遊園地に出かけた後、会長からは毎日電話がかかってくるようになった。
 …単に メールだと返事をほとんど返さないからだけど。

 内容は本当に何でもないことばかりで、「今日は何してた?」とか、「早く新学期になら
 ないかな」とか、……「会いたいな」とか。


 勘違いさせないで欲しいと思う。
 好きな人からそんなことを言われたら浮かれてしまうのが普通。

 でも、あの人の場合は違うから。
 私達の間にあるのは偽りの関係だから。


 蕩けそうに甘い言葉、夢のように優しい言葉。


 だけど、

 今の私には… 少し苦しい。












 二学期が始まり、それとほぼ同時に生徒会の交代も行われた。
 新しい会長には予定通り柳方淵が推薦され、特に反対されることもなく全校生徒に承認さ
 れた。

 つまり、会長は会長ではなくなって、"狼陛下"としての仕事も終わって。
 …それは、仮の恋人も要らなくなるということで。


『最後のダンスが終わるまで…』
 あの人の言葉が何度も頭の中でぐるぐる回る。

 それは変えようのない事実。
 文化祭が終わったら、私とあの人の関係も終わり。

 文化祭の準備が始まれば忙しくなるし、あの人と会う機会も少なくなるだろう。
 そうしてきっと、あっという間にその日がくる。


 ―――夢の終わりが近づいていた。








    4)狼陛下の引退








 昼休みの始まりはいつもわりと騒がしい。

「カフェ行こー」
「おっけー」
 仲良し女子グループの一つは連れ立って校内のカフェに行くらしい。

「先行ってるぞ!」
「ちょ、待て! 財布が見つからん!!」
 限定品目当ての男子達は慌ただしく飛び出していった。


 そんな中、夕鈴も二人分の弁当箱が入ったバッグを取り出して中身を確かめる。
 ちなみに親友の明玉は、チャイムが鳴るとすぐに彼氏のところに行ってしまった。

「…そういえば、今日からどこで食べるのかしら?」
 生徒会室は方淵達が使うので今までのようには使えない。
 でも、他の場所だと注目されてしまうのは必至だ。
 ―――彼が演技せずにいられるのは昼休みだけなのに、そうなると食べるときも演技を続
 けなくてはいけない。
「どこか、良い場所はないかしら…?」


「夕鈴っ!」

『!!?』
 教室に一際明るい声が届き、教室内は別の意味でざわついた。
 皆が一様に、驚愕に満ちた顔で声の主を凝視する。

 入り口に立って、今夕鈴を呼んだのは、、

「会ちょ…じゃなかった、先輩!?」
 呼びに来られるなんて思わなかった夕鈴は慌てた。
 急いでバッグを掴むと 彼が待つ教室の入り口に向かう。

(でも、今、何か違和感があったような…?)
 教室の空気もどこかおかしい。
 どうしてそんな、皆でこの世の終わりみたいな表情をしてるんだろう。

「すみません!」
「良いよ〜 僕が待てなかっただけだから。」

(…ん?)
 何故だろう。目の前の人から耳と尻尾が見える気がするんだけど。
 声も心なしか弾んでいるような気がする。

「ね、早くお昼ご飯 食べに行こー」
「!!?」
 彼の肩越しに廊下を行き交う人々の驚愕の表情を見て、夕鈴もようやくそこに思い至った。

(小犬化してる!!)

