私を見てからかう気だ!)

 夕鈴にとってお化け屋敷というものはそういうものだという認識だ。
 嬉々として誘った方は、誘った相手が怖がったり叫んだりするのを見て面白がるのだ。
 そんな手に乗ってやるつもりはない。


「……行くくらいなら帰ります。」
「夕鈴!?」
 踵を返すと慌てた会長が腕を掴んで止める。
「待って! 行かないから! だから帰らないで!!」

 夕鈴をからかうより純粋に遊ぶ方を取ったらしい。
 観念した会長に必死で謝られることになった。

























「これに乗りたくてここを選んだんだー」
 長い夏の日もついに傾いた頃、基本的に夕鈴が乗りたいもの(ほぼ絶叫系)を優先してい
 た会長がこれだけはと誘ったのは観覧車だった。

 国内でも最大級を誇る、海が見える観覧車。
 そこまで遠くもないけれど、もっと近くにある遊園地を選ばなかったのはこのためだった
 らしい。


「行ってらっしゃいませ。」
 誘導してくれたスタッフに見送られ、二人を乗せたゴンドラはゆっくりと上がっていった。



「わ、たかーい!」
 会長が勧めるだけあって、その眺めは最高だった。
 ここからは遊園地の全景が見渡せる。ついでに裏舞台も見えたりするが、それはご愛嬌だ。
「すごいです!!」
「うん。」
 外を眺め下ろしてはしゃぐ夕鈴に柔らかい返事が返ってくる。
「あ、海が見えますよ。綺麗ですね!」
「うん。綺麗だね。」
 クスクスと会長が笑う。
 子どもっぽいはしゃぎ方かなとちらりと思ったけれど、これを見て大人しくしてはいられ
 ない。
 沈む夕日が反射した海はキラキラと輝いていてとっても綺麗だった。

「会長! あそこにヨットが」
 振り向いて、こちらをじっと見つめる彼と目が合う。

 ―――そこで初めて、彼がずっとどこを見ていたか気がついた。
 てっきり一緒に外を眺めているんだと思っていたのに。

「な、何してるんですか?」
「君を見てる。」

 紅色の瞳が真っ直ぐに見つめてくると、心臓が大きく波打つ。
 さっきまで小犬みたいにはしゃいでたくせに。いきなり演技を入れてくるなんて反則だ。

「ッ 景色を見てくださいよ!」
「景色を見るより君を見てる方が退屈しない。」

 ……それって褒めてないわよね。

「どういう意味ですか!?」
「ん? くるくる変わる君の表情が可愛いって意味。」
「っっ!!?」
 夕鈴が怒ると甘い言葉で返してくる。
 今ここには二人っきりなのに、演技は要らないはずなのに。

 本当に何なの 一体。
 意味が分からない。


「―――あ、一番上だよ。」
 これ以上怒鳴るべきなのかどうなのか悩んでいると、ころっと小犬に戻った彼が外を指差
 す。
 指の先を追うと1つ前のゴンドラが下がり始めているところだった。
「〜〜〜もうっ!」
 次はいつ来られるか分からないし、せっかく乗ったのに勿体ないし。
 何だか誤魔化された気がしないでもないけれど、今は頂上を楽しむことにした。

 彼のことは無理矢理視界の外に追い出したから気付かなかった。
 …どんな表情でこちらを見つめていたかなんて。



「あーあ、もう終わりかぁ。」
 あっという間に頂点を越えたゴンドラは、今度はゆっくりと降りていく。
 下に着く頃には周囲には明かりが灯り始めているだろう。
 そうしたらもう帰る時間だ。


 ―――今日は楽しかった。
 強引な誘いには驚かされたし、翌日の質問責めはすごく困った。明玉からのダメ出しは凹
 まされたし、実は寝不足だったりするし。

 …でも、そういうの全部吹き飛ばせるくらい本当に楽しかった。

 会長はどうなんだろう。
 相手が私なんかで本当に良かったのかしら。


「夕鈴」
 呼ばれて顔を上げると、予想外に真面目な表情とかち合った。
「な、何ですか?」
 ドキン とまた心臓が大きく跳ねる。
 何を言われるのかと身構えた。

「…あのね、バイトの期間の話なんだけど。」
 躊躇いがちに告げられたそれに、夕鈴は現実に一気に引き戻された。
 楽しかった気分が一気に萎んでしまう。


(―――どうして今その話なんだろう。)
 心が冷えていくのを感じながら、でも別の心の声は納得している。
(……次は、いつ会えるか分からないから、よね。)

