6)縮まらない距離




 その後、ある意味の混乱はしばらく続いたものの、大きな騒ぎになるものはなく……

 皆がようやく慣れてきた頃には、すっかり秋深まる季節。


 そしてその頃には、大きな行事を前に校内全体が浮き足立ってきていた。








「じゃあ、夕鈴のクラスはコスプレ喫茶なんだ。」
「はい!」
 隣に並ぶ先輩からの問いかけに、夕鈴はウキウキモードのまま答える。

 ついさっきLHRが終わり、それぞれのクラスの出し物も大方決まった。
 ―――そう。秋深まるこの季節の一大イベント、文化祭。

 お祭り大好きの血が騒ぐ。
 よって、夕鈴は文化祭に集中するために前々から計算していた。

 夏休みに思い切りバイトを入れて稼ぎ、夏休み明けからシフトを徐々に減らす。
 元々1学期の資料室掃除のバイトで余裕も出ていたし、おかげで心置きなく文化祭に打ち
 込めるようになったのだ。


「じゃあ、夕鈴も何か着るの?」
「まさか!」
 素朴な疑問と聞かれたそれに、夕鈴はぶんぶんと首を振る。
 というか、そんな質問がくるとは思わなかった。
「私は裏方ですよ。お菓子を作る係なので、前日までの方が忙しいんです。」

 実のところは、実行委員になった明玉から着ろとしつこく言われていたのだけれど。
 そこは断固として断った。
 クラスには可愛い子がたくさんいるし、彼女達にやらせた方が良いと思ったのだ。
「もったいない!」と叫ばれたのは、親友の欲目ということにしておく。

「それで、あの…」
 これは言わねばと上目遣いにじっと見る。
 先輩には大したことではないかもしれないけれど、夕鈴にとっては一大決心だ。
「なに?」
「その、明日からは、一緒に帰れなくなりそうなんですけど…」

 今も当たり前のように一緒にいるけれど、準備が始まればこうはいかない。
 3年生は受験があるから当日参加のみで準備がないのだ。

 一緒にいられる時間はあと少ししかないのに、それさえも無くなってしまう。
 別れの時はきっとあっという間にきてしまう。

「ああ、それなら大丈夫だよ。」
 泣きそうになる気持ちを抑え込んでいると、あっさりそんな返答が返ってきた。
「僕達旧生徒会役員はオブザーバーとして参加するから。」
「へ? そうなんですか?」
 そんなの知らなかった。
 きょとんとしてしまう夕鈴に、彼はふんわりと笑う。
「うん。だから今まで通り一緒に帰れるよ。」

 "今まで通り"という言葉に心からホッとする。
 まだ、この人と一緒にいることができる。

 好きな人のそばに、ここに、まだいて良い。


「あ、後夜祭の衣装なんだけどね、この前夕鈴に似合うの見つけたんだー♪」
「っは、はい。ありがとうございます…!」

 高校の文化祭なのだから、後夜祭は看板なんかを燃やしてキャンプファイヤーしながら適
 当に音楽流して騒げばいいと夕鈴のような一般庶民は思うのだけど。

 なのに、ここの後夜祭は何故かプロム風なのだ。
 しかもかなり本格的で、他に何のために使われるのか分からない迎賓館がこの日は開放さ
 れる。
 参加者は3年生が中心だから1、2年は自由参加だけれど、夕鈴は先輩の"恋人"だから参
 加は当然。
 衣装だって制服じゃなくてドレスとタキシード。

 ……お金持ちが考えることはよく分からない。
 最初にそう言ったら、先輩も「だよねぇ」なんて同意していたけれど。

 庶民の夕鈴にドレスなんて用意できるわけがなく、しかも彼の隣に並べるレベルなんて絶
 対無理。
 ということで、衣装については先輩達にお任せしている。
 どんなのが良いと聞かれても分からないから全部決めて欲しいと頼んだ。
 李順さんに言わせたら必要経費だということで、紅珠の誕生日のときとは違うものになる
 らしい。

「早く夕鈴が着てるところが見たいな。」
「は、はあ…」

 その日が終わりの日だってこと、先輩は気づいてますか?

