5)それでも貴方が




「几鍔!」
「あ?」
 背後から大声で呼ばれてふり返る。―――そこには予想に違わぬ男の姿。

「テメェに呼び捨てにされる筋合いはねーぞ。珀黎翔。」
 横でハラハラしている子分は無視して不機嫌さを隠さず返す。


 …かといって、"君"とか付けられるのも気持ち悪いが。
 つまりは、ほとんど無関係に等しい奴が気安く呼ぶなと。
 喧嘩を売るようにガン飛ばしてみるが、相手はそれどころじゃないといった風に走ってき
 た。



「夕鈴を知らないか!?」
「は?」
 珍しく切羽詰まった様子に眉を寄せる。
 いつも余裕しゃくしゃくで何でもこなす奴のくせに、今日のコイツはらしくない。

「いや、見てねーな。」
 几鍔の答えを聞くと、奴はすぐにチッと舌打ちして踵を返す。
 その横顔にはかつて見たこともないほどの焦りが浮かんでいた。


「待て。」
 走り去ろうとした黎翔の肩を掴む。
「何があった?」
 この男の態度から見て何かあったことは明白だ。
 しかも、それが幼馴染に関係することなら几鍔も放っておくわけにはいかない。

 振り払われそうになったが、それでも離さずにいると諦めたのか大人しくなった。
 そして冷静さを取り戻したらしい奴は、己の心を静めるためかふぅと息を吐く。

「―――協力してくれ。」
 再び几鍔と目を合わせたときの黎翔はもういつも通りの奴だった。
 まだ若干の焦りは隠せずにいたが、暴走することはないだろう。


「……夕鈴がいなくなった。」
「ええ!?」

 それに声を上げたのは、俺ではなくて隣にいた子分だった。






















「何すんのよ!」
 ネクタイで両手を縛られているせいで自由が利かない。
 足は縛られていないが、夕鈴が座らされているのは一番奥。逃げることは不可能だ。
 今のところ自由になるのは口だけ。
「私が何したってゆーのよ!?」


 一人で泣いていたらいきなり拘束されて近くにあった体育倉庫に放り込まれた。
 ここにいるのは男が3人。いずれも知らない顔だ。

「狙いはお前じゃねーよ。」
「!?」
 真ん中にいた男が静かに言う。
 息を飲む夕鈴の前にしゃがむと、するりと夕鈴の髪飾りを解いた。

「お前はエサだよ。あの男が来るのを大人しく待ってろ。」
 彼はそれを後ろの男に渡し、近くに置いてこいと指示する。
 目印代わりにするつもりらしい。
「あ、あの男って誰よ!?」
「もちろん、お前のカレシに決まってるだろーが。」
「ッッ!!」
 はっきり示されたそれに、夕鈴は再度息を飲んだ。

「か…先輩に何するつもり!?」
「何って… 俺達を貶めやがったあの野郎をぶちのめしてやるんだよ。」
「なっ!?」

 ダメだ。先輩はここに来ちゃいけない。

 ああ、どうしてあんな人気のないところに行っちゃったんだろう。
 足手まといになんかなりたくないのに!


「…しっかし、あれがはったりだったなんてな。」
 一人が発した言葉にビクリと肩を揺らす。
「見かけ倒しなら簡単にやれるぜ。」
「アイツが喧嘩に勝ったなんて話は聞いたことないしよ。」

(…違うわよ。)
 内心で自嘲気味に笑う。

 狼も小犬もあの人だった。
 私はそれを知らなかったけれど…

 あの人の役に立ちたかったのに、あの人に信じてもらえなかった。
 何も知らずに空回りしていた私を、あの人はどんな気持ちで見ていたんだろう。
 さぞ滑稽だったでしょうに。


「はったりじゃないかもしれないじゃない…」
 夕鈴が呟くと、男達はそんなはずはないと笑う。
「これでも?」
 そう言った男に写真を見せられた。


 ―――遊園地に行った時の、楽しそうな彼と私。
 終わりの日を告げられる前の無邪気な自分。

『最後のダンスが終わるまで…』
 あの言葉をまた思い出してずきりと胸が痛む。



「……そもそも、あの人に何の恨みがあるのよ。」
 夕鈴に対することはともかく、学校のために尽力していたのは本当だと思う。
 その彼が誰かを貶めるようなことをするとは思えない。
 きっと思い違いか勘違いだ。