 舞い上がっていた自分を恥じる。
 何を勘違いしていたんだろう。
 会長との恋人関係は仮初めのもので、いつかは終わりが来るものだ。

(分かりきっていたことじゃない。)
 甘い言葉も優しい笑顔も、全部全部演技なのに。

(何を、期待していたの。)
 馬鹿みたいだと内心で自嘲した。



「引退してすぐだと不自然だから、もう少し続けてもらいたいんだ。」
「…いつまで、ですか?」
 聞きたくないと思いながら、口は勝手に言葉を紡ぐ。
 できれば今すぐ耳を塞いでしまいたかった。

「―――文化祭まで。最後のダンスが終わるまで…… それで良い?」
「はい…」
 元々夕鈴に拒否権などない。
 小さく答えて頷くだけしかできなかった。


 あの日偶然秘密を知って、手伝おうと思っただけ。
 本来なら出会うはずのない人。
 思いがけず長く付き合うことになって、勘違いしそうになってただけ。

 "痛い"と思うことすら、お門違いだわ。


「文化祭は一緒に回ろうね。」
「はい。」

(声は震えていない?)

 ―――ちゃんと笑えているかは自信がなかった。















 夢はいつか覚めるもの。
 それは、忘れてはいけないこと。

 ―――忘れてはいけない。間違えてはいけない。


(…そんなこと、分かってるわ。)




 ギリギリまで遊ぶのを見越していたらしい彼は帰りに車を呼んでいてくれた。
 もう慣れた後部座席に並んで座って、だけどそこでも夕鈴は言葉少なで相づちを打つだけ。

 今は今日の思い出を語る気にはなれなかったから。


「夕鈴、疲れた?」
 顔を上げることはできずに俯いていると、心配した会長が顔を覗き込んでくる。
 それを自分のせいだと申し訳なさそうな顔をする彼には違うと首を振った。
「いえ… 楽しかった夢から覚めるのは 寂しいなって思って…」

 本当の理由は言えないから嘘をついた。
 絶対気付かれたくないと思ったから。

「…そうだね。」
 彼はそれを疑わなかった。


「―――楽しかったよ。だから、僕も寂しいな。」
「ッ!?」
 投げ出したままの手が一回り大きなそれに包まれて、次いでするりと指が絡められる。
 さらにぎゅっと力を込められて、いきなりのことに夕鈴は思いきり驚いた。
「か、かかかいちょ…!?」
 夕鈴が手を引いてもびくともしない。
「もう少しだから。ね。」

(…ッ ズルイ!)
 少し寂しげな小犬の顔を見せられたらもう何も言えなかった。


 会長の温かさを間近に感じてドキドキしながらも、同時に同じ場所がズキリと重く痛む。

 どうしてと問いながら、離れたくないとも思う。

 ―――矛盾だらけの心が軋みを上げ始めていた。




















「おやすみ、夕鈴。」
「はい、おやすみなさい。」

 いつも通りの挨拶を交わして彼とは別れた。
 夕鈴もいつものように黒塗りの高級車が角の向こうに消えるまで見送る。


 ―――そうして彼が消えた後、生温い一滴が頬を伝った。
 泣いているのだとぼんやり自覚したけれど、拭う気にはなれずに放置する。

 今夕鈴の心を占めるのは、観覧車で告げられた言葉。
 期間が延びたことを喜べば良いのか、はっきり決まってしまった期限に落ち込めば良いの
 か分からない。

 分からないけれど、1つだけ分かってしまったことがある。


(こんな気持ち、気付かなければ良かった…)

 ずっと気付かないフリをしていたのに、別れの時を知って認めざるを得なくなった。

 どうして今更気付くのだろう。
 気付いたところでどうにもならないのに。


「………不毛だわ。」
 叶うはずのない想いを自覚してしまった自分が嫌だった。




4へ→


2013.4.22. UP



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テーマは期間の延長と夕鈴の自覚なんですけど。
その他が多くて長さが有り得ないことに(汗)

黎翔は一緒にいる時間を増やしたくて延ばしたけれど、夕鈴はそれに気づかない。
そんなすれ違いを書きたかったんですよ。
あと、お化け屋敷のすれ違い(笑)
会長は夕鈴にくっついてもらいたかっただけですよ! 
理解されてない残念な人ですww

前回の更新から間が開きすぎました… 何にこんなに時間がかかったのか不明。
ほんとスミマセン……



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