「絶対似合うと思うんだ。…あ、でも、可愛すぎるから他の奴らに見せるのはもったいな
 いな。」
「……誰も目に留めませんから。杞憂です。」

 先輩には大したことじゃないかもしれない。
 でも、私にはとっても大きなことなんですよ。

「えー そんなことないよ! ―――夕鈴、君は誰よりも可愛い。」
 するりと長い指が夕鈴の頬に触れる。
 途端にそこが火傷したみたいに熱くなった。
「…ッそういうことさらっと言わないでください! てゆーか、いきなり狼モードにならな
 いでくださいよ!」
 女ったらしと叫んでから、彼の手から逃げ出す。
「え!?」
 慌てて追いかけてくる手をかわして、困った顔の彼にふふっと笑ってみせた。
「そう簡単には捕まりませんよ!」
「―――敵わないなぁ。」
 びしっと宣言する夕鈴に彼は苦笑い。
 そんな彼に向かって勝ち誇って胸を張った。


 ―――逃げた理由が、泣きたくなったからだなんて。きっと彼は気づかない。
 でも、それで良い。



 好きな人の隣にいること、貴方の側にいられること。
 そんな幸せな時間ももうすぐ終わり。


 夢の終わりはもうすぐ。

 だから、せめて悔いのないように…










*











 屋上はわりと風が強い。
 先輩と食べるときは建物の影を選んでいるから大丈夫だけれど。
 今は昼食時ではないし、座る必要もないからまともに風を受けていた。

 太陽はすでに西の空。
 時折フェンスが音を立て、夕鈴の長い髪を揺らす。

「…ねぇ。」
 顔にかかる髪を手で押さえ、夕鈴は前にいる人物をじっと見る。
 今ここにいるのは、夕鈴と彼だけ。

「ねぇ、几鍔。―――期限付きの恋はどうすれば良い?」
「…やっと自覚したのか。」
 遅いと、幼馴染は憎らしいくらいの呆れた顔で返してきた。


「元々期間限定の関係だったのよ。そんなの、最初から分かってた。」
 なのに、好きになってしまった。
 別れがあると気づいていて、それでも彼に惹かれてしまった。

 本当は、彼を手助けするだけ、それだけのはずだったのに。

「まあ確かにアイツが自由でいられるのは今だけだ。」
「うん…」

「俺達とは住む世界が違う。」
「うん……」

 それくらい、夕鈴だって最初から分かってた。
 だから何も望まなかった。

 今も、何かを望んでいるわけじゃない。


「―――お前はこうと決めたら突っ走るし、絶対人の話を聞かないから言わなかった。」
 ガラにもなく気を使おうとしているのか、頭をガシガシ掻きながら彼は一度視線を逸らす。
「…傷つくと分かってて、それでも選んだんだろ?」
 再び目が合ったとき、几鍔が私を心配しているのだと気づいた。
 何だかんだで面倒見が良い幼馴染に夕鈴はコクリと頷き返す。