「生徒会室はもうダメだけど、他に良い場所見つけたんだー」
「ちょっ 素が!」
 にこにこお花が飛んでそうな小犬の口を慌てて塞ぐ。
 今更遅いのかもしれないけれど、でも、そうせずにはいられなくて。
 その手をそっと外した彼がふふっと楽しげに笑う。やっぱり小犬のままだ。
「良いよ。わざとだから。」
「へ!?」
 唖然とする夕鈴の前で、彼はそれはそれは楽しそうに笑った。









「元々そのつもりだったんだ。」
 彼が誘ってくれたのは屋上で、そこに並んで座ってお弁当を広げながら、会長…もとい先
 輩はそう語った。
「頃合いとしてはちょうど良いでしょ? 今じゃないとタイミングを逃しそうだし。」
「…まあ、確かにそうですね。」

 確かに彼の言い分も分からなくはない。
 入れ替わりのこの時期を逃したら、後は卒業後くらいしかないだろう。

 …でも、いくら何でもいきなりすぎると思う。
 元から知っていた夕鈴ならともかく、周りのあの反応からするとこの後どういう騒ぎにな
 るのか想像つかない。



「だが、君が望むなら―――」
「ッ!?」
 いきなり狼化した先輩が手首を掴んで夕鈴の身体を後ろの壁に押しつける。
 覆い被さるように迫られて、囲い込まれた夕鈴はあっという間に逃げ道を失った。
「君がこちらを好むというなら、私はそれでも構わないが?」
「ぜひ素でいてください!」

 心臓が保ちませんから!!

 必死でお願いしたら、小犬に戻った彼が笑った。










「ちょっと夕鈴!」
 教室に戻ってきたら、即行で明玉にとっ捕まって壁に追い込まれた。
 はっきり言ってちょっと怖い。

「あれが演技って本当なの!?」
 たった今教室の前で別れた相手のことを言っているのだろう。
 そういえば、さっき行く時に明玉はいなかった。
 話を先に聞いていて、そして実物を見て この行動になったようだ。
「う、うん… 本当。」
 夕鈴が頷くと、明玉の目が驚きで大きく見開かれた。
「あっ でも、全部学校のためだったのよ? 良い学校にするために、強い人を演じようって。
 それで……」
 だから慌てて、明玉より早く、心持ち 声を張り上げて。
 とても優しい人なのよと続けた。

「…アンタは知ってたのね。」
「……うん。」
 じっと見つめる明玉にこくりと頷く。

 だから力になろうと思った。
 この学校のために、自分を隠したあの人の役に立ちたいと思った。

「―――ま、アンタが騙されてたわけじゃないなら私は良いのよ。」
「それはないわ!」
 即答で返すとちょっとだけ驚いた顔をされる。

 それから、親友は笑顔になって、

「それなら私に不満はないわ。」
 晴れやかに爽やかに、ただそれだけを言われた。









*








「面白いことを始められましたね。」

「―――氾水月。」
 廊下で珍しい相手に話しかけられ、黎翔は足を止める。
 普段は近づきもしないくせに一体何だと視線で促すと、彼は少し困ったような顔をした。
「さすがに私にはあちらは見せませんか。」
「…今ここにはお前だけしかいないのに、無理に見せる必要はないだろう。」
「確かにそうですね。」
 黎翔の言葉をあっさり肯定し、水月は表情を変えないままに一歩近づく。
「いきなりあれを見せられても私もどうすれば良いのか分かりません。」
 普段は逃げる男がまた一歩と進んでくる。
 それを訝しみながらも、黎翔はそこから動かずにいた。


「―――多くは私と同じ意見です。いきなりあれが素だと言われても、信じきれないと誰
 もが思っていることでしょう。」
 人気のない廊下に水月の足音だけが響く。
 淡々とした声はいつまでも核心に触れず、黎翔も苛立ちを覚えた。
「…お前は何を言いに来たんだ?」
 こんなどうでも良いことを伝えに来たわけではないだろう と。
 睨みつければ相手の足が止まり、ふぅとため息が漏れるがその顔は青い。
 水月は手にしていた白いスマートフォンを操作すると、黎翔の前に差し出した。

「…これは故意にですか?」
 水月が見せた画面に映っていた画像は、夏休みに夕鈴と遊園地に行った時のものだった。

 チョコミントのアイスクリームを手にした少女の横に、笑顔全開でどこかを指さしながら
 はしゃぐ男が写っている。
 隠し撮りのようなそれは、紛れもなく黎翔と夕鈴の二人。