「―――あの男は、俺達の部を潰したんだ。」
「……え?」


 彼らの言い分とはこうだ。

 彼らが所属していた空手部は大会での成績も芳しくない弱小部だった。
 さらに他校とのトラブルがきっかけで暴力事件を起こした後は、ますます部員が減った。

 それでも一応存続していたのだが、彼が会長になって部活動の大幅改変を始めたのだ。
 当時はいろいろな部が乱立していて、ちゃんと活動できているのかも把握できないほどの
 酷い有様だった。
 それを整理するために「活動報告書を出すように」と全ての部に通達され、その報告書に
 よって調査が入り、存続か廃部かが決定された。

 そして、彼らの部は廃部になってしまったのだ。


「報告書は出したのよね?」
「ああ。だがその場で突き返された。」
 その時のことを思い出したのか、怒りも露わに男は舌打つ。
「どうして?」
「実績が見られないから却下だと言われた。試合には出てなかったし、練習報告は虚偽が
 バレた。」
「報告書なんて意味ねーよ。アイツら勝手に調査してやがったんだ。」

(…ちょっと、それ単なる自業自得じゃないの?)
 真面目に話を聞こうとしたのは間違いだったようだ。同情しかけた自分が馬鹿みたいだと
 思う。

 つまり、活動してなかったんでしょう?
 そんな部が潰されるのは当たり前だ。


「単なる逆恨みじゃない!」
「何だと?」
 余りに自分勝手な言い分だ。聞いているうちに腹が立ってきた。
 怒りに任せて声を張る。
「部が潰れたのはあの人じゃなくてアンタ達のせいじゃない!!」
「うるせぇ!」
「ッ!」
 カッとなった相手に肩を掴まれ、拳を振り上げられる。この距離では逃げることも避ける
 こともできない。
 降りかかる痛みを覚悟してぎゅっと目を瞑った。


 ガン!!


「「「!!?」」」
「…っ ?」

 派手な音と共に、瞼の向こうが明るくなる。
 そっと目を開けると、―――何故か倉庫の扉がなくなっていた。


「「夕鈴!」」
 そこから飛び込んできたのは奇妙な取り合わせの二人。
 見慣れない光景に本気で驚いた。

「先輩!? 几鍔ッ!?」
「夕鈴 無事か!?」
 男達の隙間から先輩と目が合う。
 大丈夫だと言おうとしたけれど、その前に先輩の目が私の手と肩に移ってしまった。

「……彼女に何をした。」
 場の空気が一気に絶対零度まで落ちる。
 相手を射殺さんばかりの鋭い瞳が隙間から見えて、夕鈴でさえ震え上がった。

 これはマズい。
 "狼陛下"が本気で怒っている。

 でも、大丈夫だと言いたいのに、彼らが壁となって邪魔をする。


「っ 見かけ倒しだろ…!」
 チッと舌打ち、一番前にいた大柄の男が彼に掴みかかった。
 体格の差、力の差なら圧倒的に先輩が不利。
「あ…ッ」
 …危ないと言うつもりだったのだけど。

 触れる前に先輩はそれをひらりと躱し、バランスを崩した相手の手首を掴んで捻り上げた。
「いだだだだ!」
「―――見かけ倒しはお前の方だろう。」
 全く力を入れていないように涼しい顔のまま、背中に回した腕ごと押さえつける。
 それを他の二人はただ唖然として見ていた。


「やっぱり罠かよ!」
 痛いと悲鳴を上げながらも、男はぎっと睨み上げる。
 けれど先輩は表情を変えることなく冷ややかに見返しただけだった。
「罠? 言っておくが、私は演技などした覚えはない。」

「!」
 その言葉に夕鈴はハッとする。


(…違う。聞かなかったのは私だ。)

 彼を理解する努力を怠ったのは私の方。
 なのに勝手に傷ついた。

 彼はとっても優しい人だ。
 私はそれを知っていたはずなのに。

 信じてもらえなかったのは、私の努力が足りなかっただけ。


「先輩! 几鍔!」
 お腹にぐっと力を込めて声を張り上げる。
 それにビクッと震えた男が離れてくれて、おかげで二人が見えるようになった。

「私は大丈夫。―――だから先輩、その人を離してあげて下さい。」
「……」
 前半は二人へ、そして後半は男を押さえつけている先輩へ。
 けれど、先輩はじっと見つめたまま動かない。