「その日まで、悔いが残らないようにはしたいと思ってる。」

 役目を終えるその日まで、いつも通りでいるつもりはある。
 あの人の隣に少しでも長くいたいと思うから。

「でも、不安なのよ…」

 あの人には言えない。
 こんな気持ちを知られるわけにはいかない。

「その日が来るのに怯えて、あの人の前で笑えなくなりそうで怖い……」
「………」


 二人の間を、一際強い風が吹き抜けた。











 放課後、ふと夕鈴の姿が見えなくなった。

 特に用事があったわけじゃない。
 ただ、会いたいときに会えなくて、少し不安になっただけだ。

 退任直後のような事態にはならないと思うが…
 その可能性も捨て切れてはいない。
 
 無駄に広い校舎だが、夕鈴が行く場所は自ずと限られる。
 後はどこかと階段の前を通りかかったところで、上から知った声がした。


「几鍔、ありがと。」
 彼女の声だと駆け出しそうになったが、相手の名前に踏み留まる。

(いないと思ったら、幼馴染君と会ってたのか…)
 別におかしいことではない。
 それくらい頭では分かっている。

 だが、二人きりで一体何の話をしていたのかと思うと、心中穏やかではいられない。

「…お前が礼なんて気持ち悪ぃな。」
「失礼ね。ありがたく受け取りなさいよ。」

 彼と話すとき、彼女は黎翔と話しているときよりもずいぶんくだけた物言いをする。
 それも幼馴染なのだから当たり前だと言われればその通りなのだが。

「明日は槍か?」
「ほんっと失礼な奴ね。」

 普段のように怒鳴り返すわけでもなく、冗談の延長のようなやりとりだ。
 いつもと違う雰囲気にぐっと拳を握りしめる。

「しおらしいお前なんからしくねーだろ。」
「うるさーい」

「―――っ」
 続けて笑い声も聞こえてきたところで、我慢しきれなくなった黎翔は強く一歩を踏み出し
 た。




「―――夕鈴。そこにいたのか。」
 わざと足音を立てて二人の前に姿を現す。
 あくまで今来たことを示すためと、自分の存在を誇示するためだ。

「あ、先輩。」
 踊り場にいる夕鈴と数段下にいる几鍔。
 目が合うと彼女は綻ぶような笑みを見せる。
 それにホッとしつつ、睨むような視線を寄越す彼の方にも返すのを忘れない。

「…じゃあな。」
 黎翔にはそれ以上何も言うことなく、几鍔は軽く手を挙げて階段を下りていった。
 夕鈴のところに行く黎翔とすれ違うときも一瞥もくれないまま。

 最初に目が合った時には何か言いたげな目をしていたのだが。
 目で追っても何も言わない背中は、黎翔の中に不快感だけを残していった。



「……彼と一緒だったんだ。」
「あ、はい。」
 視線を彼から夕鈴へと戻して尋ねる。
 それに彼女は特に隠す様子もなく素直に頷いた。

 自分の知らない時間を共有していた二人。
 はっきり言ってしまえばこれ以上面白くないことはない。

「何を話してたの?」
 それでも胃を焼くような不快感を押し込めて、無害な小犬で聞いてみる。
 ここで狼を出したら彼女は絶対逃げてしまうと分かっていたから。
「ちょっと…家のことです。」
 少し躊躇うように答えながら、彼女はすっと視線を逸らす。
 それ以上言う気はないらしい。


 ―――彼には話せて自分には話せないこと。
 自分にはまだ踏み込めない場所がある。

 それは、仮の恋人だから?

「…そう。」
 本当は、このまま腕の中に囲い込んで問いつめてしまいたかった。

 …けれど、自分にはそんな権利がないことにも気づいてしまったから。


「ねぇ、今日はもう帰れる?」
 だから全ての言葉を飲み込んで、彼女を傷つけない言葉だけを残した。
「はい。」
「じゃあ一緒に帰ろう。」
 手を差し出したら、彼女は少しだけ躊躇った後で小さな手を重ねてくる。
 それをぎゅっと握り込んで、真っ赤になる彼女を目にしてようやく気持ちが収まった。




 彼女との距離が縮まらない。
 期間を延ばしても、何も変わらないままだ。

 文化祭が終われば彼女との契約期間も終わる。
 それまでにどうにかしないと、彼女は離れていってしまう。

『彼女の行為は善意です。』
 李順の言葉が過ぎる。

 そしてたった今、屋上から降りてきた二人を思い出す。
 黎翔が姿を見せる前の、彼女の楽しげな笑い声が離れない。


 ―――時間がない。


 タイムリミットは もうすぐ……




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2013.6.7. UP



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後夜祭を提案したのはいくつか代を遡った珀家輩出の生徒会長。
ただし後継者争いとは無縁の、しかも女性だったらしい。
そして、彼女が提案した後夜祭はそれに憧れて入学する者もいるほどの人気となった。
そのため狼陛下でも廃止することはできなかったという。

―――って、イメージは瑠霞姫なんですけどね。

さってとー すれ違いながらも話はさくさく進んでいきます。




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