「今、これが爆発的に広がっているそうですよ。…もう誰が最初に流したのか特定するの
 は不可能でしょうね。」
 相手が言わんとすることを察し、黎翔は薄く笑う。
 何だかんだ言ってもこの男はやはり頭が良い。
「これで私が何か得することでも?」
「さあ? それは分かりませんが…」
 画面を消して彼はそれをポケットに納め、彼はひたりと黎翔と目を合わせる。
 そこには怯えの色もなく、青ざめた表情もない。

「今回のことに関して少々不穏な動きが見られます。十分ご注意ください。」
「…ああ。」
 そういうことかと目で頷けば、相手は軽く一礼を返してきた。

 元生徒会のよしみといったところだろうか。何が目的かと思ったら、どうやら警告に来て
 くれたらしい。
 それに感謝するよりもらしくないなと思うのは、自分が捻くれているせいか。

「気をつけておこう。」
「それが良いかと思います。」
 心配はしていませんが…と付け加えられて、当然だろうと黎翔は口端を上げた。
 どこぞの小者にやられるほどヤワなつもりはない。


「―――あと一つ、お聞きしたいことがあります。」
 黎翔が動き出す前に、水月から再び呼び止められる。
「何だ?」
 まだ何かあるのか。
 軽く睨むも、今日の水月は表情を変えない。本当に珍しいことだ。

「今の貴方もあちらの貴方も、どちらも演技ではないのでしょう?」
 静かな声で告げられたその言葉に、黎翔は軽く目を見張った。
 事前に話していた方淵すらすぐには信じなかったそれに気づく者がいたとは思わなかった
 のだ。

「…さすがだな。」
 今度は素直に賛辞の言葉が出てきた。
 それを水月は苦笑いで返す。
「それが全て演技なら恐ろしいことです。詐欺師になれますよ。」
 冗談めかしたその切り替えしに、黎翔はハハッと笑った。










(どちらも…? え―――?)
 にわかには信じ難い事実に夕鈴は愕然とする。
 偶然立ち聞いてしまった話は、夕鈴の認識を根底から覆してしまうものだった。

(今の話は一体どういうこと?)
 音を立てないようにそっとその場を離れ、夕鈴は元来た道へと足を向ける。

 まだ頭の中がごちゃごちゃだ。
 今の状態で先輩には会えないと思った。



「どっちも演技じゃない、って…」
 彼はそれをあっさり認めた。
 "狼陛下"も演技じゃないって… 私にはハッタリだって言ったのに。


 秘密を知ってしまったあの日、話を聞いてあの人の力になりたいと思った。
 だから仮の恋人役を引き受けた。

 なのに、、、

「全部本当じゃなかったの?」


 あの人の味方でいたかった。
 何があっても私だけは信じようと思っていた。

 だけど、あの人は私を信じていなかった。


「私、騙されてたの…?」
 ぽろりと漏れた自分の呟きが耳に届いて、ハッと我に返った。
「っ違う! 先輩はそんな人じゃない!!」
 転がり落ちていく自分の思考を首を振って否定する。

 優しい人なのは本当だ。
 それを知っていたから少しでも役に立ちたいと思っていた。

「でも、先輩は何も言ってくれなかった…」
 隠し事をされていたという事実は夕鈴の胸を深く突き刺す。
 私を信じてくれなかったあの人に、悲しいと思った。


「…ッ ぅ」
 いつの間にか足は止まっていて、歪んだ視界を手で覆う。
 声を殺しても目を押さえても、それは次々溢れてくる。


 笑えない。
 あの人の前で平気でいられる自信がない。

 どうしよう。
 傍にいたいのに、いたくない。




 その時、俯く夕鈴の頭上に 大きな影が差した。




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2013.5.31. UP



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大変長らくお待たせしました(汗)
そしてやたらに長いので前後編に分けました。
よって、さらに全8話になりました(汗)



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