「―――ほんっとお人好しだな。」
 先に動いたのは几鍔の方だった。
 頭をガシガシ掻きながら、呆れた風に溜息を吐く。
「まあ、それがお前らしいんだが。」
 いつものことかと幼馴染は呆れながらも笑ってくれて。
 ずかずかとこちらまでやって来ると、夕鈴の前にしゃがみ込んで手首のネクタイを外して
 くれた。


「おい。さっさとそいつを離してやれ。」
 几鍔の言葉でようやく先輩の手が男から離れる。

「で、お前らは今から倉庫の扉を壊したことを謝ってこい。」
 続けて他の二人にそう言った。

 つまり、それで不問にしてやると。
 それを察した男達は、はい!と返事をするとすぐに走って出ていった。





「アイツらが戻ってくる前に帰るぞ。」
「あ、うん。」
 彼らが先生達を連れてきたときに夕鈴達がここにいるのは確かに変だ。
 几鍔に立ち上がらせてもらって、急いで先輩の元に駆け寄る。

「先輩、行きま―――ッ」
 最後まで言えずに言葉が詰まってしまった。
 強く、抱きしめられてしまって。

「せ、先輩ッ 早くしないと先生達が…」
 けれど、離れようともがくほど拘束は強くなる。

「ごめん… 君を巻き込んだ。―――こんなつもりじゃなかったのに。」
 噛みしめるように言う声はとても苦しげだった。

 違う。違うんです。
 私が勝手に傷ついて、一人になったのが悪いんです。

「僕を狙うように仕向けたはずだった。まさか、君が浚われるなんて思わなかった…」

 そんなに自分を責めないで下さい。
 貴方は悪くないんです。



 先輩の背中越しに几鍔がひらひらと手を振って背を向ける。
 後は任せたと口パクで言われたのが分かったから手首を振って応えておいた。
 アイツならそれで分かるだろう。


「…先輩。助けにきてくれてありがとうございました。」
 お礼を言っても首を振られる。
 ぎゅうぎゅうと苦しいほど抱きしめられて、彼がどれだけ自分を責めているのかが分かっ
 た。
「良いんです。助けにきてくれたから。…私はそれが嬉しいです。」

 本当は、来なくても良かったはず。
 だって本当の恋人じゃないし、先輩が危険を冒す必要もない。

 けれど来てくれた。
 夕鈴にはそれだけで十分だ。


「ね、先輩。帰りましょう? そんなに謝りたいって言うならアイス奢って下さい。」
 ぱっと弾かれるように先輩の顔が上がる。
 耳の下がった小犬みたいな顔に向かって夕鈴はにっこりと笑った。
「いっちばん高いの強請りますから。それでチャラです。」
「…パフェで良いよ。トッピングたくさん乗ったやつ。」
「言いましたね? 遠慮しませんよ?」
 ふふっと勝ち誇ったように言うと、ようやく先輩から強ばった表情が抜ける。

 狼も小犬も演技じゃない。
 そう言われて改めて見てみると、確かにそうだなと思った。

 ころころ入れ替わるのだって当たり前だ。
 彼には普通のことなのだから。




 何だかとっても晴れやかな気分だった。
 問題は一つも解決していないけれど、この恋は叶いっこないけれど。

 …きっと、終わりの日には泣くんだろうけれど。



 でも、私はこの人が好き。


 それだけは変わらない事実。




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2013.5.31. UP



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というわけで、狼バレ編でした。
この夕鈴さんは意外に大人しかったなぁ。
もっと大暴れしても良かったと思うんですけどー

…ってか なげぇ!(汗) 
昼休みのあれから全部が一日の出来事だと言ったらどうしますか?
だから一話に収めたかったんですけど…
あれもこれもと情報を入れていたらとんでもないことになってました…

しかし、期間延ばして攻めモードに入ったはずが、夕鈴には全然通じてないという。
どうする黎翔さん。
てゆーか、跡継ぎ問題はどうしたんでしょうね?


次回はまたお待たせしてしまいそうです…(汗)
最後まで書き上げないと長さのバランスとか流れが分からないので…



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